熊野九十九王子を往く 京洛の熊野社

京洛の熊野社

熊野若王子神社 (2004/04/16)


 「熊野九十九王子を往く」のスタートはやはりここ、と決めていた。
 下鴨からの帰宅途中に寄る。雨が降っていたので、車を乗り付けてお参りした。


 永暦元年(1160)に後白河法皇が熊野権現を勧請したのが始めとという。東方の山中に滝があり、熊野三山の那智大社に相当する。
 熊野詣にあたっては、この滝で浄めを行ってから出発したと伝わる。


 神木の梛(なぎ)の木が鳥居の横にある。
 熊野詣や伊勢参宮のとき、禊の木としてして、罪けがれをはらい清めるお守りとして用いられた。
 「この梛守は、受験・結婚・その他すべての苦難をナギはらうお守りです」(パンフレットより)


 京洛東那智 熊野若王子神社(くまのにゃこうじじんじゃ)
 京都市左京区若王子町2
 東山三十六峰のふもと、哲学の道の起点にある。

 
 熊野神社 
(2004/05/30)



 熊野神社
 京都市左京区聖護院山王町43
 東山(東大路)通と丸太町の交差点、バス停は「熊野神社」の西北角にある。

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 弘仁2年(811)、修験道の始祖・役小角(えんのおづぬ)の十世僧、日圓が、紀州熊野大神を勧請したのが始まりという。


 御神燈などに八咫烏(やたがらす)がデザインされている。
 三本脚のこの烏は、神武天皇東征のとき、熊野灘の那智海岸に上陸した神武天皇を熊野から大和に入る険しい道を先導した鳥という。
 日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている。



 聖護院の森は「八ツ橋発祥の地」といわれ、境内にはその碑と「八ツ橋中興の祖」西尾為治(1879-1962)の銅像がある。
 東山通にめんした北側には「八ツ橋発祥の家」と大きな提灯にかいた西尾家八ツ橋の店が。近くには、西尾家と聖護院八ツ橋の本家が道を隔てて向かい合っている。


 熊野牛王(くまのごおう)
 「熊野牛王宝印」の6文字が、「烏点(うてん)」で記されている。烏点とは、熊野神社の神使である八咫烏を図様化し、その間に宝珠をデザインしたもの。熊野本宮は92羽、熊野新宮は48羽、熊野那智は72羽で、ここは新宮の故をもって48羽が描かれている。
 熊野牛王は祈願神として用い、願意を記して捧げることで、その願いが神に届くとされている。

 新熊野神社 (2004/05/30)


 新熊野(いまぐまの)神社
 京都市東山区今熊野椥ノ森町42
 熊野神社から東山通を南下、祇園-清水坂-智積院を横目にJR東海道線を越えた右側にある。バス停や地名は「今熊野」。


 熊野信仰が盛んに平安末期、後白河法皇が熊野の神を勧請して創建した。


 ここにも八咫烏。


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 新熊野十二社権現といわれ、本社をはじめ、若宮社、結の社、速玉社の「上四社」・「中四社」・「下四社」の十二社の社殿が東西に並列して建てられている。。
 


 「紀州国の熊野三山の御土」
 後白河法皇が平清盛に命じて紀州熊野の土砂材木等をもって社殿を造営させて聖地熊野をこの地に再現させた。この御土は往時をしのび、「熊野三山」から奉納されたもの、とある。


 社頭にある大樟(くすのき=楠)。創建のとき、熊野から移植、後白河法皇お手植えを伝えられ、樹齢900年、健康長寿、病魔退散、特にお腹の神を信じられ参拝者が多い。京都市の天然記念物。