2009/11/10
10月22日にまいたパセリです。発芽まで14日ということです。その時期です。すでにモヤシ状になっている株もありますが、まだ発芽の気配がないのもあります。もう少し待ちます。
コマツナは一度に食べてしまったので、次は何をまこうかと、会社近くのホームセンターに行きました。
スプラウト用の種を売ってました。「10日で収穫」とこれなら勝負(収穫)が早いです。ルッコラとブロッコリーを買ってきました。どちらも188円です。
さっそくキッチンペーパーの上にまきました。
水間鉄道の水間観音駅です。大正15年の建設で、当時流行した寺院風のデザインです。「水間駅」として近畿の駅百選に選ばれてます。写真をよく見ると、上部は右から「水間駅」ですが、下は「水間観音駅」に変わってます。
水間鉄道は経営破綻して、「グルメ杵屋」の傘下で再建されました。このときに駅名も変わったのでしょう。
南海・貝塚から水間鉄道に乗り換えてやってきました。初めてのった電車です。
東急からの譲り受け車両です。
国の登録有形文化財に指定されています。ところが駅百選の認定証はありません。駅員に聞くと「改装したときに取り外しまして・・・」。それを目当てにはるばるやってきたのに-。
真っ赤な水間寺の紅葉です。
阪堺電軌の上町線の終点、住吉公園駅です。大正2年に作られた風情のある駅舎が南海本線のガード下に建ってます。南海電鉄の前身の阪堺鉄道開業以来の駅です。
住吉大社参詣の玄関口です。
近畿の駅百選に選ばれてますが、認定証は見つかりません。
周辺にはよく似た名前の駅があります。南海本線は「住吉大社」、阪堺線には「住吉鳥居前」、阪堺線と上町線が道路上で平面交差する駅は、ただの「住吉」です。
ホームには戦時中の防火水槽が残っています。金魚が泳いでました。
駅の前で東を向くと、住吉大社の大鳥居が目の前です。そり橋は修理中で、塗りかえられた朱色が鮮やかです。
南海本線の浜寺公園駅は明治時代の建造。辰野金吾設計の木造平屋建ての洋風駅舎である。国の登録有形文化財になっている。
隣の諏訪ノ森駅も国の登録有形文化財になっている。大正時代中期に建てられた洋館造り。
堺駅は開業は明治21年と古いが、現時の駅舎は高架化かにあわせて平成9年の竣工している。
【阪神・武庫川】
尼崎市と西宮市の間を流れる武庫川上にホームはあります。尼崎側下り線の駅舎から、ホームにそった歩道橋が続いています。
西宮側からは単線の武庫川線が出ています。
1日で阪神間の11駅を巡りました。さすがに疲れました。こんなバカなことを思いついたのは、「阪急阪神1dayチケット」(1200円)があるからです。ほとんどの区間でこれを利用しました。その他の区間はICOCAでパス。改札口でキップを買うことはありませんでした。便利な時代です。
あとの10駅は、「続きを読む…」をクリックしてください。
阪神間の「近畿の駅百選」の認定駅11駅を1日(10月31日)で巡りました。認定証が飾ってあったのは以下の9駅です。
認定証がなかったのは2駅です。どちらもJRです。
新長田駅。若い駅員に聞くと、上司に尋ねて「昔はあったそうですが・・・」
神戸駅。駅員はがんばって探してくれましたが「すみません。みつかりません」
JRはどうして認定されたときに「名誉なこと」と、認定証を飾っておかなかったのでしょうか。この会社には、選ばれて誇りに思う気持ちはなかったのでしょうか。舞子にも、大阪にも奈良にもありません。京都は未発見です。
それぞれの駅の紹介はいずれ-
「テクノポート大阪」計画の中核駅というのが、駅百選の選定理由です。地上に上がると目の前にWTCビル(右)がそびえます、橋下徹知事が府庁の移転先として執念を燃やすビルです。
駅は3層構造で、地下1階はポートラーナー、地下2階は地下鉄中央線のホームになっています。
地下鉄の車両が到着しました。
乗客を降ろすと、前方に進み、反対側のホームに戻ってきます。
相互乗り入れいている近鉄の「学研奈良登美ヶ丘」行きが車両が止まっています。
それにしてもにぎやかな柱です。
「株式会社大阪港トランスポートシステム」の時代に受賞しています。開通当時は、地下鉄中央線の大阪港でつながってますが、別路線で料金も別に必要でした。いつのころからか、地下鉄の一部になってます。
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大阪・天保山のサントリーミュージアム[天保山]で開かれている「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」を見ました。
大阪・梅田の阪神ステーションネット梅田阪神プレイガイドで前売券(1100円)を買っていきました。
音声ガイド(500円)も借りました。おかげでグスタフ・クリムト、エゴン・シーレの作品やウィーン分離派の誕生がよくわかりました。
ただし、肝心の絵が少なかったです。クリムトはチラシにもなっている「パラス・アテネ」など数点だけです。金箔がちりばめられたきらびやかなこれぞクリムトという絵は、1点もありませんでした。「えっ、これだけ」と、まるで食い足りませんでした。
シーレは、「自画像」(絵はがきのコピーです)ほか小品がいくつかならんでいて、その雰囲気は味わうことができました。
これらの絵画は「ウィーン・ミュージアム所蔵」となってます。
わたしはウィーンのベルヴェデーレ宮殿にあるオーストリア・ミュージアムでクリムトの代表作「接吻」などの数々に圧倒されました。分離派会館の地下にある「ベートーベンフリース」も記憶に鮮やかです。
シーレは、2回目のウィーンで訪れたレオポルド美術館で再会しました。
きゅうの展覧会が、あまりに物足りなかっただけに、もう一度、ウィーンに行きたいです。、
サントリーミュージアム[天保山]
大阪市港区海岸通1-5-10
来年の秋に閉館となります。東京のサントリー美術館が人気スポットとなっているだけに、よけいにさみしいです。
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