平安時代の陰陽師、安倍晴明の旧跡を歩きました。
晴明神社は修学旅行生などの人気スポットとなっています。初めて参りました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」にも登場。ユースケ・サンタマリアが演じています。神前の肖像はちょっと雰囲気が異なります。
金輪(かなわ)井は、晴明の調伏の祈祷によって別れた妻に呪われていた夫が助かるという謡曲にもなっている舞台です。
晴明のこぢんまりとした墓は、嵯峨にありました。
【2024/06/01 10:10】
阪急烏丸で下車して、大丸京都店の前から歩きました。
自転車通行禁止はわかりますが、この交通標識はいつの時代のものでしょうね。荷車って。
堺町松原からちょっと下がった民家の前に「金輪跡」の碑が立っています。
「京都人の密かな愉しみ」(NHK-BS)のロケ地を訪ね歩いていた時にも、ここまで来たことはありました。でも中に入るのははばかられました。ネットで調べると、見学可とのことでした。
「縁切井戸」としても有名で、この井戸水を飲ますと相手との縁が切れるといわれ、わざわざ水を汲みに来る人もいるそうです。
細い路地の先にあります。
堺町を上ると、民家の脇に「源語傳説 五条辺 夕顔之墳(つか)」と刻まれた石標が立っています。夕顔は源氏物語の登場人物で、光源氏が見いだして通った女性です。
ドラマでのまひろと道長の廃屋での逢瀬のシーンとイメージが重なります。
「歩いて楽しいまちなか戦略」のシンボル標識です。
オドリギソウでしょうか。
松原橋を渡ります。昔は、ここが五条橋でした。
義経と弁慶の「京の五条の橋の上」も、この橋が舞台です。
五条橋の東詰、松原宮川町辺りに晴明の家はあったといわれます。地名からすると茶色の家辺りでしょうか。
晴明が没したときに塚が築かれ、ここに埋葬されたともいわれます。
左に延びるのは京都五花街にひとつ、宮川町です。
松原通をさらに東に行くと平安京の三大葬送地、「鳥辺野(とりべの)」です。
六波羅(六原)の辺りは路地(ろうじ)が入り組んでいます。そのひとつひとつに名前がついています。
愛宕(おたぎ)念仏寺の跡地の石標がありました。現在は愛宕山の麓の鳥居本にあります。鴨川の洪水で流失しましたが、最初はこの地にありました。
かつて、この辺りに晴明辻子もあったそうです。その辻子はどこだったのでしょうか。
路地探検が楽しくて、歩き回りました。7年ほど前にも歩いています。見覚えのある路地もありました。
京都・六波羅あたりの路地を巡る
冥土との境の六道の辻です。
晴明と同じ陰陽師の小野篁の邸宅があった六道珍皇寺です。ただし篁の方が100年ほど年上です。
京都では、お盆の前に「六道まいり」して祖霊を現世に招き寄せるお招来(しょうらい)の風習があります。わたしも母の初盆のときに参りました。
篁が夜ごと、冥界との間を往復した「冥土通いの井戸」が奥にのぞけます。
路地探検などで思わぬ時間をくってしまいました。おまけに暑さです。次のスポット、寺町蛸薬師近くの長仙寺はカットしてバスで堀川丸太町に向かいました。
清水寺への道は、観光客でいっぱいでした。
丸太町美福通の北西角にあるマンションです。玄関前になにやら見えます。
「平安京中務省東面築地所跡」ということで、この辺りに晴明が勤めた陰陽寮がありました。
次のポイントに向けて歩いていると、黒壁の前に「徳川家康邸跡」の石標がありました。
回り込むと佐々木酒造でした。
「光る君へ」でまひろ(紫式部)の夫となる藤原宣孝を演じている佐々木蔵之介の実家です。数年前の民放ドラマでは晴明も演じています。
京都ブライトンホテルまでやってきました。南西角の駐車場となっているあたりに晴明の邸宅はあったそうです。
土御門通というのが邸宅の地名です。
藤原道綱が住んでいた一条邸跡です。ドラマでは上地雄輔が演じている道長らの異母弟です。
一条戻橋を渡ります。
晴明は式神を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたといわれます。
堀川通に面した晴明神社です。いつも観光客が絶えないところです。
「五芒星」が鳥居に光っています。「晴明桔梗」とも呼ばれ、晴明が陰陽道に用いた祈祷呪符のひとつだそうです。
古い一条戻橋の欄干などが移されています。
橋の脇には式神の像があります。
晴明井は、晴明が念力で湧出させたそうです。病気平癒のご利益があるそうです。
バスで堀川四条まで戻り、四条大宮で冷たいものでのどを潤しました。
食後は、嵐電に乗って嵯峨に向かいました。
嵐電嵯峨から住宅地を5分ほど南に歩いたところに晴明の「嵯峨御墓所」はありました。
観光客でにぎわう嵐山の渡月橋を渡り、阪急嵐山から帰宅しました。
緑色の部分はバスに乗りました。タイムや距離などは実際に歩いたものとは異なります。