京街道を上る 其の六 橋本から淀宿を経て伏見宿へ

 2010/02/20 14:09=伏見宿に到着しました。京街道から1本はずれますが、寺田屋に行ってみると、予想通りものすごい観光客でした。「龍馬伝」人気でしょう。

 「京街道を上る」のその六は、橋本から伏見までです。


 11:31=樟葉を抜けて橋本にさしかかる田んぼの中に「戊申役橋本砲台跡(樟葉砲台跡)」という石碑が立っています。
 慶応元年(1865)、江戸幕府は外国船の侵入から京を守るという名目で台場を築きました。尊皇攘夷の長州藩士の上洛を防ぐという狙いもありました。設計は勝海舟があたりました。

 11:39=「橋本遊郭」跡です。一見してそれとわかる軒が連なります。

 鍾馗さんがかかっています。

 「商談休憩にご利用」、といわれても・・・。

 2階の軒下に電球のソケットがついてます。道行く男を手招きする女を照らしていたのでしょうか。

 淀川に上がる道です。「柳谷」とあります。対岸の山の中腹に眼病治癒の御利益がある柳谷観音があります。

 谷崎潤一郎の「蘆刈」の舞台となった橋本の渡しがかかっていたあたりです。
 天王山の中腹に大山崎山荘の赤い屋根が臨めます。

 12:01=石清水八幡宮のケーブルカーが見えます。といっても、橋本宿で撮影していたデジタル一眼はザックの中。面倒くさくて広角のGRⅢで撮ったらこのありさまです。

 12:02=旧京阪国道にかかる「御幸橋」を渡ります。竣工は昭和5年です。さすがに老朽化しています。横に新しい橋が完成間近です。

 12:15=淀に向かうたんぼ道です。ひとり、歩を進めます。前を行く女性は、どなたか存じません。 

 12:43=京阪・淀駅までやってきました。一攫千金を夢見て京都競馬場に向かうギャンブラーでいっぱいです。

 12:48=淀城の名残です。高架化かされた線路を、京阪特急が通り過ぎます。

 12:50=「京街道」やら「淀城址」やらの石碑が集合しています。

 13:08=腹が減りましたが、淀では食べたくなるような場所がありませんでした。もうひとがんばりです。

 13:10=戊辰戦争の激戦地だったところです。東軍の死者を祀っています。

 13:49=「三栖の閘門」が見えてきました。

 13:51=閘門の上です。
 閘門は淀川へつながる宇治川と、伏見の町を流れる淀川派流を船が通航できるように作られました。

 14:04=向こうに高瀬川を開削した角倉了以の碑が建っています。

 14:14=「四辻の四つ当り」です。道がわざわざ直角に二度曲がるように作られています。

 15:04=近鉄・桃山御陵前駅がこの日の終点でした。ちょっと時間がたっているのは、昼食をとっていたからです。

 この日の歩数計も「35802歩」を記録していました。大満足です。

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