「にゃん凸堂」の気になるジオラマ

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 知人が教えてくれました。「おもしろい店を見つけた」と。
 ジオラマ制作・販売の「にゃん凸堂」です。長さ40センチほどの既製展示用ケースに収まったNゲージのジオラマが、いくつも並んでいます。
 わたしの「小さな改札口」のある田舎駅は、まだ完成してません。お手本にしようと、見つめました。

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 自信作のシーンを写真撮影、プリントアウトしたポストカードもありました。「気に入ったのがありましたら、どうぞ、お持ち帰りください」ということで、2枚、いただいてきました。

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 どの商品にも値札はありません。
 奥さんとおぼしき女性に聞きました。「いくらくらいするのですか?」。「まだ、商売はしてないのですよ。もうすこし増えるまで」

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 奥をのぞき込むと、制作途中のジオラマや、かわいいレイアウトがありました。

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 阪急・京都線の西京極駅を降りて、駅前の道を東へ進みます。葛野(かどの)大路を渡った次の交差点の南西角です。といっても「にゃん凸堂」の看板はでていません。介護・福祉用品の「らくらく堂」です。そちらが本業のようです。
 らくらく堂/にゃん凸堂  地図
 075-315-5653
 〒 615-0805 京都市右京区西京極東池田町9

「なつかしの電車」(2) 3号車をつくる

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 朝から雨が降ったりのヘンな天気の一日でした。どこにも出かけずに、工作三昧でした。
 「なつかしの電車」(さんけい製)の3号車を製作しました。接着剤がが乾くのを待って、ゆっくりと作業しました。

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 精巧にレーザーカットされた3枚のペーパーを組み立てます。窓に張るプラ板も付いています。

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 側板の製作です。窓枠を重ね、旧都市電カラーの下板を張り付けます。

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 台車です。接着剤は、木工ボンドを、筆で塗ってます。

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 天井は丸いカーブを描いています。
 キットには、パンダが付いてます。しかし、いっしょに入手した1号型からビューゲルを拝借してきました。

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 まあまあの仕上がりとなりました。
 京都市電の「500型」の再現です。

住宅地の中にとまる「1849」@京都・樫原「でんしゃ公園」

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 「なつかしの電車」のモデルとなっている京都市電1800型が保存されている「でんしゃ公園」です。ちょっと回り道して、会いに行きました。
 全体の塗装はかなりハゲハゲで、老朽化を感じさせます。でも「1849」のナンバーは鮮やかです。

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 「樫原児童公園」というのが、事前に調べた所在地でした。ネットの地図を見ると、物集女(もずめ)街道をはさんで東西に二つの「樫原児童公園」があります。どちらかだろうと行ってみました。でも、どちらにもありませんでした。
 「このへんに京都市電が保存されません?」。東側の公園で聞きました?
 「それだったら、あっち」
 教えられたとおりに公園の北側の道を東へ樫原小学校に向かって行くと、いました。まるで、住宅街の中です。

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 「でんしゃ公園」は、ちょっと大きな家1区画ほどの広さです。京都市の管理する児童家公園なんでしょうか? ちょっと違うような気もします。

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 電車の窓にはカーテンが閉まっていて、内部の様子はわかりません。

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 京都市電の車両は、あちこちの児童公園に払い下げられました。でも、今も残っているのは、多くはありません。いつまでも大事に保存していただきたいです。

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 「京都市西京区樫原五反田」というのが所在地です。

「なつかしの電車」(1) さんけいを訪ねる

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 昭和の京都の町を、市電が走ります。懐かしい光景です。

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 JR嵯峨駅の前にとまっているのは、嵐電でしょうか?

