東高野街道を高野へ その4 近鉄・古市~南海・河内長野

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東高野街道のその4は、近鉄・古市から終点の近鉄・南海・河内長野までです。歩いたのは3日です。
ここで、堺から続く西高野街道と合流し、高野街道となって高野山へと続きます。
富田林には立派な寺内町が保存されています。なかでも重要文化財の「旧杉山家住宅」は、往時の商家がそのまま残っています。

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端午の節句を前にして、石川の河川敷にはたくさんの鯉のぼりがはためいていました。向こうは金剛山です。


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【10:18】
9時前に自宅を出発。大阪-天王寺-古市とJR、近鉄を乗り継いできました。

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【10:20】
近鉄・古市駅前の東西の通りは、日本最古の「官道」とされる竹内(たけのうち)街道でした。ここも歩いてみたい道です。

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【10:22】
その3でゴールとした十字路です。ここは竹内街道と東高野街道が交わる「蓑の辻」でした。

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【10:24】
街道脇にスリムな稲荷神社があります。

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【10:51】
向こうに葛城山と金剛山を仰ぎます。

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富田林市のマンホールにも2つの山がデザインされています。

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【11:12】
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)の立派な鳥居を横目に通り過ぎます。

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【11:40】
富田林の寺内町までやってきました。古い民家が連なるきれいな町並みです。

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奥谷家です。江戸時代半ばからの材木商だそうです。

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寺内町は「日本の道百選」に選ばれています。

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【11:46】
旧杉山家住宅の玄関です。

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広々とした土間です。

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釜が3つ並んでいます。

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杉山家は寺内町創立以来の旧家です。酒造業を営んでいました。
明治の女流歌人、石上(いそのかみ)露子の生家でもあります。

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【12:16】
町を出る(入る)ところに「町中 くわえきせる ひなわ火 無用」と記された道標が立っています。

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【12:17】
道は滝谷不動へと続きます。

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【12:24】
富田林高校の校舎の向こうにPL教団の大平和祈念塔がそびえます。

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【12:54】
「大峰山三十三度満願碑」が立ってます。江戸時代に立てられたそうです。

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【12:57】
近鉄・滝谷不動の駅前に「東高野街道」を説明する案内板があります。

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【13:16】
錦織の一里塚です。
東高野街道の一里塚で現存するのは、ここと八尾市内の垣内一里塚の2か所だけです。

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【13:24】
近鉄・汐ノ宮です。

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【13:45】
河内長野に着きました。左が歩いてきた街道に沿って走っていた近鉄・長野線、右は南海・高野線です。

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【13:53】
河内長野駅前の「高野街道」の碑です。東と西の高野街道の合流点とあります。

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堺から始まる西高野街道には、十三里石が残っていると記されています。そういうことなら、高野街道へ進む前に西高野街道も歩いてみなくてはなりません。

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