屋久島の縄文杉への登山口となっている荒川登山口が、安房森林軌道の小杉谷線の出発です。
朽ちた車庫には、黄色塗装の小型気動車がとまってました。まだ現役のようです。
カテゴリー: わたしの好きなもの
屋久島 「安房森林軌道」を歩く
鹿児島・屋久島のシンボル・縄文杉がこれほど「山ガール」に人気のスポットであるとは知りませんでした。大株歩道入口は、色とりどりのタイツやシャツで身を包んだギャルやカップルでいっぱいです。
安房森林軌道は、伐採された屋久杉を運び出すために敷設された森林鉄道です。
大株歩道入口から出発点の荒川登山口までの7.1キロの線路上を下りました。当然、行きは反対向きに歩きましたが、午前5時15分にスタートしておりまだあたりは真っ暗でした。
青春18きっぷで行く 餘部鉄橋のいま
「青春18きっぷ」の残り1回分を、息子から払い下げを受けました。どこに行こうかと考えて、「餘部鉄橋」にしました。「いま」はどうなているのかと。
午前6時9分、島本発の電車で出発。京都-福知山-豊岡と普通列車を乗り継いで11時8分に餘部駅に到着しました。
鉄橋の横には、コンクリートの新しい橋がかかり、鉄橋そのものは3分の2以上が解体撤去されていました。
青春18きっぷで行く 城崎温泉 「海中苑」の海鮮丼・海
「青春18きっぷ」で旅に出ました。といっても日帰り。朝早くから10時間ほど「乗り鉄」に徹しました。
城崎温泉でひと休み。駅前にある「おけしょう鮮魚の 海中苑 駅前店」に直行しました。2度目です。
「海鮮丼」が食べたかったのです。
シーズンではないですが、やはりカニですね。
うまい!!
11種盛りです。「海鮮丼・海」(1890円)です。ちょっと贅沢をしました。
ウニ、イクラ、カニ、タコ、イカ、ハマチ、マグロ・・・。
ウニです。甘エビです。どれもとろりと舌にとろけます。
前回は、カニを平らげてから「海鮮丼・舟」を食べてます。
「魚がどれも2倍になってます」というのが違いです。納得です。
城崎温泉 おけしょう鮮魚 海中苑
兵庫県豊岡市城崎町湯島132(本店の住所です)
0796-29-4832
もちろん、温泉にもつかって汗を流しました。
地蔵湯です。城崎温泉に外湯が7つあります。気軽に入れるのがうれしいです。
正面に見えるの緑のとんがり屋根が地蔵湯です。あまりに暑くて一番大きな一の湯までは歩く気がせず、近くですませました。これが大正解。きれいな温泉で、広々とした浴室に入ったときはわたし独り。最高の贅沢でした。
地蔵湯
豊岡市城崎町湯島796
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Göthestraße 88 をつくる
ドイツみやげの「グラーツのシュトラーセン・バーン(路面電車)」です。これを飾るミニ・ジオラマをつくりたくなりました。ミニといってもHOゲージですので、かなり大きくなります。
ネットであれこれ検索して、「Göthestraße 88/ゲーテ通り88」と名付けられたプラモデルの5階建てハウスを見つけました。パッケージの写真に電車を並べて、とりあえず全体イメージができあがりました。
ドイツの「FALLER」というメーカーの製品です。これだけユーロ安なので直輸入(といってもネット購入)も考えましたが、西宮市のショップがネット販売しており、すぐに手に入りました。
FALLERの製品は、「教会のあるパイク」でも使っています。
パイクでつくったチャペルのようにもう少し簡単なものを想像しtました。パッケージを開けると、これはかなりパーツ数があるプラモデルそのものです。まあ、楽しみながらゆっくりとつくります。
すべてが完成したイメージは、オーストリアのグラーツで出会ったこの光景です。
この一部を切り取ったワンショットが目標です。
東京・上野 2つのフェルメール展
東京出張の仕事が終わった後、上野に向かいました。ベルリンのGemaeldegalerie/絵画館で「東京に出張中」と教えられたフェルメールに会うためでした。
国立西洋美術館で開かれている「ベルリン国立美術館展~学べるヨーロッパ美術の400年」です。
お目当てはフェルメールの「真珠の首飾りの女」です。
左上から差し込む光と、小さな鏡に向かって自らの真珠の首飾りを見つめる女性。フェルメールらしい淡い光が柔らかいアナログの色調です。
