「京童」と歩く 1日目 内裏から東山へ

 「京童」は明暦4(1658)年に刊行された京都で最も古い案内記です。洛中洛外の名跡仏閣の由来、伝説などを挿絵や筆者の中川喜雲自作の狂歌を交えながら記しています。
 国会図書館の国書データベースなどで閲覧できます。でも古文書が読めません。日本語なのに。
 残念ですが、そこに記されたポイントを自分の足で歩いてみました。
 寒い一日でした。内裏(御所)からスタートしました。


 【内裏】 (京童の紹介ポイントは、この表記とします)
 建礼門は京都御所(内裏)の南面する正門です。

 広い京都御苑に人影はありません。独り、砂利道を踏みしめました。

 九条池にかかる高倉橋から振り帰ります。御所の後方は送り火が灯る船山でしょうか。

 堺町御門を出ました。御苑の正門で、葵祭や時代祭の行列もこの門から出ます。

 丸太町を東に歩くと仁丹のホーロー看板がかかっていました。

 【下御霊】
 寺町に面する下御霊神社です。

 欠かさず見ている「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」の4話では、和菓子屋の女将がここを参拝するシーンから始まりました。 

 この寒さですが、境内の白梅が早くもちらほらと花を開けていました。

 本堂の屋根からネコがじーっと見つめていました。

 寺町を下がるとすぐに革堂行願寺です。西国の札所ですが、こちらは京童のゴールとなるので、きょうは素通りしました。

 京すしや、このシーズンだと蒸しすしが人気の末広です。なんと行列ができていました。

 【誓願寺】
 新京極の誓願寺は、和泉式部ら女性の信仰を集めた「女人往生の寺」とも称されます。

 【和泉式部】
 すぐ近くの誠心院は和泉式部ゆかりの寺です。

 にぎやかな新京極から一歩入っただけなのに静かな墓地が広がっています。
 和泉式部の宝篋印塔(ほうきょういんとう=墓碑塔)があります。

 【腹帯地蔵】
 寅薬師とも呼ばれる西光寺です。新京極をもう少し下がったところです。

 腹帯地蔵は本堂の脇壇に安置されていて、撮影禁止でした。

 【蛸薬師】
 蛸薬師を過ぎてもす少し歩くと錦天満宮です。減ったとはいえまだまだ目に付くインバウンドなどでにぎわっていました。

 【四条河原】
 冷たい風が吹き抜ける四条大橋です。さすがに等間隔の法則に従ったカップルはいません。

 四条河原で歌舞伎踊りを始めた出雲の阿国の像が、南座を見つめています。

 【目病の地蔵】
 四条の雑踏に面した仲源寺です。

 眼病に霊験があるとされます。眼病を患った(白内障レンズ脱臼・再建手術)ばかりです。丁寧にお参りしました。

 【祇園】
 祇園といっても、そこで遊んだことはありません。花見小路から眺めるのがせいぜいです。

 きれいどころが歩いてきました。ホンモノかどうかは不明ですが、このあたりは路上撮影禁止です。

 祇園といえばこの光景でしょうか。

 【知恩院】
 知恩院の山門です。人影が途絶えた瞬間にシャッターを押しました。それにしても人影は多くはありません。

 【圓山】
 圓山(円山)公園あたりは、目立つのは和服姿のチャイニーズ女性と、それを撮影するチャイニーズ・カメラマンばかりです。あちこちにいました。

 【まくづがはら】
 坂本竜馬・中岡慎太郎像の立つあたりは、まくづがはらと呼ばれていました。真葛ヶ原と書き、真葛(くず)やススキが生い茂る広大な原野でした。

 法然、親鸞ゆかりの吉水草庵があった安養寺の山号である慈円山が、円山の由来とされます。

 ここから次のポイントである将軍塚に登る道があります。東山の尾根まではちょっとした山道です。何度も歩いてますが、きょうは遠慮しました。

 【長楽寺】
 建礼門院(徳子)は壇ノ浦の戦いの後、ここで出家したと伝わります。

 洛陽33所巡礼で訪れたことがあります。きょうは休館でした。

 【大谷】
 浄土真宗本願寺派の大谷本廟には、金ピカの親鸞上人のご廟所(墓所)があります。

 東山の上部まで墓が立ち並んでいます。

 【双林寺】
 双林寺は、東山三十六峰の双林寺山にあります。36峰のピークハントをしていたときに、何度もやってきて、あたりをウロウロしたことがありました。
 

 桜の木に何やらぶら下がっているのに気づきました。

 真新しい双林寺山と書かれたカードでした。

 【かうだいじ】
 高台寺に続く参道は、きょうもにぎわっていました。

 石塀小路を抜けてきょうのゴールとしました。
 この石畳は、廃線となった京都市電の敷石が再利用されています。

 

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