「路地」、これを京都では「ろーじ」と発音します。先日、祇園の路地を歩きました。表通りから一歩入っただけで、まるで別世界にまぎれこんだような静寂が支配していました。もっと路地を歩きたくなりました。
「図子」(「逗子」とも書くようです)。平安京の条坊制の名残で、通りで区切られたブロックの内部を貫通する細い道が図子です。
図子で私が最初に思いついたのは「白梅図子(しらうめずし)」です。
昔、四条河原町から下鴨の自宅に帰るときは、市バスの4系統「深泥池」行きか14系統「松ヶ崎」行きに乗りました。河原町を上がってきて「府立病院前」の次のバス停が「白梅図子」でした。でも、当時は図子の意味も、それがどこにあるかも知りませんでした。
白梅図子は、明治7年に消滅するまで「花街」として栄えたそうです。
町家風の古い家です。2階には虫籠(むしこ)窓もついています。
同じ通りに「大久保利通旧邸」という石碑もありました。
この崩れかけた(失礼)店は、もとはすすし屋だったようです。
古い住所表示がありました。「中筋通、石薬師上ル」とあります。ここではないようです。
地図の黄色の道かと思ってました。①の表示がある家の夫人が出てこられたので尋ねました。
「河原町の角に武長という竹屋さんがありますやろ。そこをはいったとこです」
「南北の通りなんですか」
「はい。そうです」
緑色の道という説明です。②で、車を洗っていた男性に聞きました。
「そこを曲がって河原町に出たところに、わたしの子どものころには白梅図子というバス停がありました。だから、その右に曲がった通り(青色の道)と違いますか」
さらに指さされた角、③で家から出てこられた夫人に聞くと「河原町の向こうと違いますか(赤色の道)」
ああ、振り出しに戻りました。
ネットで検索していたら、こんな記事と古地図に行き当たりました。
赤色の道のようです。これで一見落着です。
現在はこんな感じです。
左(南)側は、、寺の塀が続いています。もはや、かつての花街を感じさせるものはもとより、標識などに「白梅図子」という表示は見あたりませんでした。すでに、忘れ去られようとしているようです。