生駒山 愛宕山と同じ飛行塔を見に行く

 大阪平野の東にそびえる生駒山に登りました。れっきとした関西百名山の1座です。その割には、登山対象とはなっていなくて、「子どものころ遠足で行った」といった存在です。「関西百名山を目指す会」(仮称)のメンバーとしては見過ごすわけにいかず、今年最後の山行となりました。
 頂上には、昭和初期に作られた飛行塔が現存します。愛宕山の山上にあった幻の飛行塔や、私以外のメンバー3人が幼少を過ごした吹田・千里山の遊園地にもあったという飛行塔と同じ製作者とわかり、どうしても乗ってみたくなったのです。遊園地は冬季休園でしたが、間近に見ることができました。
 石切神社から登り、暗峠を経て枚岡神社に下りました。冬とは思えない陽気と暖かさの中を気持ちよく歩き、帰りには難波でミニ忘年会となりました。

 初めて参拝した石切神社です。平日というのに、お百度を踏む参拝者でにぎわっていました。

 生駒山の頂上(642m)には、当然ながら1等三角点がありました。
 その場所は、遊園地内の子供用ミニ機関車が走る柵の中でした。

 ガスが深い1日でした。それでも展望台からは、雲間に金剛山らしき山並みを見ることができました。

 難波の餃子の眠眠発祥の店で「カンパーイ!」。UさんやSくんの山行年間60日オーバーを祝いました。見習いたいものです。


 【2018/12/21 09:31】
 大阪メトロ中央線からつながっている近鉄けいはんな線の新石切がスタートでした。

 立派な石切神社の山門です。初めて参拝しました。

 参道のにぎやかな商店街です。神社は山上にあるという固定観念から、参道も上るのだろうと思い込んでいました。
 実際には常識を覆すように、向こうの近鉄奈良線石切駅から参道を下ってきてお参りするのでした。

 名所と名乗っている石切大仏です。「日本で三番目」ということです。
 1番が奈良、2番が鎌倉は納得ですが、何が3番というのでしょうか。突っ込みどころ十分の大仏さんです。

 ちょっと回り道をして、近鉄の旧生駒トンネルの坑口と孔舎衛坂駅跡を見に行きました。

 1964年(昭和39年)に完成した現在の生駒トンネルには、当時社長の佐伯勇揮毫による「日々新」の文字が刻まれていました。

 生駒山へのルートはいくつもあるようですが、石切神社上之宮を通るメーンルートの辻子(ずし)谷を登りました。

 辻子谷の水車郷には、大きな水車が残っていました。昔は水車がいくつもあり、薬草をひいていたようです。今も、薬草の臭いを振りまいている製薬工場の横を通りました。

 いつまでも続く急勾配でした。

 興法寺まで登ってきました。どうしてこんな山中に、これほど立派な寺がと不思議でした。

 山腹の管理道路を横切りました。

 【11:57】
 龍王池休憩公園で、ちょっと早いですが昼食タイムとしました。

 おにぎりがおいしいです。

 湯を注いだ即席ワンタンも、いい味でした。

 蜜がたっぷりの甘いリンゴをいただきました。

 【12:46】
 生駒山上遊園地です。わかっていたこととはいえ、「休園」です。飛行塔を遠目で見るしかないかと覚悟してました。でも遊園地内へは出入りは自由でした。入園料を支払おうにも、チケット売り場は閉鎖されていました。

 飛行塔は500円でした。残念ながら乗ることはできませんでした。

 昭和初期に作られました。戦時中の鉄供出で愛宕山などの飛行塔は撤去されました。こちらは軍の見張り塔として活用されたところから撤去を免れ、今も健在です。

 それにしても青い空でした。冬とは思えない、汗ばむほどの陽気でした。

 関西テレビ(左)などテレビ各局の送信塔が並んでいました。

 暗峠に向けて下りました。

 途中の展望台です。

 皆さん、にっこりと記念撮影でした。

 山道らしい急坂を暗峠に向けて下りました。

 【14:02】
 変化に富んだルートとはいえ、緊張感はあまりありませんでした。
 暗峠に着いて、茶店のおばちゃんに誘い込まれました。やはり飲みますか? 早くも忘年会の一次会でした。

 大阪から奈良に、さらにお伊勢さんにつながる古道です。

 枚岡に向けて下りました。
 正面は大阪・梅田方面から六甲の方角ですが、よく見えませんでした。

 こんなところは登りたくないという急こう配の階段を下りました。

 枚岡神社まで下ってきました。
 まだ紅葉がきれいでしたが、境内では新年の準備が始まっていました。

 【15:35】
 近鉄・枚岡がゴールでした。

 珉珉では、なにはともあれ餃子です。

 ビールセットは、生中と餃子、それに一品料理の組み合わせでした。4種のセットを頼んで、おいしくシェアしましたが、アルコールは当然ながら追加、追加となりました。

 珉珉発祥の南本店です。