この日のステージは、メセタの残りを進んで25kmほど。パレンシア県に入ってからは、運河に沿った道を進んだ。
水と緑。乾ききった巡礼路を歩いてきただけに、ほっとする風景だった。
夕食は簡単にカップラーメンですませた。
続きを読む Paso a paso Dos 16日目=9/9 運河沿いの巡礼路
この日のステージは、メセタの残りを進んで25kmほど。パレンシア県に入ってからは、運河に沿った道を進んだ。
水と緑。乾ききった巡礼路を歩いてきただけに、ほっとする風景だった。
夕食は簡単にカップラーメンですませた。
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道中で出会った最年少のピルグリムです。
もう歩くのいや!
ベビーカーに乗ってますが、わたしと同じ速度でした。
カミーノでは、いろんな国からやってきた、いろんな世代のペルグリーノ(巡礼者)と出会いました。わたしより年上とおぼしき方もたくさんいました。最年少はベンジャミンくんでした。なんとおしめも離れないたったの1歳ちょっとでした。
タルダホスから20キロほど。途中に1つ村があっただけで、黄色い麦畑が一面に広がるだけのメセタの大地を歩いてきました。喉カラカラで到着したオルタナスの村で、バルに飛び込み、生ハムのボガティージョにかぶりつきました。ベンジャミンくんは隣のテーブルに腰かけていました。ちょっと予想外の光景でした。思わずカメラを向けると、ベンジャミンくんも自分のカメラをわたしの方に向けてくれました。CANONのIXY200という、わたしが初めて買ったデジカメと似ていました。
再びメセタを歩いていると、ベンジャミンくんい追いつきました。今度はパパに手を引かれてよちよちと歩いていました。それもつかの間で、「抱っこ」とパパに抱き着いていました。横には、ママが押す大きな車輪の3輪バギーがありました。
次に出会ったときは、ベンジャミンくんはバギーの中でした。わたしは追い越しましたが、坂もある大地をかなりのスピードで進んでました。
その日はカストロヘリスの公営アルベルゲに泊まりまし。そこにもベンジャミンくんの姿がありました。アルベルゲの狭い2段ベッドで、ママと一緒におとなしく眠ってました。
ニュージーランドからやってきた若い夫婦と息子のカミーノでした。さて、日本人でここまでやる夫婦はいるでしょうか。彼らにとっても遠い国のカミーノに導いたのは一体、何だったのでしょうか。やはり宗教だったのでしょうか。ちょっと理解しがたい光景でもありました。
オランダ人のおっちゃん2人組とも仲良くなりました。フランスのなんとかという町から歩き始め、帰りはその町からオランダ南部の自分の家まで歩くそうです。わたしと同じような年恰好でしたが、その陽気さは見習いたかったです。バルなんかに到着すると、「オラ!、オラ!!」と大きな声をあげて、みんなにあいさつ。いつも人気者でした。こちらのカミーノへの思いは、わたしとそれほど違わなかったのではないでしょうか。
麦畑以外にはなにもない炎天下のメセタを越える難関ステージ。ところが、この日は曇天。暑さからは逃れられたが、輝く黄金色の大地は見られなかった。
丘の上に城跡が残るカストロヘリス。ここまで30km超を歩いた。
ブルゴスで1日、休憩のはず。ところが1日目に半分、2日目に1.5日分歩いたので、先を行ったはずの日本人仲間に追いついた。
みんなで一緒に夕食。まやさん、早大くん、弘前大くん、S氏とともに。
Tardajosのホテル兼アルベルゲの10€定食です。
セグントは、「魚」をチョイスしました。白身魚のフライです。スパイスもきいておいしいです。
つけ合わせのポテトは、細いのがカリッと揚がっていて、全体平らげました。いつもは山のように盛られたポテトに根をあげてます。
ファーストは、いちもながらのサラダミクストです。まさにサラダボウルいっぱいで、鳥のエサでも出てきた気分。アスパラもはいっていて、完食しました。
