梅小路公園からの帰り道、傘をさして歩きました。七条西洞院まできて、「そうだ、ここを北野線が走っていたのだ」と立ち止まりました。
北野線が廃止になった昭和38年(1963)から45年もたっています。当時を伝えるものなどあるはずがないと思ってましたが…。
左側の3本目の電柱に、釘付けになりました。他のコンクリート製の電柱とは、この1本だけが明らかに違います。
近づいて見上げました。擬宝珠(ぎぼし)をかぶせたような、特徴的な格好をしています。
昔の市電の架線を支える電柱は、鉄製(?)でした。どれもてっぺんに個性がありました。この写真は、旧錦林車庫(左京区)の前に残る電柱です(2008/06/28撮影)。
鉄のパイプをつなぎあわせた電柱なので、中は空洞です。だから頭に「帽子」が必要なのでしょう。
「RM Library N電 京都市電北野線」(ネコ・パブリッシング)は、「京都市電の残影」を追ううえでのバイブルのような出版物です。「北野線のちんちん電車「N1」」では、大阪市立中央図書館で借りたものでしたが、その後、購入しました。
それを調べると、34、35ページに、こんな写真がありました(撮影・高橋弘氏)。七条西洞院からの光景です。
左側の信号機の下に写っている電柱を見てください。よく似てると思いませんか。
この写真は、七条から北を見ているのか、南を見ているのかは不明です。それにしても似ています。
電柱には、太さの違うパイプを接続したリベットが見えます。
背景の「法衣店」の看板に溶け込んでいます。
「西洞院北小路下る福本町」というのが所在です。東本願寺と西本願寺のちょうど中間にあります。
「昼間の電灯はお互いに消しましょう」
いつから掲出されているのでしょうか。省エネが叫ばれている現代と同じ標語です。
西洞院を南下して塩小路まできました。北野線は、ここで左折してました。京都駅はすぐです。
右側の関西電力ビルの前に、北野線の京都駅はあったはずです。でも、名残をとどめるものは何もありません。
これで「京都市電-北野線の跡を訪ねて」は完結しました。
京都駅の東側には、「電気鉄道事業発祥地」の石碑が建っています。
明治28年、ここから伏見までの6キロの間を、京都電気鉄道の「狭軌1型」電車が走りました。わが国の電車の第1号です。