my camino=12日目 「リタイア3人組」だけじゃない、思わぬ出会いも 

 巡礼では多くの人と出会いました。それぞれがしゃべる言葉は様々です。といっても、わたしはあれこれの言葉が話せるはずもなく、スペイン語はおろか、英語すらカタコトとなると、あたりまえに日本語をしゃべる日本人は、それだけで話しかけたくなる存在でした。
 「リタイア3人組」と名づけたリタイア世代のおふたりとは、サンジャン・ピエ・デ・ポーから歩き始めた数日後にバラバラに知り合いました。中盤のレオンの街角では、何日かぶりにそれぞれとばったりと出くわしました。「カミーノ・マジック」という言葉があります。縁のある人とは、不思議と再会するものなのです。
 30数日間、ほぼ同じ時間に同じ道を歩いていましたが、3人そろって同じアルベルゲに泊まったのはレオンの次のビジャダンゴス・デル・パラモの1泊だけです。ほどほどの距離感がいいのです。サンティアゴ・デ・コンポステーラでは一緒に到着の祝杯を揚げ、大西洋に突き当たったフィニステーラの「0キロ」のモホンの前で記念撮影しました。
 びっくりするような出合いもありました。
 アルベルゲでシエスタ(昼寝)ののんびりとした時間を過ごしていると、LINEにつながっているスマートフォンが鳴りました。小、中学校時代から友だちのTくんからでした。同じ時期にパリに旅することは聞いてました。
 「オレ、やよいさんのパリ郊外のお城のような家に泊めてもらってるんだよ」
 続いてそのやよいさん。
 「わたしのこと覚えてる?」
 ちょっと焦りました。実はあまり記憶がなかったのです。わたしが学んだ京都市内の中学校は、ベビーブーマー世代とあって1学年で13クラスもありました。3年間、同じ中学校に通っても、同じ教室で授業を受けたことはあったのでしょうか。
 「サンジャック(サンティアゴ・デ・コンポステーラのフランス語読み)にも知り合いがいるから、困ったことがあったらいつでも連絡してきなさいよ」
 これはうれしい言葉でした。もちろん、この巡礼にあたっては旅行傷害保険にも加入していました。それでも長い独りの徒歩旅です。何が起こるかわかりません。最大の安心保険になりました。
 やよいさんは、大学を卒業してすぐに結婚。それ以来40数年、パリで暮らしているそうです。今ではすっかりパリのマダムです。
 帰国後、やはり一時帰国したやよいさんに「おいしいワインをいっぱい持って帰ってきたから、飲みにいらっしゃい」と誘われました。あれこれと説明をきいても右から左に筒抜けでしたが、その味わいだけは記憶に残るようなワインの数々に、大きなフォアグラと、パリの味を堪能しました。こんな出会いもあったのです。