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 この車両は、ペーパー製キットを組み立てたものです。「みにちゅあーとプチ なつかしの電車」のタイトルで、京都のメーカー「さんけい」が発売しています。さっそく、その会社へ行き、1号車と3号車(どれも980円)を買いました。
 1号車は、京都市電の1800型をモデルにしているのは明らかです。

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姿を消す「ひかりレールスター」

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 JR山陽新幹線の人気列車「ひかりレールスター」が2011年春以降、順次廃止されることになりました。車両は、「こだま」に転用されます。
 姿を消すのはまだ先ですが、15日に新大阪から岡山まで乗りました。
 新大阪のホームを出発する列車です。

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 わたしが乗る列車が、ホームに入ってきました。隣のホームには、100系「こだま」がとまっています。

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 「かものはし」の愛称がある700系が、8両編成になってます。

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 大阪よりの先頭車にはコンパートメントもあります。乗ったことはありません。

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 電光掲示板に「Rail Star」の文字が流れます。案内チャイムは、Discover Japanのテーマ曲だった「いい日 旅立ち」です。懐かしいです。
 かつて、岡山に勤務していたときは、レールスターなんてありませんでした。でもこのメロディーは流れていたのでしょうか。

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 11月に姿を消す「0系」にも会いたかったです。
 帰り道の島本駅にあったパンフレットです。0系が動いている時刻表が出ています。それを見ると、岡山駅で遭遇することが可能でした。まだまだ「鉄分」が足りません。

京都 石塀小路の石畳

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 京都・祇園の「石塀小路(いしべこじ)」を歩きました。
 清水寺から産寧坂、二年坂と下り、豊臣秀吉の妻、寧々ゆかりの高台寺近くまできます。左手に、あまり目立たない路地があります。そこが、目指す石塀小路です。

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 小料理屋など、夜が商売の店ばかりです。昼間は人影もまばらです。

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 ジグザグの道を、石塀に沿って下っていきます。

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石塀小路5

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 最後は、民家の下を通り抜けます。
 向こうから不思議そうにこっちを見ていたビデオ片手の外人さんに話しかけました。「高台寺への近道ですよ」と。わたしの英語、通じたかな?

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 通りに抜けると祇園下川原です。こんな風景にも出会います。といってもこれはホンモノの舞妓さんではありません。こんな衣装に変身して、町を歩く舞妓体験が流行っているのです。
 ところで、、このページのカテゴリーが「京都市電の残影」となっているのに気づかれましたか。電車は登場しませんがね。
 小路の御影石が、京都市電の軌道敷に敷かれていた石なのです。京都市電の廃止後、取り外した石が再利用されました。銀閣寺近くの哲学の道や、西京極競技場のマラソンゲート前などにも敷かれています。

北野線の遺構を発見!!

北野線1

 梅小路公園からの帰り道、傘をさして歩きました。七条西洞院まできて、「そうだ、ここを北野線が走っていたのだ」と立ち止まりました。
 北野線が廃止になった昭和38年(1963)から45年もたっています。当時を伝えるものなどあるはずがないと思ってましたが…。
 左側の3本目の電柱に、釘付けになりました。他のコンクリート製の電柱とは、この1本だけが明らかに違います。

北野線2

 近づいて見上げました。擬宝珠(ぎぼし)をかぶせたような、特徴的な格好をしています。

錦林車庫

 昔の市電の架線を支える電柱は、鉄製(?)でした。どれもてっぺんに個性がありました。この写真は、旧錦林車庫(左京区)の前に残る電柱です(2008/06/28撮影)。
 鉄のパイプをつなぎあわせた電柱なので、中は空洞です。だから頭に「帽子」が必要なのでしょう。

北野線3

 「RM Library N電 京都市電北野線」(ネコ・パブリッシング)は、「京都市電の残影」を追ううえでのバイブルのような出版物です。「北野線のちんちん電車「N1」」では、大阪市立中央図書館で借りたものでしたが、その後、購入しました。
 それを調べると、34、35ページに、こんな写真がありました(撮影・高橋弘氏)。七条西洞院からの光景です。
 左側の信号機の下に写っている電柱を見てください。よく似てると思いませんか。
 この写真は、七条から北を見ているのか、南を見ているのかは不明です。それにしても似ています。

