京街道を上る 番外編 淀から鳥羽街道を歩く

 京へ上る「京街道」はいくつもあります。淀(京都市伏見区)から桂川の左岸にそって北上して鳥羽を通って京七口の鳥羽口、羅城門に至るのが鳥羽街道です。。後白河法皇らが熊野詣に旅立つときにも通った道です。
 久しぶりに晴れ上がった日曜日(14日)、淀から歩きました。

  10:39=桂川の左岸を歩きます。「初めての輪行」でわたしも自転車で走ったことがある京都八幡木津自転車道です。


 09:12=京都競馬場の開催日や場外馬券売場が開く日には、わたしの住む水無瀬から競馬場行きの直通バスが出ています。初めて乗りました。260円です。客はそろいもそろってスポーツ紙や専門紙を開けて真剣に検討中です。
 

 09:35=15分で京都競馬場に着きました。でも競馬場のゲートに向かわない客は、わたし独りです。

 10:28=京阪・淀駅からちょっと離れた淀水路まで河津桜を見物に行ってました。改めてここから京に向けて出発です。

 10:31=納所(のうそ)の六差路です。そのひとつの旧道に入ります。ここで伏見に向かう京街道とは分かれます。

 10:32=道路標識を見ると。これから歩くのは「千本通り」です。京都市内を南北に貫く千本通り(平安京の朱雀大路)の延長ということのようです。

 10:35=「五番ノ橋」という、明治45年に架けられて古い橋を渡ります。
 伏見街道には「伏水街道第四橋」から「第一橋」までがありました。同じようなのがあるのかと思いましたが、ここだけでした。

 10:55=戊辰戦争の激戦地です、東軍の兵士が眠っています。

 11:09=ツクシが芽をだしてました。

 11:25=「魚市場移籍魚魂碑」です。このあたりに「草津の津」がありました。
 桃山時代からは多くの鮮魚問屋が軒を連ね、水上交通の要だったそうです。

 11:27=その昔、京から下ってきた旅人は、このあたりで船に乗り込み大阪へ下りました。淡路に流される崇徳上皇も、ここから都を離れました。

 11:29=このまま自転車道を走ると13.9キロで嵐山です。

 11:30=絵に描いたような古い民家です。


 
 11:47=「鳥羽の大石」は近年、河原を整備していて見つかりました。二条城の城門と同じ石だそうです。

 11:49=「月の桂」という地酒は知りませんでした。

 11:52=はるか東に伏見桃山城が見えます。

 11:55=「恋塚寺」です。
 北面の武士、遠藤盛遠(後の文覚)が源渡の妻、袈裟に横恋慕して・・・。
 そんな悲恋は「新平家物語」(吉川英治)で読みました。
 その塚があるとは知りませんでした。

 12:08=鳥羽上皇の鳥羽離宮跡までやって来ました。

 12:11=このあたりは、鳥羽伏見の戦い(戊申戦争)の激戦地でした。

 12:28=白河天皇陵です。

 12:33=ちょっと鳥羽街道からはそれますが「安楽壽院」までやってきました。
 鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営した仏堂を起源とする天皇家ゆかりの寺院です。
 「新平家物語」には、後白河上皇が逃げ込む寺として登場します。

 12:39=安楽寿院の境内にある近衛天皇陵です。鳥羽法皇が美福門院のために建てた三重の塔に、その息子の夭折した天皇を祀られています。

 12:42=鳥羽天皇陵も安楽寿院の西側にあります。こじんまりとしています。

 12:54=ちょっと横道にそれすぎて、鴨川にかかる新しい大宮橋を渡りました。向こうに東寺の五重塔が見えてきました、ゴールは近いです。

 13:07=コースを修正して旧千本通りに戻りました、あとはまっすぐ進むだけです。

 13/22=十条通りを横切ります。

 13:30=ゴールの羅城門です。
 
 この日の歩数は26,195歩でした。

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