京都検定の問題集があります。「京都1000問ドリル」(京都おおきに学会編、講談社、952円)。
正解率601問以上 「たいへんよくできました」
正解率401問から600問 「よくできました」
正解率400問以下 「もうすこししっかりやりなさい」
いや、難しい。テーマによってはほとんどできません。この本は、丸善京都河原町店の最後日に買いました。毎朝、通勤の車中でシャープペンシル片手に試しながら読みました。
「あるく京都」(移動教室出版事業局、743円)は、梅田の紀伊国屋で探しました。「膏薬図子」とかがどこにあるのかを地図で確かたかったからです。いろんな地図がありましたが、これが、目的にあってました。
「京都の不思議」(黒田正子著、光村推古書院、1700円は)は、京都のことをネットで検索してると、よくヒットするのでタイトルは知ってました。きょう、京都の書店で平積みになっているのを見つけて買いました。初めて聞いた出版社です。
「清水の舞台から飛び降りた人は本当にいる?」といったテーマを並べた京都雑学エッセイです。
こんなのを読んでると、次の休みはどこに行こうかと、京都が新鮮に見えてきます。
天使突抜通を突き抜ける
「天使突抜通(てんしつきぬけどおり)」。なんとすばらしいネーミングでしょう。そんな名の通りが京都・下京区の西洞院通と油小路通(あぶらのこうじ)の間にあります。
東中筋通を下りました。松原通の交差点は天神前町です。そこからさらに行って振り返ると、ありました。「下京区東中筋通松原下る天使突抜1丁目」の町名表示です。
「天使突抜通一丁目」はここです。最近では、通崎睦美さんの本のタイトルで有名です。京都市立芸大卒のマリンバ奏者で、アンティーク着物のコレクターであり、その着物の着こなしで話題になっています。生まれがここで、住宅地図にも同じ姓の家が載っています。
大学の後輩の娘が「通崎好み」という本を持っていたので、ちょっと斜め読みしたことがあります。
消火器の箱です。でも、こんな省略の仕方は天六、谷九、日本一の大阪だけかと思ってました。
立派な門柱の礎石が残ってます。金属のアーチには、電球が付いていた痕もあります。路地を入ってみましたが、変わったモノはありませんでした。それにしてもいわくがありそうです。
住宅が取り壊されたあとは、とりあえずタイムパーキングに、という都心の風景です。それにしても「てんしつきぬけ」かと関心していると、次に見つけたのはそのものズバリ「天使ガレージ」です。ちょっとくたびれた看板ですが、降参です。
天使突抜通は五条通を越えて六条通まで続いてました。
ここまで来ましたが、残念ながら名前以上の景観にはお目にかかれませんでした。
天使突抜通の名は、この五条天神からきています。松原通西洞院の南西角にあります。ちなみに昔の五条通は、現在の松原通だそうです。
「五條天神由来」によると、桓武天皇が京都に都を定めたとき、都の平安を守るために、大和の国宇陀郡から天神(てんしん)を迎え「天使の宮」として建立した神社だそうです。当時、洛中では最も古い神社で、最大の鎮守の森を有していたそうです。
この「天使の宮」を貫通してできた道だから「天使突抜」というわけです。「天使」といってもエンジェルの天使とは関係なかったようです。
五條天神は義経と弁慶が出会った場所とも言い伝えられています。「京の五条の橋の上…」という童謡の橋は、現在の鴨川の五条大橋(石碑があります)ではなく、当時は五条天神の東側を流れていた西洞院川にかかっていた橋のことです-と由来は説明しています。
膏薬図子を歩く
四条通に面した堺町通と柳馬場通(やなぎのばんば)の間ビルに料理教室はあります。腹ごなしにここを出て、西に向かって歩きました。
京の通り名のうち、東西の通りは「あねさんろっかくたこにしき(姉三六角蛸錦)…」としてよく知られています。今も、京都S大学のテレビCMのバックグラウンドで流れています。
南北の通りについては、わたしもよく知りませんが、こんなのがあるようです。
てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい
寺 御幸 麩屋 富 柳 堺
たか あい ひがし くるまやちょう
高 間 東 車屋町
からす りょうがえ むろ ころも
烏 両替 室 衣
しんまち かまんざ にし おがわ
新町 釜座 西 小川
あぶら さめがいで ほりかわのみず
油 醒井で 堀川の水
新町通を越え、西洞院通(にしのとういん)までのところに幅2メートルほどの細い道があります。上京区では京都府庁の前の釜座通(かまんざ)ですが、下京区の四条から下がる小路は「膏薬図子(こうやくずし)」の名が付いています。
四条の角に立って住居表示を見上げました。
通りの東側は「下京区四条通新町西入下る新釜座町」とあります。
西側は「四条通西洞院東入郭巨山町」となっています。
「郭巨山(かっきょやま)」は、祇園祭の山の名前で、この家が保存場所になっています。屋根の上には魔除けの「鍾馗(しょうき)」がのっています。
細い道をちょっと入っただけで、静かな別世界です。左手に路地がありました。入り口には路地の奥にある家の表札が並んでいます。
