大阪・綿業会館の意匠

綿業会館の意匠

 綿業会館は、昭和6年(1931)、日本綿業倶楽部の建物として竣工しました。設計は渡辺節、ヘッドドラフトマン(何をする人でしょうか?)は村野藤吾(この人は知ってます)です。
 当時の金で100万円を寄付するひとがいて、これに50万円の拠出金を加えると、現在の75億円ほどになります。その半分以上が、内装に使われたそうです。
 某新聞社主催の歴史探訪サロン「昭和政財界の舞台-綿業会館」に参加しました。このビルには「繊維」の記者クラブがあって、何度か入ったことはありましたが、今回、食事付きでゆっくりと見ることができました。

綿業会館の意匠5

 まずは玄関ホールです。イタリア・ルネッサンス調にで、大理石はイタリアから運ばれました。

綿業会館の意匠7

 談話室の壁面は、京都・清水焼を使ったタイルでできています。
 飾られている写真は、昭和7年に満州事変の国際連盟調査団としてやってきたリットンらの一行が大阪経済界と会談したときのものです。

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