池波正太郎も通った「大黒」のかやく御飯

大黒1

大黒5

 有名なかやく御飯の店です。
 薄味ですが、しっかり出汁のきいたかやく御飯です。これに赤だしだけでも十分です。鰈の煮魚は、頼んでから煮ているようで、ちょっと時間がかかります。焼き魚も同じです。まだかと待たされるかわりに、熱々が食べられます。

大黒2

 メニューです。かやく御飯は大・中・小。みそ汁は赤・しろ・すましの三種で具によってはまぐり・豆腐・玉子と組み合わせます。店の人は「赤玉」といった風に略しています。これに魚で合わせて1360円でした。まあ、ちょっと高いですが、大満足の昼食です。

大黒3

 「昼過ぎになる。自分の出番を終えた辰巳柳太郎と共に昼飯に行くのが、御堂筋の西を少し入ったところにある〔大黒〕である。名物の〔かやく飯〕に、熱々の粕汁か味噌汁。それに焼魚をとって食べるそのうまさは、旅に出ていることだからというのではなく、どこの家庭の日常にも食膳に出されるような変哲もないものが、これほどにうまいのは、やはり大阪の、知る人ぞ知る食べ物屋だからだ」
 池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって」(新潮文庫)の一節です。
 暖簾の「創業明治35年」の文字が誇らしげですが、こも店も間もなく改装されます。店内に「6月25日から休業、西側の仮店舗で約3カ月間営業します」と張り紙がありました。

大黒4

 「町の食堂」の風情のある店ではありました。
 道頓堀の一筋南を御堂筋から西に入ったところにあります。

高齢者マンション、サンシティ高槻の昼食

サンシティ1

 「新しい高齢者マンション」というサンシティ高槻で、昼食をいただきました。

サンシティ2

 この日は、和がひとくちヒレカツ、洋はマカロニグラタン、麺はぶっかけそばからの選択でした。
 和を選びましたが、カボチャの煮物とキャベツの山葵和え、みそ汁がついています。全部で620キロカロリーです。
 ここに入居してられる方の招待でしたので、料金のほどは不明です。

サンシティ3

 アイスクリームもごちそうになりました。

サンシティ4

 かなり裕福な、それでいて健康な人が入居しているマンションです。サービスの行き届いたホテルそのものです。
 ちなみに入居一時金は2,706万円~8,008万円。それに食事費に…。残念ながらあまり縁がなさそうです。

京へ十五里 今津へ四里半、熊川宿

熊川宿8

 かつて若狭街道一のにぎわいをみせたという熊川宿です。近江国境に接する物資輸送の中継地として栄えました。江戸初期から中期にかけては、戸数200戸を超え、年間20万駄(駄は馬1頭が運ぶ荷)の米や魚、肥料などがこの地を経由して京などに運ばれていったそうです。
 現在は、国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。
 もっとも東より(近江側)にあるのが、番所跡です。

熊川宿2

 約1.4キロの旧街道沿いに、町家造りの民家が軒を並べています。

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京は遠ても十八里、鯖街道始点

いづみ町1

 鯖街道の始点は、福井・小浜市のいづみ町商店街にあります。
 「京は遠ても十八里」。昔の足では2日の旅だったようです。一塩して運んだ若狭の鯖が、京に着いたころにはちょうど塩がなじんで、おいしい鯖寿司になるというわけです。ですから鯖が運ばれた街道で鯖街道といいます。
 背景に写っている「大谷食堂」は、子どもが小さかったときは海水浴のおりなどに何回もきたことがあります。一品で頼む刺身など魚料理が、とにかく安くておいしかったです。昔と同じ雰囲気で開店の準備中でした。
 

鯖街道地図

 鯖街道のルートはいくつかありました。山を越える道、一部は琵琶湖を船でたどる道と。
 今回はメーンルートをたどります。小浜を出発した後、上中町で南下し、熊川宿を経て滋賀県にはいり、保坂までです。このあと、朽木谷にそって南下して、花折峠から途中、大原とあるいて京都・出町がゴールです。
 

いづみ町2

 若狭の甘鯛です。これも鯖街道を京にやってきました。
 普通名詞はグジです。左は本物(?)の鯛です。

いづみ町3

 一夜干しの干物がぶら下がっています。アジにハタハタに。笹カレイはとんでもなく高くなりましたが、他にもおいしい魚はたくさんあります。

いづみ町4

 焼き鯖です。串にさして焼いたままの姿で売ってます。
 まだ朝が早かったので、昨日の売れ残りだったのか、客が少ないのでこれだかしか焼かなかったのか?

