サン・フェルミン祭(牛追い祭)とヘミングウェイで有名なパンプローナ。この日は、休養日に設定していたが、パンプローナを越えて軽く13.5kmほど歩く。
7月に行われるサン・フェルミン祭では、この市庁舎から牛追いが始まる。
ヘミングウェイの胸像の前で記念撮影。
昼飯にカフェで食べたパスタ。トマトソースの簡単なものだが、なかなかおいしい。
サン・フェルミン祭(牛追い祭)とヘミングウェイで有名なパンプローナ。この日は、休養日に設定していたが、パンプローナを越えて軽く13.5kmほど歩く。
7月に行われるサン・フェルミン祭では、この市庁舎から牛追いが始まる。
ヘミングウェイの胸像の前で記念撮影。
昼飯にカフェで食べたパスタ。トマトソースの簡単なものだが、なかなかおいしい。

パンプローナは、ヘミングウェイゆかりの地です。闘牛場の前に像がありました。有名なサン・フェルミン祭(牛追い祭)では、ヘミングウェイも赤いバンダナを巻くそうです。
パンプローナの古い町を抜けると、ナバーラ大学のゆったりとしたキャンパスがありました。日曜日だったので学生の姿はなく静かでした。「本館で受付、押印をしております」と日本語表記もある看板が立っていました。
その本館に回り道して行ってみると、閉まっていた玄関わきの窓が開いて、「ここだよ」と声がかかりました。わたしはクレデンシャル(巡礼手帳)を差し出して、ホタテ貝をあしらったデザインのスタンプを押してもらいました。

巡礼者は、クレデンシャルをもって旅します。サンジャン・ピエ・デ・ポーから巡礼をスタートさせる人は、まず巡礼事務所にいってこのクレデンシャルを発行してもらいます。
わたしは日本から用意してきました。NPO法人日本カミーノ・サンティアゴ友の会が、素晴らしいデザインのクレデンシャルを郵送でも発行してくれます。
クレデンシャルは本来、自分が住む教区の教会が巡礼者であることを身元保証する書類だったようです。これを持っていると、巡礼者として遇されてきました。いうなれば巡礼のパスポートです。現代のペルグリーノも、これをもっていないとアルベルゲという格安の宿泊施設を利用することができません。急病になったときも、ペルグリーノとして手厚い治療を受けることができるそうです。
もう一つの役目が、蛇腹式につづられているクレデンシャルのスタンプ欄です。ここに泊まったアルベルゲはもとより、食事をしたバルやレストラン、途中で参った教会などでスタンプを押してもらいます。このスタンプが増えていくのも巡礼の楽しみのひとつです。スタンプ・マニアの韓国のNくんは、わたしと同じルートを歩いたのに、最後にはわたしの3倍くらいの数のスタンプを集め、クレデンシャルは3冊に膨れていました。
巡礼では、聖地のサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着するとコンポステーラという巡礼証明書が発行されます。その条件は、聖地まで徒歩なら100キロ以上歩くことです。自転車なら200キロ以上です。その条件を満たしていることを証明するのも、クレデンシャルのスタンプです。
四国88カ所お遍路にも納経帳があります。札所に着くと、お参りした後に朱印をいただきます。同じシステムにびっくりさせられます。
ことしの正月。例年のように京都・上賀茂、下鴨神社に初詣しました。そこで気が付いたのは、御朱印帳に朱印をもらうのがブームになってていることでした。参拝者が、これまでは気づかなかったあたりに長い行列をつくっていました。スタンプラリーというのは、世の東西を問わず、何かひきつけられるものがあるようです。
2冊のクレデンシャルです。右が今回の巡礼のために準備したもの。左は2013年の巡礼で使用したものです。東京カテドラル聖マリア教会の証明印が押されていますが、実際には日本で唯一公認されている「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」が発行してくれます。
3日目の行程は、スビリの町を出発。ピレネーを源流とするアルガ川に沿って、最初の都市であるパンプローナに向けて25kmhほど下った。
角の立派な羊(?)が道連れとなった。
「This isn’t Spain」。最初はこの意味がわからなかった。