民家の壁に埋め込まれたような祠があります。その名は神田神宮。「天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」と由緒が書かれています。
下総国で戦に敗れた平将門の首が都へ運ばれ、ここで晒されたが、ある夜、光を放ちながら東方へ飛び去ったそうです。
膏薬図子は途中で鉤型に曲がっています。
将門の霊を弔うため、空也上人が念仏道場を建てたそうです。その御堂が「空也供養(くうやくよう)の道場」と呼ばれていましたが、いつしかなまって「膏薬」なってしまったというのです。まるで、冗談のようなホントです。
図子の長さは160メートルほど。南側の綾小路からみたところです。
綾小路の東角には杉本家住宅(京都市指定有形文化財)があります。ここは祇園の伯牙山の飾り場にもなっています。
陽気なスペイン料理を囲んで
今月の「おもてなし料理の会」は「陽気なスペイン料理を囲んで」です。
あさりのパエリアと魚介のスープ煮です。
先に魚介をたっぷりのスープで煮て、そこからスープを取ります。そのスープでパエリアを炊きました。
飲み物は「サングリア」です。オレンジの果汁に赤ワインをいれて冷やしました。
アボカドディップは、アボカドの果肉にレモン汁をとタマネギのみじん切り、ミニトマト、それにすったニンニクを入れて作りました。
オレンジのサラダは、オリーブオイルであえてます。
スパニッシュオムレツには、ジャガイモ、タマネギ、赤ピーマン、黒オリーブを混ぜて焼いてます。
われわれのテーブルの作品です。パエリアはちょっと焦げ付いてしまいました。米に芯が残ってますが、それでもおいしいです。
白梅図子はどこに?
「路地」、これを京都では「ろーじ」と発音します。先日、祇園の路地を歩きました。表通りから一歩入っただけで、まるで別世界にまぎれこんだような静寂が支配していました。もっと路地を歩きたくなりました。
「図子」(「逗子」とも書くようです)。平安京の条坊制の名残で、通りで区切られたブロックの内部を貫通する細い道が図子です。
図子で私が最初に思いついたのは「白梅図子(しらうめずし)」です。
昔、四条河原町から下鴨の自宅に帰るときは、市バスの4系統「深泥池」行きか14系統「松ヶ崎」行きに乗りました。河原町を上がってきて「府立病院前」の次のバス停が「白梅図子」でした。でも、当時は図子の意味も、それがどこにあるかも知りませんでした。
白梅図子は、明治7年に消滅するまで「花街」として栄えたそうです。
町家風の古い家です。2階には虫籠(むしこ)窓もついています。
同じ通りに「大久保利通旧邸」という石碑もありました。
この崩れかけた(失礼)店は、もとはすすし屋だったようです。
古い住所表示がありました。「中筋通、石薬師上ル」とあります。ここではないようです。
地図の黄色の道かと思ってました。①の表示がある家の夫人が出てこられたので尋ねました。
「河原町の角に武長という竹屋さんがありますやろ。そこをはいったとこです」
「南北の通りなんですか」
「はい。そうです」
緑色の道という説明です。②で、車を洗っていた男性に聞きました。
「そこを曲がって河原町に出たところに、わたしの子どものころには白梅図子というバス停がありました。だから、その右に曲がった通り(青色の道)と違いますか」
さらに指さされた角、③で家から出てこられた夫人に聞くと「河原町の向こうと違いますか(赤色の道)」
ああ、振り出しに戻りました。
ネットで検索していたら、こんな記事と古地図に行き当たりました。
赤色の道のようです。これで一見落着です。
現在はこんな感じです。
左(南)側は、、寺の塀が続いています。もはや、かつての花街を感じさせるものはもとより、標識などに「白梅図子」という表示は見あたりませんでした。すでに、忘れ去られようとしているようです。
久乃家のサンマ定食
秋の定期健康診断を午後1時から受診しました。起き抜けに「毒だしジュース」を飲んだだけですから、さすがに腹ぺこです。エレベーターで一緒になった同僚に話しかけました。
「どこに食べに行くの?」
「ブログ、拝見しました。よかったら、わたしの知ってる店を紹介しますが」
で、やってきたのが「久乃家」です。「すき鍋定食」などの鍋も人気のようですが、「魚、いけますよ」の推薦の言葉にのって「サンマ定食」(700円)を頼みました。待つこと、しばし。注文を聞いてから焼いたようで、よく太った焼きたてのサンマがでてきました。ご飯はお櫃に入っており、足りなければ追加できます。漬け物も食べ放題ですから、魚が焼けるまでに一膳食べてしまいそうです。
建物は木造3階建てで、ちょっとくたびれてますが、なにやら由緒がありそうです。
続々・丸善 「ミニ檸檬」
雑誌「Lapita」の11月号(980円)です。
ラピタ×丸善コラボスペシャル企画として「ミニ檸檬」が付いてきます。