いづみ町5

 JR小浜駅です。左に写っているJRバスでやってきました。
 JR京都を8時15分発の新快速に乗り、近江今津でバスに乗り換え、到着したのは10時18分です。まあ新幹線にのっておれば、「間もなく東京」くらいの時間ですから遠いといえば遠いですが。
 旅の詳細は以下のHP版「京は遠ても十八里」をご覧ください。
 
 

小浜・田村長の春鯖のへしこ漬

へしこ漬1

 若狭から京を結ぶ鯖街道は、一塩された鯖が都に運ばれました。その鯖が鯖寿司になりました。
 鯖街道の小浜-保坂間、24キロを歩きました。3区間くらいに分けて歩く予定ですが、初日からわが家にやってきた若狭の鯖です。
 といっても、生でありません。へしこ漬けです。 

へしこ漬2

 薄く切って、ビールのあてにしました。この輝く色を見てください。最高です。

へしこ漬3

 「春鯖のへしこ漬け」のできあがるまでが書かれています。
 血圧が気になる身には、「塩」は問題です。これまでも「買おう」というと、女房ににらまれてました。今回は、「鬼のいぬま…」の初めての購入です。

へしこ漬4

 国産の鯖をつかったへしこ漬け結構、いい値がします。一番小さいので1523円でした。片身で1500円から1800円といったところです。いまや、幻となった鮒寿司ほどではありませんが。ノルウェー産だと、半値以下でした。

へしこ漬5

 鯖街道の出発点は、福井・小浜市のいづみ町商店街にあります。その商店街にあるのが、「小鯛の笹漬け」などで知られる「田村長」です。「若狭のぐじ」なんかも並んでいます。

鯖街道・熊川宿の鯖寿司

鯖寿司1

 鯖街道を歩きました。若狭から京まで、一塩された鯖が運ばれた街道です。当然、昼食は鯖寿司を食べるつもりでした。
 熊川宿に着いたのは、ちょっと遅くなりました。調べていた店は間に合わず、道の駅の「鯖街道熊川宿 四季彩館」です。 

鯖寿司2

 鯖寿司セット(1200円)は、鯖寿司三切れと蕎麦の組み合わせです。五切れとみそ汁という組み合わせもありました。
 もうすこしご飯に味があればよかったのですが、鯖はまあまあです。一応、鯖寿司は食べた記録にはなりました。でも隣の人はコーヒーを飲んでいるし、食べた食器はセルフで返却でした。もう少し情緒があればよかったのですがね。

鯖寿司3

鯖寿司4

京は遠ても十八里 鯖街道を往く その1

その1  小浜~保坂   (06/06/03)

 10:20
 JR小浜駅です。左に写っているJRバスでやってきました。 JR京都を8時15分発の新快速に乗り、近江今津でバスに乗り換え、到着したのは10時18分です。まあ新幹線にのっておれば、「間もなく東京」くらいの時間ですから遠いといえば遠いですが。 

 10:26
 鯖街道の始点は、福井・小浜市のいづみ町商店街にあります。 「京は遠ても十八里」。昔の足では2日の旅だったようです。一塩して運んだ若狭の鯖が、京に着いたころにはちょうど塩がなじんで、おいしい鯖寿司になるというわけです。ですから鯖が運ばれた街道で鯖街道といいます。
 背景に写っている「大谷食堂」は、子どもが小さかったときは海水浴のおりなどに何回もきたことがあります。一品で頼む刺身など魚料理が、とにかく安くておいしかったです。昔と同じ雰囲気で開店の準備中でした。

 10:31
 国産の鯖をつかったへしこ漬け結構、いい値がします。一番小さいので1523円でした。片身で1500円から1800円といったところです。いまや、幻となった鮒寿司ほどではありませんが。ノルウェー産だと、半値以下でした。

 10:32
 若狭の甘鯛です。これも鯖街道を京にやってきました。 普通名詞はグジです。左は本物(?)の鯛です。

 10:32
 鯖街道の出発点は、福井・小浜市のいづみ町商店街にあります。その商店街にあるのが、「小鯛の笹漬け」などで知られる「田村長」です。「若狭のぐじ」なんかも並んでいます。

 10:33
 一夜干しの干物がぶら下がっています。アジにハタハタに。笹カレイはとんでもなく高くなりましたが、他にもおいしい魚はたくさんあります。

 10:35
 焼き鯖です。串にさして焼いたままの姿で売ってます。 まだ朝が早かったので、昨日の売れ残りだったのか、客が少ないのでこれだかしか焼かなかったのか?