巡礼も3日目。規則正しいペースがつかめてきました。
カミーノの朝は早いです。前夜の就寝が早いのですから、目覚ましなんてなくても自然に目覚めます。6時前には、ベッドの上のシュラフから抜け出します。部屋は真っ暗です。ライトをつけるのははばかられるので、前夜のうちに用意して枕元に置いておいた袋を下げて洗面所へ。顔を洗い、歯を磨き、出発準備です。
わたしはここからがちょっとたいへんでした。数年前の山登りで歩けなくなった膝の痛みの再発を警戒して、スポーツタイツをはいてました。膝のあたりをギュッと締め付けてサポートしてくれます。暗闇の中で膝頭とタイツのラインをあわせて履くにはコツがいりました。
靴下は、マメができないように絹の五本指ソックスとウールの登山用ソックスの2枚重ねでした。四国のお遍路を歩いた知恵でした。
この五本指ソックスを履くのも、時間がかかりました。靴下を履く前に、指先にワセリンを塗りこんでおくのも、マメ防止の対策でした。おかげで、多くのペルグリーノ(巡礼者)を悩ますマメとは、ほとんど無縁でした。
この日は、朝食付きでした。でもそれは珍しく、いつもは何も食べずに6時から7時ごろにはアルベルゲを飛び出しました。まだ辺りは暗く、ヘッドランプの明かりが頼りでした。
1時間も歩いていると、明るい電灯がともっている店に出くわします。バルです。飛び込んで朝食となります。
カウンターにパン類や果物なんかが並んでます。わたしはきまってクロワッサンを指さし、「カフェ・コン・レチェ」と「スーモ(ジュース)」と頼みました。この3品をモーニングセットとしてメニューを掲げているバルもありました。5ユーロくらいです。
カフェ・コン・レチェは、ミルク入りコーヒーで、コーヒーマシーンで温かなミルクとともに注いでくれます。これに砂糖をたっぷりといれてすすります。
さて、きょうも歩くかとバルを後にすると、やがて背後の空が赤く染まり、大地の彼方からやっとお日さまが昇ってきます。
小さな村にも必ずとあるのがバルです。日本語のバー(BAR)は、アルコール類を提供する店ですが、こちらではもっと何でも屋さんです。朝はコーヒー、昼は軽いランチ、夜はメヌー(定食)を提供し、さすがに歩く前には飲みませんでしたが朝からビールやビーノ(ワイン)も出てきます。
どんな靴をはいていくかも悩みました。今回の靴は、トレッキング用のMERELLのミドルカット・シューズでした。
前回の巡礼では、もう少し堅い軽登山靴をはいてました。舗装路の連続で肉刺(まめ)ができた反省から、柔らかいのをと選びました。
靴には、オリジナルとは別に買ったロング・ウオーキング用の底が固いソールを入れてました。
充分に履き慣らしていたとはいえ、まだ新しい靴でした。それが巡礼から帰ってくると、防水のため内部に張られているゴアテックス(透湿性繊維)にほころびができていました。外観はきれいでしたが、雨の日には盛大に浸水するようになって買いなおしを余儀なくされました。靴は消耗品と実感しました。
みんなと食べる巡礼定食です。昨夜、宿泊したアルベルゲ「el palo de avellone」で夕飯も食べました。選択の余地はありませんでした。
13eurのディナーは7時からです。
まずはサラダから。
ワインは地元・ナバーラ産の赤。飲み放題です。
スープは、隣に座ったイタリア娘、リサがサーブしてくれました。
バルセロナ出身の陽気なニックが座を盛り上げてくれます。
ライスのなんとかかんとか。みんなでつまむ。
ポークリブ、ポテト添え。「イタリアでは手で食べるの」と、リサは豪快にペロリと。

