四国88 民宿・岡田の1泊2食6000円

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お遍路でお世話になるのが遍路宿です。雲辺寺の上り口にある「民宿・岡田」はそんななかでも、人気の民宿です。一緒に区切り遍路を始めて、3月にここに泊まったS君からも「ぜひ泊まるように」と勧められていました。

この日のチェックインはまだ12時半。早く着きすぎましたが、気持ちよく部屋に通されました。一番乗りだったので、部屋の2方向に窓がある角部屋でした。心地よく風に吹かれて昼寝を楽しみました。

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夕食は、刺身と煮魚、ハンバーグ。S君のブログに載っているのとほとんど同じです。
連泊する人はいないので、問題ありません。

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名物ご主人の岡田さんは御年84歳。お元気そのもので、食事中の客に雲辺寺へのルートを詳しく解説してくださる。お遍路にまつわる話題はつきません。これが最大のおもてなしです。

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朝食は質素ですが、これだけあれば十分。ご飯のお代わりをして元気を蓄えました。

さらに「お接待」ということで、昼飯用のおにぎりまでいただきました。「1泊3食6000円、洗剤つき」と訂正します。
洗剤付きというのは、遍路宿に到着すると汗で汚れたウエアを洗濯機を借りて洗濯します。洗剤は別個支払うのが当たり前ですが、岡田は「タダ」でした。

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ご主人の笑顔に見送られて雲辺寺への道を歩み始めます。

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民宿・岡田
徳島県三好市池田町佐野牛頭586‎
0883-74-1001

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徳島・三好 「水車」の鰹たたき定食 (再)

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 お遍路2日目の25日は、伊予路最後の札所・三角寺を打った後、国道192号を東に向けて歩きました。徳島県との県境の境目トンネルを抜けて、もうすぐその夜を予約している民宿についてしまうという寸前に「お食事処 水車」はありました。
 体は、すでに完全干上がってます。ビール目当てに飛び込みました。
 
 「ライブ」でiPhoneからアップしてますが、再掲載です。

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 こんな山の中だからとあまり期待しないで頼んだ「鰹たたき定食」(1200円)は、予想外の豪華版でした。

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 冷奴にこんにゃく、酢の物とどれもいい味です。

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 当然のごとく、生ビールも注文しました。しばらくしてすまなさそうに「生ビールのサーバーの調子が悪くて。ビンでもよろしいですか」。
 冷たければOKです。おつまみにベビーラーメンがついてきました。

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 水車 
 徳島県三好市池田町佐野大坪1334-2
 0883-74-1301

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四国88 石鎚山の中腹、横峰寺からリ・スタート

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 区切りお遍路をリ・スタートさせました。昨年10月以来です。
 出発は、石鎚山の中腹にある深山の霊場、60番横峰寺です。
 前回最後の59番・国分寺からは28.5キロもあります。この間は、「省略」させていただきました。

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徳島・三好 「水車」のたたき定食

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暑いなかを歩きました。
伊予三島の駅前ホテルを6時に出発。山道を登り、65番三角寺打ちました。あとは長い道をひたすらひがへ。伊予路を終わり、いつたん阿波に入った国道筋に食堂発見。滑り込みました。
こんな昼飯は、期待以上でしたが。
早く宿に到着。あすは、最大の難所、雲辺寺です。

お遍路 スタート

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 夜行バスで伊予西条に着きました。
 久しぶりのお遍路に出発します。

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 朝飯は、ローソンで買ったサンドイッチです。
 駅前で、最初の札所、横峰寺の登山口まで上がるバスを待ってます。

 3日かけて観音寺市の70番本山寺までを打つ予定です。菩提の道場・伊予路から、いよいよ最後の涅槃の道場・讃岐路に入ります。

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西高野街道 高野山女人堂への里程石をたどる

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 「週イチ20キロ」の12日は、堺の大小路から河内長野の東高野街道との合流点まで続く西高野街道を歩きました。
 高野山を目指すこの参詣道には、女人堂までの一里(約3.9キロ)ごとに里程石が残っているそうです。
 最初の「十三里石」は、南海・堺東駅から東に進んだ地蔵堂の脇にあります。
 「是より高野山女人堂江十三里」と刻まれています。高野山女人堂への13本の里程石は安政4年(1857年)に建立されました。
 すぐ先は、竹内街道との分岐です。

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 十二里石は、白鷺公園を越えたあたりの地蔵堂にあります。地名の堺市東区関茶屋は、そこに街道の茶屋があったということなのでしょうか。

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 十一里石は、狭山池近くに石柱だけが残っています。

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 十里石は、南海・滝谷駅近くにあります。ここも民家の塀際に石柱だけが立ってます。

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 西高野街道にある最後の九里石は、終点の河内長野近くにあります。地蔵堂には、大峰山の「三十三度」の碑なども並んでいます。

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東高野街道を高野へ その4 近鉄・古市~南海・河内長野

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東高野街道のその4は、近鉄・古市から終点の近鉄・南海・河内長野までです。歩いたのは3日です。
ここで、堺から続く西高野街道と合流し、高野街道となって高野山へと続きます。
富田林には立派な寺内町が保存されています。なかでも重要文化財の「旧杉山家住宅」は、往時の商家がそのまま残っています。

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端午の節句を前にして、石川の河川敷にはたくさんの鯉のぼりがはためいていました。向こうは金剛山です。

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東高野街道を高野へ その3 近鉄・石切から近鉄・古市

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週イチ20キロ。そんなのが習慣になりつつあります。
今週も歩きました。「東高野街道を高野へ」のその3は、近鉄・石切から近鉄・古市までの約23キロでした。
この区間は、近鉄の5路線を越えていくという「鉄っちゃ」の旅でもありました。

石切から歩き始めてすぐ。ひと駅戻った額田駅で奈良線を越えました。踏切が閉まる音に振り替えると、奈良行の急行が通過しました。三宮から乗り入れている阪神電鉄の車両です。

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東高野街道を南下して大和川に突き当たるところまで歩きました。
高架下が大阪線の安堂駅でした。急行が通過してゆきました。

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大和川を渡ります。道明寺線の鉄橋が並行してます。向こうが柏原南口です。
道明寺線は南大阪線の道明寺から分かれてJR柏原とを結ぶ短い支線です。終点近くには同じ近鉄の大阪線・堅下がありますが、そことは接続してません。鉄道開拓の歴史があります。
仮に今、つなげても、狭軌(南大阪線)と標準軌(大阪線)と線路幅が違い、相互に乗り入れることはできません。

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土師ノ里近くで南大阪線の踏切を越えます。吉野行の特急が通過しました。

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今回のゴールとした古市です。向こうに長野線の河内長野行きが止まっています。
古市は、道明寺線-長野線の方が先に誕生して、その後に南大阪線ができたはずです。そのため筆記体の「X」のように道明寺線-長野線の方が直線です。なにかの本で読んだおぼろげな記憶です。

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東高野街道を高野へ その2 京阪・郡津~近鉄・石切

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 東高野街道を南下する2回目です。
 春とはいえ、ちょっと肌寒い日和でしたが、街道筋にはレンゲも咲くのどかさも残ります。

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 JR学研都市線・星田駅前には、見事なフジが咲いてました。

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 「野崎参り」で知られる野崎観音(慈眼寺)に参りました。初めてです。

 京阪・郡津から歩き始めて20キロほど。最後は街道から外れて近鉄・石切で区切りとしました。

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