 10:39

 SLが展示されてました。
 昭和49年まで、小浜線を走っていたC58です。小学生だったころに、何度か若狭高浜に海水浴に来たことがあります。そのときに、このSLに引かれたことがあるかもしれません。

 10:53

小浜駅の東で小浜線の線路を横切ります。

 11:27

 国道27号に沿って歩きます。
 遠敷(おにゅう)の里と呼ばれるこのあたりでは、古代には仏教文化が花開き、「海のある奈良」と呼ばれたそうです。
 奈良・東大寺二月堂の「お水取り」のために「お水送り」が行われる神宮寺、日本最初の征夷大将軍、坂上田村麻呂の創建で、国宝・三重塔がある明通寺など、ゆっくりと訪れたいところがいっぱいです。

 11:33

 若狭姫神社です。若狭一の宮の下社で、上社の若狭彦神社とは夫婦です。
 境内には千年杉といわれる見事な巨木がそびえています。

 11:51

 国道からそれて静かな旧道を歩きます。

 12:23


 12:25


 13:04

 上中町です。ここで敦賀へと続く国道27号(左側)と分かれて、近江への道に進みます。


 13:49

 熊川の宿です。


 13:51

 かつて若狭街道一のにぎわいをみせたという熊川宿です。近江国境に接する物資輸送の中継地として栄えました。江戸初期から中期にかけては、戸数200戸を超え、年間20万駄(駄は馬1頭が運ぶ荷)の米や魚、肥料などがこの地を経由して京などに運ばれていったそうです。 現在は、国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。


 13:52
 ガラガラと音をたてているのは「いもぐるま」です。家の前の川で小芋を洗っているのです。


 13:57


 13:58


 13:59


 14:00


 14:12
 鯖寿司セット(1200円)は、鯖寿司三切れと蕎麦の組み合わせです。五切れとみそ汁という組み合わせもありました。
 もうすこしご飯に味があればよかったのですが、鯖はまあまあです。一応、鯖寿司は食べた記録にはなりました。もう少し情調があればもっとよかったのですがね。


 14:12

 昼食は鯖寿司を食べるつもりでした。
 熊川宿に着いたのは、ちょっと遅くなりました。調べていた店は間に合わず、道の駅の「鯖街道熊川宿 四季彩館」です。 


 14:34


 14:38

 民家の軒下に、きれいに切った薪が積まれています。こんなのをいろりにくべて、長い冬の夜を過ごすのでしょうか。


 14:41

 旧道を歩いていると、知らない間に滋賀・高島市に入ってました。


 15:12

 国道は新道の水坂トンネルへ続きますが、水坂峠への道を歩きました。


 15:36

 保坂(ほうさか)に着きました。


 15:37

 「右 京へ」の碑が建ってます。
 


 15:40

 今回はここまでです。


 18:50

 鯖街道の始点。いづみ町商店街の「田村長」で買って、一日背負ってきたへしこ鯖です。

 

 18:53

 薄く切って、ビールのあてにしました。この輝く色を見てください。最高です。

難波・グリル清起の「清起ランチ」

 よく知られた洋食屋です。ここのハンバーグの大きいこと。和風味で、おいいしいですよ。でも、焼き上がるまで、ちょっと時間がかります。
 きょうは「清起ランチ」(850円)を頼みました。これならすぐに出てきます。日替わりになっていて、イカフライと鶏ミソ焼きでした。

 入り口は、ちょっとわかりにくいです。タバコの自動販売機のすき間から入ります。店内はカウンターだけで、お世辞にもきれいとはいえません。でも、味と価格がソレを補って余りあります。

 大阪市中央区難波4-5-8 06-6643-6119

フジ子・ヘミング”音のないコンサート”

フジ子001
 大阪・心斎橋筋を歩きました。若者向けの衣料品店やら飲食店やらばかりで、オジサンには縁がないと人混みをかき分けていると、目にはいりました。
 「イングリット・フジ子・ヘミング”音のないコンサート”」
 「ART SPACE 心斎橋」(大阪市中央区心斎橋筋2-6-3)は、いわゆる画廊です。1階では、ヒロ・ヤマガタの展示をしていました。その2階に、フジ子の絵はありました。といってオリジナルではなく、シルクスクリーンなどの版画に複製したものが、即売されいてます。
フジ子002
 フジ子に、そんな画才があるとは知りませんでした。
 経歴を見ると、「7歳の頃から日本画家の伯母大月吉野に絵を学ぶ」とあります。
 ピアノ同様に輪郭のピリッとした絵です。
 1999年2月11日、ふじ子のピアニストとしての軌跡を描いたNHKのドキュメント番組、ETV特集「フジコ~あるピアニストの軌跡~」が放映され、大反響を巻き起こす。
 1999年8月25日に発売されたファーストCD「奇蹟のカンパネラ」は90万枚を売り上げるという、クラシック界異例の大ヒット。
フジ子003
 久しぶりに「ラ・カンパネラ」のCDを取り出しました。
 CDのいデザインもこれはフジ子が描いていたんですね。
フジ子004
 このCDが発売されたのは99年のことです。
 あの不思議な「鐘の音」の調べに驚かされたものです。