「ミニ檸檬」とは、万年筆愛好家たちの間で伝説となっている、ある万年筆をミニ万年筆として復刻したもの。ステーショナリーや洋書などを販売する丸善が1000本限定で販売、たちまち完売した幻の万年筆「檸檬〈LEMON〉」(発売当時価格2万8000円)である。丸善を愛した作家・梶井基次郎の名作『檸檬』にちなんで作られたもので、その鮮やかなレモン色が印象的な万年筆だ。(Lapitaより)
閉店の日に行った丸善京都河原町店にはありませんでした。ところが、きょう、会社の隣のビル、O-Catに入っている丸善にいったら、ワゴンに載せて売ってました(写真は携帯で撮影しました)。
かわいいサイズです。バックが10ミリ方眼です。くるまのキーは他意があります。「ルノー・メガーヌ」のキーと一緒に写しているブログがありました。わたしも、愛車の「へへ印」を並べました。上は愛用の万年筆「Pelikan400」のうちの1本です。
娘に見せたら「檸檬だ、檸檬! 欲しい!!」。で、譲ってしまいました。もう1本(いや、1冊)買わなくては。「iPod nano」のときは首を横に振りましたが。
タイレストランのバイキング
寺町を御所に沿って歩き、同志社の前を通り、やってきたのは烏丸今出川。ここが目的地ではありませんが、腹がへったなあと歩いていると、タイレストラン「イーサン」がありました。店内をうかがうと、繁盛しているようです。
みんな、バイキング(1200円)を頼んでいるようです。仕切りのついた松花堂弁当のような(四角ではありませんが)器がでてきました。これに好きなモノを取ります。最初は、味を警戒して控えめにしました。
左上は、鶏肉とレバーをピーマンなどの野菜と炒めたものです。上中央は手羽先の唐揚げタイ風味です。右上はタイ風焼きうどん(?)といった感じで、幅が3センチほどもある平べったい麺を野菜とともに炒めてました。左下は野菜サラダにナンプラー入りのドレッシング、右下はタイ風ピラフ(正確な名前はわかりませので、とりあえずタイ風とつけておきます)です。日本人の舌にあわせているのか、どれもおいしいです。
2度目は、タイ米にホワイトカレーをかけて食べました。これは辛いですが、タケノコなんかも入っていて、いけます。
サラダのコーナーです。野菜の他にも、豆、果物が並んでいます。ドレッシングは、あまりわからないのもあります。
メーン料理が、並んでいます。どれをとればいいのか、迷ってしまいます。
続・丸善京都河原町店 檸檬
京都の丸善といえば、梶井基次郎の短編「檸檬」です。店を入ったところに檸檬のコーナーがありました。文庫本の「檸檬」が1000冊も積まれ、本の上に檸檬をそっと置いていく人までいたそうです。
変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑(ほほえ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩(いろど)っている京極を下って行った。
「檸檬」は、1925(大正14)年、同人雑誌「青空」に発表されました。となると、原文に登場する丸善は現在地ではありません。寺町三条西入ルの現在の「有本洋服店」あたりあったようです。
ついでながら、「有本」は亡くなった父親のひいきの店で、リクルートスーツやモーニングなどを作ってくれました。わたしは、ここでスーツを誂えるくらいなら、吊しを数着買う方の人間に育ってしまいました。
とうとう私は二条の方へ寺町を下(さが)り、そこの果物屋で足を留(と)めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗(うるしぬ)りの板だったように思える。
丸善を出て、寺町を歩きました。やって来たのは二条の角にある果物店「八百卯」。「私」が檸檬を買ったという店です。
カメラを構えていると、後で声がしました。
「丸善がなくなるんで、きっとここの写真も撮ってはるんや」
その通りです。
丸善京都河原町店 最後の日
「本日は午後7時で閉店します」とのお知らせが掲出された丸善京都河原町店です。
「明治5(1872)年に丸善京都店(丸屋善吉店)として開店し、昭和15(1940)年には河原町の現住所に店舗を構え、以来永きに亘り…。近年、河原町地区の商業環境の変化や店舗の大型化傾向に伴い、現状店舗ではお客さまのニーズに十分にお応えすることが難しくなり…。出来るだけ早い時期に再開店のご案内が出来ますよう努力して…」(閉店のお知らせより)
洋書といえば丸善-といったイメージで、学生時代にはペーパーバックスを何冊か買った思い出があります。「老人と海」「マイ・フェア・レディー」。
文具売り場も充実しています。今春には、愛用していた(ここで買った) Pelikan の万年筆を修理してもらいました。
3階の文具品売り場です。さすがに50%off、30、20%offで、商品棚は空っぽです。
おなじみの丸善のブックカバーと袋です。きょうは、記念品として鉛筆2本がついてきました。
わざわざ丸善まで出かけたのは「京都検定」を申し込むためでした。受験料3150円も支払ったので、まじめに勉強しなくては。
丸善のビルです。立派なモノですがね。「白杖デー」ということで、河原町を「歩道にモノを置かないで」などと訴える一団がパレードしていました。