
JR水郡線常陸大子駅、午前6時12分-
一番列車には時間があるのに、お嬢さんが独り、無人の改札を通り抜けた。きょうは日曜日。東京にでも出かけるのだろうか。

水郡線は、茨城県水戸から福島県郡山に向かって単線が延びている。正確には水戸から、郡山のひとつ手前の安積永盛間137.5キロと、支線の上菅谷-常陸大田間9.5キロを走っている。
常陸大子(ひたちだいご=茨城県久慈郡大子町)は、久慈川に沿った奥久慈連山の山懐にある。

夜明け前のプラットホーム。始発列車が待機線で暖機運転していた。

JR水郡線常陸大子駅、午前6時12分-
一番列車には時間があるのに、お嬢さんが独り、無人の改札を通り抜けた。きょうは日曜日。東京にでも出かけるのだろうか。

水郡線は、茨城県水戸から福島県郡山に向かって単線が延びている。正確には水戸から、郡山のひとつ手前の安積永盛間137.5キロと、支線の上菅谷-常陸大田間9.5キロを走っている。
常陸大子(ひたちだいご=茨城県久慈郡大子町)は、久慈川に沿った奥久慈連山の山懐にある。

夜明け前のプラットホーム。始発列車が待機線で暖機運転していた。





「小さな改札口」のある田舎駅に「草軽」と駅名標をつけました。
草軽電鉄のテレビ番組の影響です。夏以来、ご無沙汰していた工作です。といっても30分ほどの作業でした。


パソコンで「草輕」と入力して、写真用紙にプリントアウト
1ミリ角のヒノキ棒をカットして接着
紙を切り落として整形
茶色に塗装
こんな工程でした。

「草軽電鉄草津温泉駅跡は、草に埋もれて」と、この夏に紹介しました。
そのときと同じ画像を再びアップしたのは、昨夜のテレビ番組のせいです。

BS朝日で昨夜遅くに放送された番組「レールのあった街」です(画像は、録画したBS朝日の番組をDVDに焼き、パソコンで画像をキャプチャーしています。以下も同じです)

「リゾートを結んだ小さな高原鉄道~草軽電気鉄道~」というのが、昨夜のテーマでした。草軽電鉄の走った線路にそって、軽井沢から草津温泉までの廃線跡をたどるレポートです。

私が撮影したのと同じ「草軽電気鉄道 草津温泉駅跡」の記念碑です。

テレビでは、石碑の地面にカメラが向きました。そこには、切断された錆びたレールが2カ所に残ってました。
私が訪れは夏には、雑草が生い茂って、そんあのがあるとは気がつきませんでした。残念です。

草津温泉駅の風景の画像もありました。

独特のスタイルから「カブトムシ」と愛称をつけられた「デキ12」が動く姿も残っていました。
軽井沢や草津温泉がもう少し近ければ、わたしも廃線跡を歩くんですがね。

ペーパー製の車体に、下塗り塗料のサーフェーサーを吹き付け、乾いたところをサンドペーパーで削ります。これの繰り返しで、屋根のカーブも自然になってきました。


すばらしい秋空です。久しぶりにマイ折りたたみ自転車・DAHONで走りました。風を切るのが心地よいです。
高槻市の上牧付近。阪急の駅前は、急速に開発が進んでマンションが建ち並んでます。でもちょっと走ると、まだのどかな田園風景です。
コンバインで稲を刈り取る向こうを、関西空港行き特急「はるか」が走りすぎます。

国鉄色の「雷鳥」もやってきました。

智頭急行に乗り入れる鳥取行き特急「スーパーはくと」が、気動車独特の音を響かせて走り抜けます。

自転車のペダルをのんびりとこいで、鉄道マニアには有名な「山崎カーブ」にやってきました。定番の場所では逆光になるので、レンズを山崎駅方向に向けました。
毎日、通勤で乗車する西明石行き各停が通り過ぎます。

上り貨物が通過する向こうから、大阪行き「雷鳥」がやってきました。

亀岡市立安詳小学校の校庭に京都市電「726号車」は保存されています。
西国21番札所、穴太寺から歩いてきました。途中の国道9号にはバスが走っているだろうと思ってました。ところがどっこい。結局、優に1時間半は歩きました。

校庭の片隅に保存されています。側面などは、児童が絵を描いています。保存状態は、まず良好です。

児童が夏の間に栽培したらしい朝顔の鉢がズラリと並んでいます。向こうの運動場からは、少年野球の練習の声が響いてきます。

かつては、京都市内の小学校などにも市電車両は保存されていました。そのほとんどが解体されて、今はありません。お隣の亀岡市に市電車両が残っているとは・・・。
安詳小学校 地図
0771-22-0320
〒 621-0826 亀岡市篠町篠中北裏68

都路を今も走る路面電車です。弥勒菩薩で有名な太秦(うずまさ)広隆寺の前を通過します。
「嵐電(らんでん)」(正式には京福電気鉄道嵐山線)は、四条大宮-嵐山間の嵐山本線と、途中の帷子ノ辻から北野白梅町を結ぶ北野線の11キロを走っています。

西大路三条から西の山ノ内にかけての区間は、一般車両と同じ路面を走ります。

嵐電には、難読駅名が続きます。ちょっとクイズです。読めますか(ルビの部分は画像処理で消してます)。答えは下の「続きを読む」をクリックしてください。

河原町御池。京都市役所とは対角の東南角からちょっと東に歩くと、狭軌1型21号車がとまっています。御池通の歩道から、フェンス越しに見ることができます。

「京都カトリック信愛幼稚園」の園庭です。

トロリーポールが前後に向けて2本付いています。
明治村でも、梅小路公園でもポールは1本で、終点に着くと車掌がロープを引っ張って転回させてました。
何度も紹介しているバイブルにしているグラフ誌「N電京都市電北野線」をくっていると、ナゾが解けました。
京電として開業した当時は単線架空線式で、ポールは1本でした。その後、開業した京都市営の路面電車は、マイナス電流を地面に流すのは危険ということで複線架空線を採用しました。市電に吸収された京電の車両は、ポールが2本(どちらも後ろ向きで平行に並んでいる)に改造されました。時を経て、第2次大戦時の資材難から、再び単線化されたのです。そのとき、ポールを前後にのばすように改造して、終点での折り返し運転を楽にしたのです。
というわけで、京電時代のオリジナルに復元された明治村の2台や梅小路公園のは、1本ポールなのです。

京都カトリック信愛幼稚園 地図
075-231-4690
〒 604-8006 京都市中京区河原町通三条上る下丸屋町415
(撮影は9月23日)