オ・セブレイロの峠越えでした。前夜のペレヘのアルベルゲからは、初めてザックをポーターに預けました。「コモド」というサービスで、アルベルゲに業者が置いている封筒のような荷札に目的地なんかを書き込み、料金の5ユーロをいれ、アルベルゲに置いておきます。ザックは業者によって車で集められて、その日の午後には目的地のアルベルゲまで運ばれるシステムでした。
「一度、これを使うと、もうやめられないですよ」
リタイア3人組のひとり、Kさんは毎日、これを利用していました。その代り、胸には重たいレンズを装着したカメラをぶら下げていました。こういう選択もあったのです。
峠への道は25キロほどでした。サブザックに必要最小限のものをもっただけで、ザックを背負っていない空荷でした。楽勝のはずでした。
そんな時に限ってトラブルに見舞われました。
四国88ヶ所のお遍路には、「遍路転(ころ)がし」があります。最初の遍路転がしは11番・藤井寺から12番・焼山寺に向かう遍路道です。それまでの吉野川沿いの平たんでのどかな道から一転、厳しい山道となります。覚悟の足りない遍路は、ここで根をあげてしまうのです。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる阿波の3か所は、なかでも難所です。
サンティアゴ巡礼でも、最初のピレネー越えやぺルドン峠に始まって、メセタという遮るものがない平原も「遍路転がし」の道でした。終盤にさしかかる前に立ちはだかったのがオ・セブレイロの峠越えでした。
左足首がチクチクと痛みだしました。レオン辺りを歩いていたときに痛かったのは右足です。テーピングの効果は絶大で、あの時の痛みは忘れていました。
たいしたことはないだろうと、たかをくくっていました。それでも痛さは増すばかりでした。よほどトボトボと歩いていたのでしょう。引き馬の出発点となるヘレリアスのベンチで休憩していると、おばあちゃんが声をかけてくれました。「あんたも乗っていく」。老夫婦の巡礼はここまでがやっとで、おじいちゃんが電話でタクシーを呼んだところでした。
ありがたさでジーンときました。でもまだ申し出を断るほどの意地は残ってました。
そこから本格な登り道になりました。地元のおばあちゃんが独り、さらに山奥の村にでも向かうかの杖を頼りにゆっくりと歩んでいました。わたしも同じペースでその後に続きました。いったん立ち止まると、もう一度歩き始めるのがいち段と痛いので、ラグーナ・デ・カスティージャ村は横目で通り過ぎました。
引き馬の一団に追い抜かされました。うらめしげな表情で見送っていたはずでした。
「¡¡paso a paso!!」というのがわたしのカミーノのタイトルでした。日本語では一歩一歩です。ゆっくりでも歩き続けると、いつかはゴールにたどり着けるものです。
それでもなんとか最後まで歩き切ってオ・セブロイロの公営アルベルゲに着いたのは、オープンする午後1時より早かったでした。