京街道を上る 其の七 伏見宿から京・五条

 「京街道を上る」は、大阪~枚方、枚方~伏見を2回に分けてあるき、到着のつもりでした。でも、折角なら京都まで上ろうと思い立って、急に出かけました。あまり下調べをしてませんでした。JR、近鉄の車中でiPhoneを使ってネットで道順を調べました。ほとんどの区間を車では走ったことがありますしたが、京街道(伏見街道)を意識したことはなかったので、新発見の連続でした。
 今回は、距離も短いのでNIKONの一眼デジカメで撮影しました。広角から望遠まで使えます。GRⅢも素敵ですが、道具は使い分けが必要です。 

 11:37=「伏水(伏見)街道第四橋」です。豊臣秀吉が作らせた伏見街道には、4つの橋がかかっていまし。その一番南にある四ノ橋は、橋下をのぞくと川を通す円柱の管をくわえたような石組みが施されています。それも街道に対して斜めになっているところから直違橋(すじかいばし)という名がつきました。
 

 10:29=天気予報は曇りでしたが、起きてみると晴れそうです。急に思い立ってJR、近鉄と乗り継いで前回のゴールとなった「桃山御陵前」にやってきました。
 向こうに伏見の産土神の御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の鳥居が見えます。

 10:32=大手筋を西に向かうと、両替町の角に「伏見銀座跡」の碑がありました。慶長6年(1601)に徳川家康がここに銀座を置き、銀貨をつくらせたそうです。東京の銀座より11年も古いです。

 10:41=古い民家が残る京町に沿って歩きます。先で京阪と平面交差しています。

 10:50=軒先に「雪印」の牛乳受けがありました。現役でしょうか?


 10:50、53=しばらく歩くと「森永」そして「明治」が現れました。牛乳はかつて、新聞と同じように宅配され、牛乳瓶は回収されてリユースされていのです。

 10:57=近鉄の高架をくぐります。

 11:05=奈良に通じる国道24号を渡ると、「橦木町廓入口」の石柱が建っています。

 11:08=「大石良雄遊興之地」と刻まれた石柱が、更地の角に建っています。赤穂浪士の大石内蔵助は、討ち入り計画をカモフラージュするためか、遊興にふけった遊女屋「よろつや」の跡だそうです。

 11:04=通りの奥には「橦木町廓之碑」(大正7年建立)がありますが、現在はただの住宅街で遊郭らしい雰囲気は残っていません。

 11:15=ここまでは師団街道を北上してきましたが、墨染寺の前で右折しました。その裏手に建つ欣浄寺 (ごんじょうじ)は、深草少将が住んでいたところ。境内には小町塚(左側)があり、涙の水ともよばれる深草少将姿見の井戸もあります。でも少将塚は特定できませんでした。
 深草少将はここから小野小町が住む小野随心院まで一里の道を通いつめましたが、哀れ雪深い九十九日目の夜に、途中で凍死してしまいます。

 11:19=境内の梅。

 11:27=左折して直違橋(すじかいばし)通り入ります。ここからはゴールの京・五条までまっすぐです。

 11:30=米穀店の軒下に鍾馗さんがかかっています。

 11:33=藤森神社は「勝馬」の神さまですが、わたしは競馬とは無縁ですので、そのまま通り過ぎました。紫陽花の名所です。

 11:38=四ノ橋を渡ります。

 11:46=聖母女学院の本館は、1908年(明治41)、陸軍第16師団司令部の庁舎として建てられました。師団街道の名もそこからきています。

 11:59=伏見駅のランプ小屋は、JR最古の建造物です。開通当初の東海道線は、ここを走って大津に向かっていました。

 12:00=伏見稲荷大社の大鳥居。

 12:05=本町通りを進みましたが、稲荷大社前のこのあたりが、一番にぎわっています。

 12:08=伏見人形の「丹嘉」です。

 12:17=「伏水第三橋」は、東福寺の門前にかかっています。

 12:17=東福寺。紅葉の名所です。

 12:20=「伏水街道」と名付けられた銘酒が並んでいます。先があるので、レンズでなめるだけにしておきました。

 12:22=藤原氏ゆかりの法性寺。洛陽三十三所観音霊場のひとつです。
 そういえば、洛陽三十三所巡りは、最初の数ヶ寺を巡っただけでとまっています。

 12:24=伏水第二橋は、九条通の鴨川につながる長い高架橋の下にありまし。現在は川は流れていません。

 12:30=「一橋(いっきょう)小学校」の校門。この近くに伏水第一橋はありました。現在は、この小学校の校庭に移されて保存されているそうですが、校舎の中に入るのは遠慮しました。

 12:33=道はJRの線路で分断されています。東海道新幹線ののぞみが走り去りました。もうすぐ京都駅です。

 12:47=七条通を渡ります。左が京都国立博物館、右は三十三間堂。

 12:50=豊臣秀吉を祀る「豊国神社」を右手に見えます。

 12:57=到着点は、五条本町。しかし、京街道(伏見街道)の出発点とわかるものは何もありません。

 13:02=五条大橋の西詰めあたりに、豊臣秀吉が築いた御土居があり、京七口の伏見口がありました。
 義経と弁慶の像は、五条通の中央分離帯付近から、北詰に移設されています。ここから新たに整備された「木屋町コミュニティ道路」が始まっています。

 本日の歩数計は「18338」でした。前2回と比べると、半分でした。

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