「革堂図子(こうどうずし)」を訪ねるのが目的でした。
革堂は、正式には行願寺(ぎょうがんじ=西国33所札所)といい、豊臣秀吉による都市改造で現在地の寺町丸太町下るに移転するまで、このあたりに広大な寺域があったそうです。
上京区の一条通上る、小川通から油小路(あぶらのこうじ)通までが目指す図子です。
油小路通を今出川から下ってくると、「革堂西町」の消火箱に出会いました。このあたりのはずです。といってもどこにもそんな表示はありません。
おまけに、車を洗っていた男性に聞くと「ここは革堂西町で、あっちが革堂町ですが、革堂なに、ずし?」。これでは、かつての白梅図子と同じです。
つづきは
http://dot117.minibird.jp/HP/zusi/koudou.htm