伊勢参り その2 JR奈良線に沿って木津まで

 歩いてお伊勢参りの2回目です。JR城陽から奈良線とつかず離れずで木津まで歩きました。奈良までのつもりが、すでに18.5キロも歩いていました。
 梅雨の中休みです。街道歩きには幸いなことに、からりとは晴れ上がりませんでした。それでも暑かったです。
 半袖のTシャツ姿でした。家に帰ってシャワーを浴びてびっくりしました。首と腕に、くっきりと日焼けの段差ができていました。これからの伊勢参りの旅には、日焼け対策が必要です。

 奈良街道の長池の宿辺りを歩いていると、「カン、カン」と踏切の音がしました。路地をのぞき込むと、みやこ路快速が通過しました。現代の飛脚か早馬ですかね。

 青田の中をブルーの電車がさっそうと横切ります。


 【2021/06/20 10:05】
 JR島本から京都でみやこ路快速に乗り換えて城陽までやって来ました。前回のゴールでした。

 奈良街道に戻ります。

 すぐの左手に水度神社の参道が延びていました。式内社で本殿は重要文化財だということでしたが、本殿までは遠そうだったので、手を合わせるだけとしました。

 奈良まで21キロの標示。これは、きょうはムリと早々に諦めました。
 向こうに新名神高速の建設中の橋脚が並んでいます。

 旧道に入ったところが長池の宿です。
 この辺りに長池の碑と呼ばれる道標が立っていたようです。気づかずに通り過ぎました。
 京都へ5里、奈良へ5里と中間に位置し、「五里五里の里」と呼ばれるそうです。

 赤く錆びたトタンで覆われた茅葺屋根の民家が、宿場だった名残を残しています。

 カラー舗装されているだけで、味気ないアスファルトの熱気から逃れることができます。

 明治の元勲は、昼飯を食べただけで石碑となるんですね。
 観月橋にあった「明治天皇御駐輦所(ごちゅうれんしょ)観月橋」の碑は、明治天皇が明治10(1877)年の関西行幸で訪れたことを記していました。その後、天皇は奈良・橿原神宮を参拝しました。木戸孝允は、その随行として奈良街道を歩いたのです。

 青谷のあたりは梅林で有名です。これは袋を被ったのもあったので桃でしょうか。

 路辺の咲いていると、近づてい写してしまいます。

 初めて出現した清涼飲料水のベンダーに駆け寄ったら、ほとんどが「売り切れ」でした。
 しばらく歩くとコンビニがありました。飛び込んんで水分補給しました。

 井手町に入りました。

 マンホールには町の花、ヤマブキがデザインされいています。

 見覚えがある道にやって来ました。万灯呂山展望台への案内があります。大峰に登るときに、車で走りました。

 奈良線の踏切を、何度も渡りました。

 玉水です。立派な駅舎ですが、客の姿はありません。きれいなトイレをお借りしました。

 井手の玉川を渡ります。「日本6玉川」のひとつだそうです。知りませんでしたが、高槻・玉川もその一つだそうです。
 奈良時代の皇族、橘諸兄が盛大な別荘を構え、この地に聖武天皇の行幸を仰いで盛大な宴遊を催したそうです。

 今は桜の名所となっています。

 この辺りの川は天井川となっていて、奈良線は水路の下をくぐります。

 【12:07】
 2時間ほど休みなく歩いて木津川市に入りました。

 「以仁王御墓」の案内板に出くわしました。わたしの下調べでは必見のポイントでした。

 わき道に入り、奈良線の踏切を越えた左手に高倉神社がありました。
 地図では陵墓はもっと先のような表示に見えて、かなりの距離を先まで歩きました。これはおかしいと、畑仕事をしていたおばさんに聞いたら、「高倉神社の横ですよ」。

 高倉神社と並んで、かわいい陵墓への道がありました。

 後白河法皇の第二皇子ということで、現在の陵墓は宮内庁によって管理されています。
 のぞき込みましたが、土饅頭が築かれているだけでした。
 「以仁王の綸旨」といえば、平家討伐に立ち上がった源氏の錦の御旗でした。吉川英治の「新平家物語」の世界で親しみました。

 線路はまっすぐに伸びています。その先にも天井川が。

 その天井川に突き当たりました。道はなくなり、土手を上ります。

 天神川を渡ると、「蟹の恩返し」の看板がありました。

 川を振り返ると、その民話の最初のシーンがタイル画で描かれていました。
 近くに「今昔物語」に出てくる蟹満寺がありましたが、道を間違えて通り過ぎてしまいました。

 【13:03】
 棚倉までやってきました。お腹が空きましたが、駅前にはコンビニすらもありません。

 駅前の湧出宮は「式内社」です。神社の標柱は、戦前に神社の格式を示したその部分を削ったり、埋めたりしているところが多いです。ここは「延喜式社」と新たに表示しているように、創建は天平神護2(766)年、伊勢国五十鈴川の畔より、天乃夫岐賣命勧請したと伝わっています。
 薄暗い参道にに入って。表示がおかしくなったスマホの設定を直しました。

 木津川市と合併する前の山城町のマンホールです。町の花「キク」町の木「モミジ」、そして特産品のタケノコとお茶の花が描かれています。

 椿井大塚山古墳の横を歩いていたのでしょう。古墳マニアではないわたしは、暑さに耐えてひたすら歩いていました。

 国道24号を歩きます。これはたまりません。

 地獄から逃れて、川が流れる横道に入りました。暑さはぐっとやわらぎました。でも、回り道となりました。

 木津川に突き当たりました。泉大橋を渡ります。
 気温表示は29度でした。

 泉橋の左岸が、京都・嵐山から桂川ー木津川と土手をつなぐサイクリング・ロードの終点です。
 かつて、わたしも自転車で走ってきたことがあります。

 合併前の木津町のマンホールには、木津川上荷舟がデザインされています。

 【14:10】
 奈良まではとても無理です。木津で2回目のゴールとしました。

 さて、昼飯です。ところが駅前には飲食店がありません。しばらくウロウロしました。
 スーパーマーケットの「フレスコ」に入ってみると、格好のイート・インコーナーがありました。ここをお借りしようと店内を巡り、「お魚屋さんの握り寿司」を見つけました。缶ビールも忘れませんでした。

 だれもいない静かなコーナーで、ゆっくりといただきました。

 もう一品の素麺が、つるりと冷たくて、火照った体にしみました。