なにわを歩く 中之島に架かる二十橋を渡る

 なにわの町を歩きました。
 大阪八低山は制覇しましたが、浪華八百八橋のうちのいくつくらいを渡ったことがあるのでしょうか。中之島の地図を眺めていると、20数橋が架かっています。端から橋を巡りました。
 スタートは、ライオン像が橋の四方に構える天神橋です。こちらは阿形 (あぎょう) の形で口を開けて吠えています。浪華三大橋のひとつです。 

 土佐堀川に架かる淀屋橋です。関一・大阪市長による御堂筋拡幅工事の一環として1935年に完成したアーチ橋です。コンクリート橋としては珍しく国の重要文化財に指定されています。

 堂島大橋は、優美な大型のアーチで路面を吊り上げる下路アーチ橋でという国内唯一の形式の橋です。

 中之島を一周して最後の橋は鉾流橋でした。向こうにレンガ造りの中央公会堂が臨めました。

 青線が歩いたルートです、


 【2024/11/18 09:55】
 阪急から乗り換えなしで大阪メトロの北浜までやってきました。地上に上がると難波橋でした。こちらのライオンは口を閉じた吽形 (うぎょう)の形をしています。 

 振り返ると大阪商工会議所の前に五代友厚像が立っています。

 まずは向こうに見える天神橋を目指しました。
 土佐堀川から分かれて南行する東横堀川に向けて空の観光船が航行しました。

 中之島にかかる東端の橋、天神橋を渡ります。

 途中の階段から中之島に降りて、先端の剣崎公園まで行ってみました。
 毛馬閘門で淀川から分流した大川は、ここで中之島の北(左)を流れる堂島川と、南(右)を流れる土佐堀川に分かれます。

 1888年に木製からドイツ製の部材を主に用い鋼製のトラス橋に架け替えられた時代の橋銘飾板が、北詰に保存されていました。

 難波橋を渡りました。欄干に施された澪標(みおつくし)のデザインを、ペンキで補修していました。

 栴檀木橋は、橋のたもとに大きな栴檀(せんだん)の木があったことからの命名です。

 大正と昭和の2度、架け替えられています、古い親柱が保存されていました。

 橋を渡ると中央公会堂です。

 御堂筋を渡ります。目の前の横断歩道の向こうが淀屋橋の橋上です。区別がつきません。
 どうしたことか、きょうの御堂筋はガラガラです。

 江戸時代の豪商、淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初という淀屋橋です。居を構えていた橋の南西、運動具のミズノなどがあった辺りにタワービルが建設中です。

 淀屋のことをわかりやすく説明している碑があります。

 錦橋です。向こうはフェスティバルホールです。ここは何度も渡ってますが、そんな名前であることを初めて知りました。

 四つ橋筋に架かる肥後橋です。橋の北詰に肥後熊本藩の蔵屋敷があったからです。

 筑前橋は、橋の北側にあった福岡藩(筑前藩、黒田藩)蔵屋敷の便を図って架けられた私設橋です。

 常安橋は、豪商の淀屋常安にちなみます。

 橋の上から上流を見ました。高層ビル群に取り囲まれています。

 越中橋は歩行者専用橋ですが、工事のため通行止になっていました。向こうはリーガ・ロイヤルホテルです。

 土佐堀川はあみだ池筋にかかります。1921年の大阪市電の敷設のために架けられました。

 湊橋は、江戸時代の堂島新地開発にさいして、中之島の西端に架けられました。

 橋のたもとに「泥の河」舞台の地の碑が立っています。宮本輝はこの辺りの光景を小説にしました。

 下流を見ると、ちょっとモダンな「かき小屋」があります。昔は淀屋橋のたもとなど何か所もあったように覚えています。

 土佐堀川の最下流にかかる端建蔵橋は、工事のため姿を消しています。

 工事中のフェンスの向こうに古い橋銘だけが残っていました。

 堂島川側の再下流橋の船津橋を渡りました。

 振り返ると、堂島川(手前)と土佐堀川の合流を確認することができました。

 大阪卸売市場の前まできていました。
 大淀にある新聞社の関連会社からここまで、自転車を漕いで昼飯を食べに来たことがあります。おいしい魚が安価でした。

 堂島川を上流に歩いて上船津橋です。

 河辺に整備された遊歩道を歩きます。

 堂島大橋は、1945年の米軍による空襲で被災しました。石の欄干の黒焦などに痕跡が残っているということですが、この親柱の黒ずみがそうかは確認できません。

 玉江橋です。昔は大阪の七不思議の一つとして「玉江橋の南に天王寺さんの五重塔が見える」と言われていたそうです。

 昔の玉江橋の風景絵が掲げられていました。

 田蓑橋を渡ります。

 次は渡辺橋です。四つ橋筋まで戻ってきました。もう少しです。

 中之島ガーデンブリッジは、歩行者専用です。

 なにわ八百八橋のパネルがありました。

 御堂筋に架かる大江橋です。さすがに人通りが絶えません。

 淀屋橋とともに国の重要文化財です。

 水晶橋は、堂島川可動堰として建設された可動堰です。

 20番目の最後の橋にたどり着きました。鉾流橋です。

 橋のたもとに天神祭で鉾流し神事が行われる神域があります。

 鉾流橋を渡ると、関一・大阪市長の像がありました。

 中央公会堂をゴールとしました。

 ここまで8.5キロの道程でした。この後、阪急梅田まで歩きましたので、合わせると10キロ超となったでしょう。

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