東京ってやはりすごいです。同じ上野公園内でもう一つのフェルメールに会うことができます。
東京都美術館で開かれている「マウリッツハイス美術館展~オランダ・フランドル絵画の至宝」です。
こちらには世界的なフェルメール・ブームのシンボル的存在といわれる「真珠の耳飾りの少女」がいます。
小さな絵画です。真っ黒なキャンバス上で、大きな瞳の少女が振り向いています。左上からの光を浴びてます。でも余計なものはありません。圧倒的な迫力です。こちらはデジタルの世界です。
もうひとつ、フェルメール初期の作品「ディアナとニンフたち」も展示されていました。
フェルメールに会っただけで、ほかの作品はおおざっぱにしか見る余裕はありませんでした。それでもちょっと疲れました。
「PARK SIDE CAFE」に座って、しばし休憩です。木陰のテラス席でおいしいビールです。
ちょっと小腹が空いていたので「アンチョビー・ポテト」も頼みました。いい時間です。
隣の席で、ノートになにやら書いていた外国人女性は白ワインのお代わりを頼みました。わたしも「同じの」と言いたくなりました。女性がちょっと席を立ったのでパチリ。
PARK SIDE CAFE
東京都台東区上野公園8-4
03-5815-8251
JRの上野駅公園口に向かっていると、向こうに東京スカイツリーが見えました。カメラは広角レンズ(RICOH GRdigital)ですので、小さくしか写ってませんが、実際には空にそびえているようには見えました。
ライプツィヒ、ワイマール メンデルスゾーンとリストを訪ねる
【6/8】
ライプツィヒはバッハだけでなく、メンデルスゾーンにとってもゆかりの町です。
聖トーマス教会の正面側にメンデルスゾーンの立派な像があります。
1809年2月3日にハンブルクで生まれ、1847年11月4日に、ライプチィヒで亡くなっています。
20歳のとき、バッハの「マタイ受難曲」の公開演奏を作曲者の死後初めて行ったことで知られます。
メンデルスゾーンが指揮者をつとめたゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地、ゲヴァントハウスからそれほど遠くないところにメンデルスゾーン・ハウスがあります。メンデルスゾーン家は、銀行業で成功していたため、家もこの通りに立派です。
建物の手前に入り口はあります。
メンデルスゾーン資料館に残されているピアノです。
旅行用バッグが置かれています。
気持ちのよい中庭です。右手にはメンデルスゾーンが開校し、校長となったライプツィヒ音楽院の施設があります。
木陰でくつろぐ音楽院の学生たちです。
メンデルスゾーンの胸像が、ハウスを見上げています。
環状道路沿いにはメンデルスゾーン音楽演劇大学がありました。
メンデルスゾーンは1843年にドイツ初の音楽高等学校であるライプチィヒ音楽院を創設しました。同校の日本人留学生第1号は瀧廉太郎でした。
【6/9】
ワイマールにはリスト・ハウスがあります。1869年から亡くなる867年までここで暮らしました。
ワーグナーやブラームスもこの家を訪れているそうです。
内部の撮影は許可されていませんが、リストのデスマスク、作曲に使用したピアノなどが展示されていました。
マルクト広場からそれほど遠くないところにワイマール・フランツリスト音楽院はありました。
ブダペストのリスト音楽院と比べると、ちょっとこぢんまりとしていました。
プラハ 地下鉄は地下深くを走る part2
「BACH 音楽三昧の旅」もさすがにネタが切れてきました。
プラハの地下鉄です。地下深くを走ります。2005年の旅でも「地下鉄は地下深くを走る」と書いてます。
ホテル最寄りのマロストランカー駅です。
エスカレーターは、地下深くに吸い込まれます。階段なんてありません。しかもかなり高速です。
プラハの地下鉄は、A、B、C線の3本です。
チケットは自動券売機で買います。1区間とか、24時間有効とかがあります。券売機は英語表示もありますので、それほど難しくはありません。
改札口がないので、使用済みのチケットは手元に残ります。
ベルリン 迷路のような中央駅
【6/10】
ベルリンにやってきました。真新しいHauptbahnhof/中央駅に到着です。ここが初心者にはなかなか手強い駅でした。
