ちょっと風邪気味で、この2日ほど家にこもってました。もう限界です。天気も良さそうなので、京都・大原から岩倉に抜ける古い峠道を歩き、途中、山城三十山の瓢箪崩山(ひょうたんくずれやま)の頂上に立ちました。
正面に比叡山がそびえます。この方角から見ると、頂上は意外となだらかです。
532.4mの頂上には三等三角点があります。
昼食には早いですが、河原町三条の進々堂で買ってきたカレーパンをかじって休憩しました。
大原から登ってきた林道は、スギの倒木の連続。1本づつまたいで登りました。
荒れ放題の里山を見るのは、悲しいです。
河原町三条から京都バスの大原行きに乗りました。
三宅八幡の辺りで、向こうに瓢箪崩山の頂上が見えました。伏せた瓢箪が崩れたように見えるということです。
【09:41】
花尻橋で下車しました。向こうは漬物の土井です。
お茶のペットボトルを買おうと思いましたが、ベンダーがありません。途中の病院に入り、待合室でベンダーを見つけました。助かりました。ここを逃すと、水なしの歩行となるところでした。
並木が色づき始めています。
【09:53】
登山口のゲートまでやってきました。
「大原の里十名山」というのがあるそうです。初めて知りました。
林道の工事が行われていました。作業員に「通れますか」と聞くと、上部に居た警備員にも連絡して、安全を確保してついてきてくれました。
林道に入ると、スギの枝で荒れ放題です。
先日の台風で倒れたスギのようです。完全に道がふさがれています。
要所に道標はあります。
スギの枝は、格好の燃料となりますが、もう柴刈りにやってくるおじいさんはいないのでしょう。
【10:38】
北向きの薄暗い谷を登ってきました。初めて太陽の光が差し込みました。
【10:45】
江文峠に続く尾根筋に出て、ほっとひと息つきました。
右に左に何度も小川を渡り、踏み後が消えた道をたどりました。似たような谷筋も多いです。違った谷を詰めかけて、これはおかしいと戻った場所もありました。おまけに最後は急坂と、予想以上に厳しい峠道でした。
帰宅後にわかったことです。この道標の個所に来たのということは、寒谷峠へは回り道になってました。選択を誤ったポイントはわかってますが、こちらの踏み跡の方が明瞭でした。
【10:54】
寒谷峠(さむたにとうげ)に着きました。昔は大原から岩倉に抜け、都に上る村人の生活道路だったそうです。
瓢箪崩山は寒谷峠から南東の尾根を登ったところです。ところが、道が完全に崩れています。雑木をまたいだり、くぐったりして尾根筋を進みました。
【11:13】
時間的にはそれほどかからずに瓢箪崩山の山頂です。
1週間ほど前に地元の小学生が登ってきた記念の板切れがぶら下がってました。道がこの状態だったのなら、よくぞここまでやって来たものです。
北側には大原の里が見下ろせました。
【11:54】
寒谷峠に戻り、岩倉への急坂を下ります。南側の谷は明るく、歩きやすです。
「聖護院門跡長谷廟所」という、比較的新しそうな施設を横目に通り抜けました。
【12:14】
ため池は枯れています。
【12:23】
岩倉の市街地との境まで降りてきました。「クマ出没注意」の看板を見て、ザックに結び付けているクマ鈴を鳴らしていなかったことに気づきました。
【12:45】
叡電の岩倉駅に着きました。ところが目の前から出町柳行が発車していきました。次の列車まで待つのも面倒で、そのまま地下鉄の国際会議場に向かいました。
【12:53】
同志社高校の東の道沿いに「レストラン宝」がりました。カレーパンを食べたとはいえ、腹もすいてきたのでここで昼飯にすることに。
スマホ・アプリの「ヤマレコ」もここで停止させました。、
カウンターに「日替り弁当」の器が山積みになっています。きっと人気なんだろうと注文しました。
串カツにチキン、玉子がメーンの弁当でした。
同志社の学生らしき客も多く、リーズナブルな価格設定にも納得しました。
瓢箪崩山を振り返り、地下鉄・国際会議場から帰宅しました。
8.3キロ、3時間11分という、程よい山行でした。
歩いた軌跡をよく見ると、寒谷峠の北東で右の谷の急坂を登り、江文峠から来た道と合流していたことがわかります。林道は谷をまっすぐ詰めればよかったようです。どこかで選択を誤ってました。