my camino=1日目 旅立ちの日「介護」を越えて、ピレネーも越える 

 8月25日午前6時7分。イベリア半島のつけ根に横たわるピレネー山脈のフランス側の村、サンジャン・ピエ・ド・ポーのはずれにあるナポレオン門をくぐりました。あたりはまだ真っ暗でした。ナポレオンはスペイン遠征で、「ピレネーを越えたらそこはアフリカ」と言っそうです。わたにとっても、ここを越えたら、あとはただ歩くしかないカミーノ(巡礼路)のスタートでした。
 わたしは巡礼(2016年)の前年暮れで永年務めた新聞社を退職しました。自由な時間ができたらサンティアゴ巡礼に行こうと決めてました。巡礼のベスト・シーズンは5-6月です。パリ往復の格安チケットを予約しました。その直後に、大阪・水無瀬のわたしの自宅近くにある介護付き老人ホームで暮らす96歳の母親が倒れました。大腿骨骨折に軽い脳梗塞を併発していました。春は看病に終始してしまいました。
 ひと段落したら巡礼に行こう。そんな思いを募らせながら暑い夏を迎えました。母親の回復はぼちぼちでした。老人ホームに戻っても車いすの生活となり、自力で歩くことはできなくなってました。
 それでも平穏な毎日が戻ってくると、わたしの心は揺れ始めました。7月に67歳の誕生日を迎えました。今年行かなければ、もう二度とチャンスは巡ってこないのではないかという焦りの気持ちです。
 恐る恐る、ちらりちらりと探りを入れました。その相手は「奥さま」でした。
巡礼に出かけると、1カ月半は家を空けることになります。その間、母親の面倒を見てくれるのは妻しかいません。それを承知で「行く」とは言い出せませんでした。独り、パソコンに向かって巡礼のスケジュールを作ったりして、悶々とした日々を過ごしました。
 「行ってきたら」
 見かねたように発せられた妻のひとことが、わたしの背中を強く押してくれました。
 母の病気は、ひとつの逃げ道だったかもしれません。本当にわたしの体力で、独り800キロにも達する巡礼路を歩けるのでしょうか。そんなに長い一人旅なんて経験はありません。スペイン語はおろか、英語もカタコトでしか話せません。毎日の食事は、寝泊まりは…。実はわたし自身の気持ちのハードルも相当に高かったのです。
 ピレネーを越える道は、好天に恵まれました。どこまでも続く草原の道。強いアゲインストの風が足取りを重くしました。それでも、遂に一歩を踏み出せた喜びにあふれていました。

my camino=intro リタイアしたら サンティアゴ巡礼

 スペインの北西部・ガリシア州にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラという街に3本の尖塔が美しい大聖堂がそびえています。ここはキリスト十二弟子のひとり、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸が発見されたことから、エルサレム、ローマと並ぶキリスト教の3大聖地とされてきました。中世から、この聖地に向けてヨーロッパの各地に住むキリスト教徒が巡礼するようになりました。あちこちに巡礼路ができました。そのひとつが、フランス南東部のピレネー山脈の麓の村、サンジャン・ピエ・デ・ポーからスペインの大地を西へ西へと横切って780キロほどに及ぶ「フランス人の道」です。現代の巡礼で歩く人が最も多いのが、この巡礼路です。
 わたしは、会社員生活にピリオドを打って「リタイアード」という肩書を獲得した2016年、67歳にしてこの巡礼路を1カ月以上かけて歩きました。その2年前には、コンポステーラ(巡礼証明書)がいただける最小限の100キロ超のサリアから歩いてました。まだフルタイムで働いていた身には、10日ほどの休暇をとるのが精一杯でした。時間の制約に縛られてどこか満足しきれなかった最初の巡礼のリベンジでもありました。
 来る日も来る日もただ歩き、おいしいものを食べ、ビールやワインを飲む。あとは考えることはありません。邪魔をする人もいません。自分だけの時間を、贅沢に、思う存分に過ごしました。
 巡礼路では、多くの日本人とも会いました。多かったのが学生さん、それとわたしと同年配のリタイアした人たちでした。
 800キロにも達する徒歩の旅。すべての荷物をわが肩に背負ってのバックパッカー生活でした。日本語が通じないスペインです。何を食べて、どこで眠ればいいのか? から始まってほかにもあれやこれや。ハードルは高そうに感じていました。でも一歩を踏み出してしまえば、こんな時間の使い方があったのかと、それまでのわが身を鑑みても感慨深いものでした。そして、病みつきにななってしまいました。同じ巡礼路を同じ時期に歩いたS(67)さんは今、「北の道」という海岸線を通る巡礼路を歩いておられます。うらやましい限りです。
 サブタイトルとしている ¡¡ paso a paso !! は、スペイン語で「一歩一歩」という意味です。わたしも、次の一歩を踏み出せたらと考えています。
 2回の巡礼の写真を中心とした記録は、わたしのブログ『「どたぐつ」をはいて・・・』に残っています。もう一度、旅立ちたいという思い込めて、2016年巡礼の記録に文章も書き加えて新たなブログ「リタイアしたら サンチアゴ巡礼 ¡¡paso a paso!!」として再構成しました。     (巡礼から2年が過ぎた2018年秋 記す)