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梅小路公園を走る「N27」

梅小路公園1

 朝からの雨も上がったようなので(実際には、また降ってきました)、買い物のついでに京都・梅小路公園に出かけました。
 「狭軌1型27号車」(N27)が動態保存されています。
 午後3時すぎですが、雨のため空は暗く、ライトを点灯しています。2重ルーフのガラスから漏れる明かりが素敵です。

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 JRの「梅小路蒸気機関車館」の外周に沿うように線路が敷かれています。

梅小路公園3

 「N27」は、北野線が廃止になる昭和38年7月31日まで、現役で走ってました。運転席のガラス窓が取り払われて、オリジナルの京電カラーに塗装されています。

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わたしも会いたいスイス鉄道「クロコダイル」

クロコダイル

 精巧な1番ゲージ模型です。スイス国鉄Ce6/8Ⅱ「クロコダイル」です。
 スイスからイタリアへ超える「ゴッタルト峠」で使用された機関車です。急勾配急曲線の山岳線を、ワニのように身をくねらせて重量貨物をひいたことから、この愛称がついています。

原信太郎

 鉄ちゃんの会社の同僚から「行きますか」と招待券をもらってました。大阪・梅田の阪神百貨店で開かれていた「鉄道模型フェスティバル」をのぞきました。そこに展示されていたのが、鉄道模型製作歴76年という原信太郎氏のクロコダイルでした。13歳のときに、トタン板にタガネで窓を開けてつくったという第1号機関車も並んでました。
 「スーパー鉄道模型 わが生涯道楽」(講談社α新書)に、原氏の鉄道模型にかける熱意が書かれています。

スイス鉄道

 会社の帰りに、大阪市立中央図書館(西長堀)に寄り、ネット予約していた本を借りました。「スイス鉄道一人旅 行き当たりばったり路線ガイド」(知恵の森文庫、写真中央)です。1999年のスイス鉄道旅行記です。わたしが読んでいた、よく似た「予定なしの乗りまくりガイド」(同)は、2000年の旅行記です。
 帰りの電車でさっそく読んでいると、すぐに「クロコダイル」が登場しました。
 『この鉄道(イヴェルドン・サント・クロワ鉄道=YSteC)にはクロコダイル(鰐)の形をした名物電気機関車がいるのだが、これにまず敬意を表さないといけない』
 
 そして筆者が最初の夜に泊まるのが、モンボヴォンという町の『駅の真ん前にあるホテル』です。

モンボヴォン

 そこなら通ったことがあるはずです。1年前の写真を調べました。私が乗ったGPL(Golden Pass Line)の時刻表から11時30分すぎに通過しています。写真の撮影時間から、田舎駅のカットを割り出しました。拡大してみると、左側の道路沿いにある「50」の制限速度表示版の下に「Montbovon」の文字を確認できました。
 ああ、わたしも「クロコダイル」に会いに行きたいです。

草軽電鉄草津温泉駅跡は、草に埋もれて

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 草軽電鉄は、長野・軽井沢と群馬・草津間55.5キロを結んでいた軽便鉄道です。廃線になって久しいです。
 終点の跡地には、「草軽電気鉄道草津温泉駅跡」の石碑だけが建っています。

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 石碑は廃線約20年後の昭和58年に建立されています。

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 草が生い茂った「浅間台公園」の一角にあります。

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 偶然入った「道の駅」で、草軽の「デキ12」に遭遇しました。1/2か1/3の模型です。日本工業大学東京工業高校で製作されて寄贈されたと書かれています。

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 垂直に伸びる特徴的なパンタグラフが再現されています。「かぶとむし」と呼ばれた格好がよくわかります。

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 JR軽井沢駅前には、実物が保存展示されているそうです。それを見に行くつもりでした。ところが、軽井沢に行った最終日は雨。軽井沢駅南口のアウトレット・モール「軽井沢プリンス・ショッピング・プラザ」から、中軽井沢の「村民食堂」に直行してしまいました。旧JR信越線・碓氷峠の登りにあるアプト式軌道の「めがね橋」も、断念しました。
 そういえば、わが「草軽駅」もほったらかしになってます。涼しくなれば、工事を再開します。