テザートはティラミス。
ここまでくるのに一時間半ほど。楽しかったけれど、たいへんでした。
一番乗りでチェックインしたので、平ベッドを確保して、ゆっくりと休みました。
2日目の行程は、スビリまで下り坂の21.9キロ。
途中のブリゲッタの村を通過したところで日の出を迎えた。
「日はまた昇る」を書いたヘミングウェイが、マス釣りに訪れた地。
通り過ぎる村の、何気ない風景が素敵。
スビリには、昼過ぎに到着。ゆっくりとした午後を過ごした。

みんなといっしょに食べるコミュニケーション・ディナーです。偶然にもテーブルの隣や前に座った人たちと会話を楽しみながらいただきます。何を食べるかではなく、いかに楽しく食べるかということが味付けになります。
2日目に宿泊したアルベルゲ「el palo de avellone」では、夕飯も食べました。選択の余地はありませんでした。13eurのディナーは7時から始まりました。一斉に席に着きました。まずは自己紹介からー。
ペルグリーノ・メヌー(巡礼定食)はサラダから。
ワインは地元・ナバーラ産の赤。飲み放題でした。
スープは、隣に座ったイタリア娘、リサがサーブしてくれました。
バルセロナ出身の陽気なニックが座を盛り上げてくれます。スウェーデンからの女性が相槌を打ちました。
ライスのなんとかかんとか。みんなでつまみました。

ポークリブ、ポテト添え。「イタリアでは手で食べるのよ」と、隣のリサは豪快にペロリと平らげました。
テザートはティラミスでした。
スビリには昼前に着きました。泊まろうと心づもりしていだアルベルゲはまだ閉まってました。午後1時のチェックイン開始を待って、一番乗りです。
2階のベッドルームには、10台ほどの2段ベッドが並んでました。屋根の傾斜にあわせて天井が低くなっている壁際には、数台の平ベッドがありました。選び放題のわたしは、隅の平ベッドの上にシュラフ(寝袋)を開けました。これで今夜の寝場所が確保できました。
私営のアルベルゲで、1泊は10ユーロ(当時のレートで約1200円=以下同じ)でした。眠るベッドとシャワーがあるだけの、男女同室のコンドミニアムです。でもこれで十分です。食事は、夜朝2食で13ユーロでした。
この夜のペルグリーノ・メヌー(巡礼定食)です。エントランス(前菜)は、ミックスサラダでした。レタス、トマト、コーン、ニンジンにシェリー・ビネガーがかかってました。野菜が新鮮です。次に出てきたのは「レレロ」。地元・ナバーラのローカルフーズで、米団子のトマトスープ煮といったものでした。
お次のファースト(プリメロ)は野菜スープ。隣に座ったイタリア娘のリサがサーブしてくれました。トロリとおいしいです。メーンはポーク・リブのポテト添え。リサは「イタリアでは手で食べるの」と豪快にしゃぶりついてました。デザートはティラミスでした。
ここまでくるまで1時間半ほどはたってました。実は大変でした。これがコミュニケーション・ディナーというものでした。
たまたま同じテーブルに腰かけた何人かが、おしゃべりをしながら食事を楽しむのです。
その時、テーブルを囲んだのは、マドリードからやってきた陽気なニック。スウェーデンの2人組女性。それにリサとわたし。ニックがあれこれとおしゃべりして座を盛り上げてくれました。わたしはおいしい食事を口にしながらも、みんなの会話についていくのが必死でした。
それでも、日本のこと、どこからやって来たのかなんかをボソボソと英語で話すと、みんな聞き耳を立てくれました。
まだまだ緊張が解けない2日目でした。歩くことは何とかなりそうでしたが、このコミュニケーションに関しては、ちょっと先が思いやられました。
とはいえ、コミュニケーション・ディナーの機会は、それほど多くはありませんでした。わたしはもっぱらひとりでレストランやバルに出かけ、だれに気兼ねもなくゆっくりとワインを傾けていました。