和歌山・高野山 高野街道で食べる 「助六」

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 高野街道を御幸辻から極楽橋まで歩きました。昼飯は、街道脇の丸太に座って食べた「助六」です。
 ずーっと歩き続けていて、初めての休憩です。たっぷりとご飯が詰まった、食べ応えのあるいなりです。
 食べた場所はこちらをご覧ください。

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 橋本市内の「紀の川寿司本舗」製でした。ザックでゆすられて、偏っています。

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 橋本市街をかすめるように通過して、橋本橋を渡りましt。向こうに食品店「三幸ストアー」の看板が見えます。ここを外したら、昼飯にありつけないのではと店に入りました。
 コンビニのような弁当はなく、あきらめかえたときにカウンター横に寿司が2つだけ置いてあるのにきづきました。鯖寿司と助六でした。もちらんわたしの選択は「いなり」の方です。

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 いかにも自家製といった感じの鯖煮も売ってました。おいしそうでした。

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高野街道を往く その2 御幸辻~極楽橋

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わずか1週間のことですが、だいぶ暖かくなりました。きょうはダウンのベストで出かけました。
高野街道を御幸辻から歩き始めました。ゴールと決めていた学文路(かむろ)には、予想以上に早く着いてしまい、そのまま南海高野線の鉄道終着駅の極楽橋まで歩いてしまいました。学文路から先は、結構な急坂続きでしたが、気持ち良い汗をかきました。

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春です。街道沿いには菜の花が咲いてました。

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高野街道を往く その1 河内長野~御幸辻

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久しぶりのウォーキングとなりました。年が明けてからは、なにやら予定が入る日が続き、休日ごとに天気が悪くなったりでした。きょうこそはと、出発しました。
昨春、東高野街道(八幡~河内長野)、西高野街道(堺~河内長野)を歩きました。
四国88カ所も結願しました。一緒にお遍路を歩み始めた友と、高野山へお礼参りに行く日も近づいています。それまでにアプローチを進める、きょうがタイムリミットだったのです。

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曇ったり、晴れたりの天気でしたが、ダウンジャケットは脱ぎ捨てて、それでも汗をかく日和でした。

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西山古道 西山三山を巡る

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西山古道を歩きました。
西山三山とも呼ばれる三ヵ寺、善峯寺、楊谷寺(柳谷観音)、光明寺を結ぶ古道を復活させるプロジェクトが進められ、善峯寺~楊谷寺、楊谷寺~光明寺ルートが整備されています。ポンポン山から善峯寺へ下山してきたとき、古道を紹介する案内板に気づきました。
西国札所の善峯寺からスタートします。

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山道の三叉路の窪地に、クリンソウの紫の花がきれいに咲いていました。そこだけ日が差し込むので、お花畑になっているのです。

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花の撮影に気を取られて、三叉路をそのまま左に進んでしまいました。これが大間違い。柳谷観音に向かう尾根道からそれて、谷を下ってしまいました。途中で気づきましたが、戻るのも面倒で、そのまま下降。途中のキャンプ場から西山古道を逆方向に進み柳谷観音に向かいました。

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アオキの実でしょうか。でも今ごろ、赤いまま残っているのは幼虫が内部にいるからだそうです。

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眼の観音さまとして知られる楊谷寺(柳谷観音)です。
回り道をしてしまい予定時間をすぎ、雨も降ってきたのでそのまま自動車道を島本町に向けて下り、水無瀬まで歩いて帰宅しました。

というわけで西山三山の紅葉が美しい光明寺には達していません。宿題が残りました。

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西高野街道 高野山女人堂への里程石をたどる

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 「週イチ20キロ」の12日は、堺の大小路から河内長野の東高野街道との合流点まで続く西高野街道を歩きました。
 高野山を目指すこの参詣道には、女人堂までの一里(約3.9キロ)ごとに里程石が残っているそうです。
 最初の「十三里石」は、南海・堺東駅から東に進んだ地蔵堂の脇にあります。
 「是より高野山女人堂江十三里」と刻まれています。高野山女人堂への13本の里程石は安政4年(1857年)に建立されました。
 すぐ先は、竹内街道との分岐です。

