京城勝覧を巡る 第十四日 「声明」を訪ねて勝林院、来迎院と音無の滝

 「京城勝覧を巡る」は、1ヵ月も空けてしまいました。第十四日は『小原(大原)にゆく道をしるす 京より四里あり』です。
 『音なしの瀧をつたひてゆるくながるるゆへに音なし」(「京城勝覧」より)と同じ風景です。流れ落ちる水の音は、雑念がいっぱいなのかわたしには聞こえます。
 「聲明(声明=しょうみょう)」とは、仏教の儀式において経文を朗唱する声楽の総称だそうです。来迎院を建立し良忍上人が、この滝に向かって修行していると、声明の音と滝の音が重なって音が聞こえなくなったそうです。だから音無の滝です。

 大原は時雨れていました。枯れ紅葉にたまった雨滴が、差し込んだ太陽にきらりと光りました。

 上高野の『御蔭神社』は、下鴨神社の摂社です。こんな山中に、これほどに立派な社がありました。

 【2021/12/13 11:20】
 10時ごろに車でわが家を出ました。終日500円の駐車場に駐車して、三千院などがある「大原女の道」を上ります。

 三千院のかわいい朱塗りの朱雀門を横目にします。

 来迎院も通り過ぎます。

 「大原の里10名山」の大尾山への登山口です。仰木峠から北に続く尾根にあります。改めて登りたくなりました。

 音無の滝です。ここまでやって来たのは初めてです。

 滝から流れる川面は、落ち葉で覆われています。

 三千院の前までやって来ました。紅葉のシーズンも終わって静かです。

 突き当りが勝林院です。

 勝林院は長和2(1013年)、寂源によって法儀声明念仏三昧の根本道場として建立されました。

 『証拠の阿弥陀』です。
 大原問答は、法然上人が勝林院で行った浄土の宗義について交わした論議のことです。法然上人が念仏によって極楽へ往生できること示したとき、本尊の阿弥陀仏がまばゆい光を放ったという言い伝え残っています。

 わたし独りの静かな阿弥陀堂です。

 平安中期の作で重要文化財の梵鐘は、大晦日除夜に響きます。

 勝林院
 京都市左京区大原勝林院町187

 勝林院を出たところに、後鳥羽天皇、順徳天皇の御陵がありました。

 後鳥羽天皇(上皇)をしのぶ法華堂は、わたしが住む水無瀬にある上皇の水無瀬離宮の建物が移築されたそうです。

 鉈捨藪は、熊谷直実が大原問答で法然が敗れたときには、その法敵を討ち果たそうと袖に鉈を隠し持っていましたが、法然に諭されて投げ捨てたと伝えられるところです。

 『梶井宮 宮御門跡なり』という三千院は、きょうは素通りしました。

 マップの右上の「響き道」を歩きました。寂光院にも行きたかったのですが、小雨が降ってきたので遠慮しました。

 八瀬まで戻ってきて高野川を渡り、『御蔭神社』を訪ねました。
 ケーブルの乗り場や、紅葉で有名な瑠璃光院の前を抜けたところにあるパーキングに車を止めました。

 これであっているんだろうかという山道です。

 向こうから来る道との合流点に、場違いのように立派な鳥居がありました。

 石段の参道が続きます。

 鎮座地は、鴨大神が降臨された場所と伝えられる御生山にあります。東山三十六峰第二の山です。 

 ご祭神は、本宮の賀茂御祖神社(下鴨神社)と同じ玉依媛命、 賀茂建角身命の2柱です。
 下鴨で長く過ごしましたが、こんな摂社があることは知りませんでした。

 御蔭神社
 京都市左京区上高野東山207

 向こう側に歩くと、すぐに叡山電車の横でした。