ライプツィヒのホテルは、朝食前にチェックアウトの勘定をすませました。7時からの朝食でしたが、駅前とあって7時51分発のICEにゆっくりと間に合いました。
74分でベルリン中央駅です。到着したホームは地下にあります。
とりあえず地上に上がりましたが、駅全体のイメージがわきません。当然、どちらに行ったらいいのかもわかりません。
「地球を歩く」の交通路線図を見て、中央駅からポツダム広場駅までの電車に乗ろうとしました。それがどこから発車するのかがわかりませんでした。今になって調べるとやってきた路線を1駅戻るだけでした。
で、うろうろ。結局は3階を直行する近郊列車に乗ってひと駅先のフリードリッヒシュトラーセ駅まで行き、そこからSバーンに乗り換えました。
Sバーンのブランデンブルク門駅です。
この電車、どちらに向いて走り出したと思われますか。向こうです。走り去る最後尾を写しているのです。日本の地下鉄とは走行方向が逆です。これだけで、方向感覚が失われるのです。
「Burandenburg Tor」と駅名表示はありますが、日本のように次の駅の表示はありません。これも初心者には困りものです。列車の行き先表示を見ても、その行き先がどこにあるのかわかりません。大阪・地下鉄の御堂筋線なら、行き先はなかもづか千里中央、たまに天王寺か新大阪くらいです。南北どちら向きかは、意識せずともわかります。それがわかりません。
あきらめて、隣の駅まで行くのに「Does this train go to ○○?」と隣の人に確認しました。
ベルリンの地下鉄はこんな色です。
Regio/近郊列車は2階建て車両も多いです。日本のように大混雑するラッシュアワーってないのでしょうか。
スーツケースを回収して、Sバーンでホテル最寄り駅のフリードリッヒシュトラーセ駅に向かいます。
中央駅のコインロッカーは、大きなロッカーはほとんど空きがありませんでした。行きつ戻りつ2カ所でやっと見つけましたが、次は小銭が足りません。近くにあった両替機は「故障中です」と先客のおばさん。そのおばさんについて、ホームのコンビニまで行って、ガムを買って釣り銭を手に入れました。
旅の最後の日。テーゲル空港に向かうタクシーから見た中央駅です。2006年のサッカー・ワールドカップに合わせて開業しました。
空の玄関口も、ブランデンブルク空港が開港予定でしたが、直前に延期になってしまいました。
ドレスデン 奇跡の復活、フラウエン教会とゼンパー・オーパー
【6/5】
フラウエン教会(聖母教会)はドレスデン旧市街の真ん中にあります。何度か前を通りました。さて入ろうと行ってみると、ドアの前はちょっとした行列です。とりあえず並んでみました。
正午前にドアが開いて招き入れられると、なんと「オルガン礼拝」が始りました。信者ではありませんが、敬虔な気持ちで、荘厳に響き渡るオルガンの音を浴びました。
18世紀前半に建てられたバロック様式の教会です。柱がない堅牢な大きなドームが特徴です。
ドレスデンが一夜にして焼け野原となった連合軍の空爆にも耐えましたが、内部に火が回り、2日後に崩壊したそうです。
共産党政権時代はがれきの山のまま放置されていましたが、ドイツ統一後の1994年から10年余をかけて昔の姿に再建されました。
黒い部分は昔の教会の石材がそのまま使われています。その一部が展示されています。
この再建作業は「世界最大のジグソーパズル」と呼ばれました。
「君主の行列」は、ザクセン王をはじめ総勢93人の歴代君主が、マイセン磁器タイルで表現されています。
空襲を奇跡的に免れた壁は、長さが102メートルもあります。
向こうがフラウエン教会です。
ドレスデン城のガイドツアーでしょうか。すごい衣装の女性が現れました。
ゼンパー・オーパーも空襲で焼失しました。1985年に再建されています。
ここは、ドレスデンにやってきた夜に、ゼンパー・オーパーの「メンコン」を楽しみました。
19世紀の劇場建築家の巨匠、ゴットフリート・ゼンパーによって宮廷劇場として建設されたオペラハウスです。
イタリア・ルネサンス様式の華麗な内部です。
まるで宮殿のようなゆったりとした廊下です。
窓からは大聖堂が目の前です。
ホールの見事な天井です。
天井の高いオペラ座は、ベルリン・フィルハーモーニーとまた違ったすばらしい音響空間でもありました。