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 十二里石は、白鷺公園を越えたあたりの地蔵堂にあります。地名の堺市東区関茶屋は、そこに街道の茶屋があったということなのでしょうか。

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 十一里石は、狭山池近くに石柱だけが残っています。

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 十里石は、南海・滝谷駅近くにあります。ここも民家の塀際に石柱だけが立ってます。

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 西高野街道にある最後の九里石は、終点の河内長野近くにあります。地蔵堂には、大峰山の「三十三度」の碑なども並んでいます。

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東高野街道を高野へ その4 近鉄・古市~南海・河内長野

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東高野街道のその4は、近鉄・古市から終点の近鉄・南海・河内長野までです。歩いたのは3日です。
ここで、堺から続く西高野街道と合流し、高野街道となって高野山へと続きます。
富田林には立派な寺内町が保存されています。なかでも重要文化財の「旧杉山家住宅」は、往時の商家がそのまま残っています。

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端午の節句を前にして、石川の河川敷にはたくさんの鯉のぼりがはためいていました。向こうは金剛山です。

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東高野街道を高野へ その3 近鉄・石切から近鉄・古市

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週イチ20キロ。そんなのが習慣になりつつあります。
今週も歩きました。「東高野街道を高野へ」のその3は、近鉄・石切から近鉄・古市までの約23キロでした。
この区間は、近鉄の5路線を越えていくという「鉄っちゃ」の旅でもありました。

石切から歩き始めてすぐ。ひと駅戻った額田駅で奈良線を越えました。踏切が閉まる音に振り替えると、奈良行の急行が通過しました。三宮から乗り入れている阪神電鉄の車両です。

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東高野街道を南下して大和川に突き当たるところまで歩きました。
高架下が大阪線の安堂駅でした。急行が通過してゆきました。

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大和川を渡ります。道明寺線の鉄橋が並行してます。向こうが柏原南口です。
道明寺線は南大阪線の道明寺から分かれてJR柏原とを結ぶ短い支線です。終点近くには同じ近鉄の大阪線・堅下がありますが、そことは接続してません。鉄道開拓の歴史があります。
仮に今、つなげても、狭軌(南大阪線)と標準軌(大阪線)と線路幅が違い、相互に乗り入れることはできません。

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土師ノ里近くで南大阪線の踏切を越えます。吉野行の特急が通過しました。

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今回のゴールとした古市です。向こうに長野線の河内長野行きが止まっています。
古市は、道明寺線-長野線の方が先に誕生して、その後に南大阪線ができたはずです。そのため筆記体の「X」のように道明寺線-長野線の方が直線です。なにかの本で読んだおぼろげな記憶です。

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東高野街道を高野へ その2 京阪・郡津~近鉄・石切

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 東高野街道を南下する2回目です。
 春とはいえ、ちょっと肌寒い日和でしたが、街道筋にはレンゲも咲くのどかさも残ります。

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 JR学研都市線・星田駅前には、見事なフジが咲いてました。

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 「野崎参り」で知られる野崎観音(慈眼寺)に参りました。初めてです。

 京阪・郡津から歩き始めて20キロほど。最後は街道から外れて近鉄・石切で区切りとしました。

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東高野街道を高野へ その1 京阪・八幡市~京阪・郡津

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京の都と高野山を結ぶ「高野参詣道」のひとつです。
東高野街道は、石清水八幡宮(八幡市)から洞ヶ峠を越えて、生駒西麓を南へ進み、石川をさかのぼって河内長野までの大阪を南北に縦貫する街道です。

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四国88か所のお遍路はまだ途上です。
満願の後には、高野山へのお礼参りがあります。お遍路と並行して、高野山の麓まで歩いておこうと思います。

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西国街道を上る その3 池田・石橋~島本町

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西国街道を上るのも3回目です。すっかり暖かくなって、満開の桜とも遭遇しました。
箕面市の国道171号と新御堂筋の交差点北東にある「木戸ケ池緑地」です。

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高槻市にある「今城塚古墳」の内壕です。北側は水をたたえています。

前回ゴールの阪急・石橋駅からわが家近くのJR島本駅まで、国道171号にそってほぼ29キロを6時間かけて歩きました。

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