熊野古道の紀伊路。平安時代、京の都から熊野御幸に旅立った上皇らは、船で淀川を下り、現在の天満橋から歩いて熊野を目指しました。その間に九十九(たくさんという意味らしい)の王子がありました。それをたどって行く徒歩行です。
実は10年前に熊野古道が世界遺産に登録されてブームとなったころ、窪津王子(天満橋)から四天王寺までは歩いてました。そこで長逗留となりましたが、「語り部と行く! 熊野古道を歩く旅ハイキング」というバスツアーに参加したのを機会に、中辺路までの道をぼつぼつと歩いてみることにします。
出発は、四天王寺の境内にある「熊野権現遥拝石」です。
天王子からあべの筋を南下して堺市へと続く道は、南海・上町線~阪堺線のちんちん電車が走るルートでもありました。
姫松駅のレトロな駅舎と、これまたクラシックな車両です。
【08:01】
土曜日でしたが、四天王寺学園は登校日です。セーラー服の中学生は、そろいもそろった髪型です。
【08:10】
熊野権現遥拝石は、南門から南へと続く熊野古道の先の浄土を見ているのでしょう。
【08:19】
「熊野街道」の石柱が立ってます。天満橋から4.7キロとあります。
【08:24】
あべのハルカスは高さ300メートル。展望台に登れば、熊野街道のこれからたどる道が遥かに見渡せるのでしょう。
【08:43】
松虫のあたりで上町線は専用軌道に入ります。
【08:53】
松虫通りを渡ったあたりで熊野古道は上町線に沿うように右に入っていきます。それに気づかずあべの筋を歩いていると、右手に阿部王子神社が現れました。
王子とは熊野権現の御子神を祀っている社のことです。
境内には、クスノキの大木があります。
西門を出たところが熊野古道でした。「阿倍野王子旧跡」とあります。
【08:58】
ちょっと戻ったところに阿倍清明神社があります。陰陽氏の清明の出生地です。
【09:04】
経塚は、聖徳太子が一字一石経を埋めたとか、空海が写経を埋めたとか伝わる塚です。
【09:06】
再び上町線と合流します。LRT(ライト・レール)型の低床新型車両が追い越していきました。
【09:23】
帝塚山3丁目で左折したところが万代池です。桜は散って、新緑が美しいです。
【09:32】
上町線は神ノ木駅の手前で南海・高野線をまたぎます。
この1秒後に、高野線の電車もやって来ました。でも両方を一度に撮影できるタイミングを待つほどヒマではありません。
【09:43】
住吉の趣きのある旧街道です。「住之江味噌池田屋本舗」で右折すると、住吉大社でした。
【09:52】
朱色が鮮やかな太鼓橋は豊臣秀吉の奉納です。
【10:08】
墨江小学校のフェンスには、墨江廃寺の説明がありました。この辺りに津守王子があったそうです。
【10:09】
「熊野かいどう」の大きなプレートです。石柱に案内板と、やたらと目につきます。
【10:24】
遠里小野を通り抜け、大和川に突き当たります。
【10:34】
ちょっと下流の遠里小野橋を渡ります。大和川は随分ときれいになりました。
南海・高野線の電車の向こうに母校の高層校舎が見えます。
堺市に入ります。
【10:45】
浅香山駅で高野線を横切りました。ガイドブックをザックかた取り出すのは煩わしいので、コンビニで地図のページをコピーしました。
【11:00】
大阪刑務所の角を右折すると、境王子跡がありました。
【11:10】
方違神社の境内にはフジの花が咲いてました。
神社の南は反正天皇陵です。
【11:27】
いつの間にか道は竹内街道と合流していました。
【11:30】
仁徳天皇陵を反時計回りに歩きます。
【12:06】
御陵通を西へ歩き、千利休ゆかりの南宗寺に着きました。初めてなので拝観しようかとも思いましたが、通過です。
【12:11】
山之口橋の欄干にあった熊野街道の案内です。
【12:33】
ノンストップで歩き続けきました。だいぶ疲れてきました。
殺風景な道を歩いていると、「歴史のみち」の文字が腹立たしいです。
【12:36】
石津神社を横目に歩き続けます。
【13:00】
鳳の手前で道を間違えて、JRの一つ手前、津久野駅前に出てしまいました。
埋め立てられた旧石津川にかかっていた万年橋です。
【13:16】
ルートを修正して大鳥神社に到着しました。
ここを今回のゴールとしました。
【14:06】
JR鳳駅前で昼飯のラーメンを食べて、JR阪和線の関空快速で帰路に着きました。
3万超歩、20数キロの行程でした。