スタート前夜のSJPP


 パンプローナからバスで1時間半ほど。これから3日かけて歩く道を下見してサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに着きました。とにかく暑いです。あすは、きょうより暑いとの予報が出てます。

夕飯は簡単にと、カルボナーラを単品で頼みました。メニュー・(巡礼定食)と同じくらいします。

お決まりのビールとともに、きようも満足の締めくくりです。

風にふかれていい気分でした。
いよいよあすは、ルート最難関のピレネー越えです。

Paso a paso Dos プレ2=8/24 サン・ジャンで出発準備完了

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 サンティアゴ巡礼路のひとつ、フランス人の道のスタート地点となるフランス南西部の村、サン・ジャン・ピエ・ド・ポー。旅の2日目に到着した。

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 ノートル・ダム教会で献灯して、旅の安全を祈願した。

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 夕食は、宿泊したアルベルゲ近くのレストランで。スパゲッティ・カルボナーラは、こってりとおいしかった。

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バルセロナの夜 ピンチョス1号

バルセロナの夜です。ホテルは繁華街のど真ん中。にぎやかな人通りです。

夕食はバールで軽くピンチョスをつまみました。

ビールは黙っているとギネスでした。

目の前には、ゴールのガリシア名物、プルポというタコ料理も並んでます。これは、後の楽しみにします。

BAR INTERNTIONAL BEERのお代は8.6ユーロでした。

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KLMの機内食

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チキンかフィッシュかのセレクトで、和食のフィッシュです。メーンは鯖の竜田揚げです。温かくて、カリッとしてます。

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サラダとテザートがついてます。

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飲み物南アフリカ産シャルドネです。

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そうそう。このお洒落なサーブの仕方!もちろんハイネケンです。

おいしくいただいて、旅のスタートを切りました。

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セカンドは、チキンチャーハンでした。パラパラとはいえませんが、まずまずです。

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パンもおいしくいただきました。

アムステルダム・スキポール空港からのアップです。

Paso a paso Dos I am Japanese!

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リオ五輪で何度も揚がった「日の丸」。わたしのザックにも張り付けました。誇らしげです。
2013年の巡礼でもつけるつもりでした。ところが、マドリードに着いた日に、2020年五輪の開催地がマドリードを破って東京と決まりました。で、ちょっと自重しました。
巡礼のシンボル、ホタテ貝ととに歩きます。

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日の丸のワッペンを探してました。でも悲しいことに見つかりませんでした。
「フェルトでつくったら」という奥さまの提案で、手芸店で赤と白のフェルトを買ってきました。赤を丸く切り取って、あとは奥さまに針仕事をお願いしました。気分よく出発できます。

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