ワインはお代わりしてくれます。
デザートはメロン。ああ、満腹です。
bookong.comで予約した部屋は36€でした。4000円ちょっとです。6€や10€のアルベルゲから比べると、大豪遊です。きれいで広いツインです。
当日予約だったので、バーゲン価格です。
期待したバスタブはありません。
TardajosのLa Casa de Beliです。
さて、きょうはメセタというさえぎるものがない大地を越えて歩きます。

ブルゴスでは1日、ゆっくりと休養するつもりでした。久しぶりに寝坊をして、のんびりと朝食を食べ、ゆっくりと大聖堂の辺りを散歩しました。すると、もうすることがありません。結局は、昼前に町を出て、歩き始めました。アルランソン川を渡ったのは11時を回っていました。歩くことが習慣になってきていました。
2歳半と2歳になる2人の孫娘は、もうなんの不自由もなく、ひとりでちょこまかと歩き回っています。わたしもそのくらいの年齢から数えて70年近くも歩いてきました。右足の次には左足、そして右・・・。そんなことは考えることもなく、当たり前のようにして。
カミーノは、ただただ歩くばかりでした。美しい教会で清らかな気分となり、代わり映えのしない大地を横目にし、おいしい食事に舌鼓を打ち、ワインやビールで大満足。1日は長いですが、それでも生活の中心は歩くことでした。きょうも元気に20数キロの巡礼を歩けたということが、最大の喜びとなりました。
学生時代には、サークルの仲間と山歩きを楽しみました。後立山連峰を朝日岳から白馬を越え、唐松、五竜、鹿島槍と1週間もテント泊で縦走したことがあります。剣、槍、穂高、北岳・・・。
社会人となってからも、何年かは夏休みに槍などに登ってましたが、いつしか仕事にかまけてさっぱりと。次に白馬の大雪渓を小学生だった息子と登り、妻とも登り、学生時代の仲間と富士山に登ったのは、50歳あたりを過ぎたころでした。その後も山歩きはぼちぼちと続けてきました。ちょっと時間がでた60歳を過ぎて、昔の仲間と日本百名山の1番・利尻山にも、中抜きして100番・宮之浦岳にも登りました。
とはいえ、歳とともに山歩きはたいへんになってきました。ならば平地を歩けばいいのです。京都には、豊臣秀吉が築いた御土居(おどい)から洛外に抜ける「口」が7つありました。「京七口」といいます。粟田口、鞍馬口、荒神口、長坂口、丹波口、鳥羽口・・・。みんな現在も地名となって残ってます。その口に向けて都への街道が延びていました。その街道を順に歩きました。
熊野詣は、浄土信仰から熊野三山を参詣する旅でした。後白河法皇は熊野御幸を34回も繰り返していました。わたしも紀伊路を歩いてきました。石清水八幡宮(八幡市)から東高野街道-高野街道を南下して、高野山まで。さらに小辺路(こへち)の山道を熊野本宮まで歩いて熊野詣をしたこともあります。
歩くこと。それは山登りほどにはハードではありません。街道歩きなら、歩きたいところまで歩き、気が変われば途中でやめることもできます。もっと手軽に町歩きや、近所の散歩というのもあります。その歩くことの延長線上にたどり着いたのが、サンティアゴ巡礼だったのです。
30数日の巡礼に、3日の休養日を設定してました。この日はブルゴスでゆっくりとするはずでした。
久しぶりに寝坊をして、ゆっくりと大聖堂の辺りを散歩しました。向こうからシトロエンC4(初期型)のパトカーが走ってきました。あたり前にシトロエンが走ってます。なぜだかうれしいです。
ホテルに戻って外を眺めました。教会の右に見えるモダンな建物。ひょっとしたらあれが今夜の宿にしようと思っていたアルベルゲのようだ。
ホテルのチェックアウトは11時。アルベルゲのチェックインは2時から。さて3時間もどうする。
で、結局はこの日も歩くことに。
ブルゴスの街を後にして、アルランソン川を渡ったのは11時を回っていた。