「ドイツ騎士団修道会のゲストハウス」で過ごす

 窓の外はシュテファン大聖堂でした。急こう配の屋根に雪が残っています。
 高さ136.7メートルの南塔がそびえます。なんと1359年に65年がかりで完成しました。

 雪が消えた大聖堂の屋根は、10色のタイルで彩だれたモザイクが鮮やかです。
 南東のこの屋根には、ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が描かれています。

 別の夜に通りから見上げました。

 シュテファン大聖堂で5日午前零時から演奏されたモーッアルトのレクイエムを楽しみました。
 とにかく近くてリーズナブルな宿として、いつも使っているBookin.comでたまたま予約したのが Gästehaus Deutscher Orden Wien でした。それほど由緒あるところとは、知りませんでした。
 部屋にはいる壁には、ベラスケスの描いたマルガリーテ王女が飾られていました。大好きな絵画です。美術史美術館で再会しました。

 質素な部屋ですが、ゆったりとしていました。
 最上階(6階)にあり、天井の傾斜にあわせた窓があります。

 ここでもリクエストでバスタブつきです。小型冷蔵庫と湯沸かしポットくらいがあれば最高でした。
 チェックイン時に鍵束を預かり、深夜でもその鍵で出入り自由。ほとんど他の宿泊者と出会うことはありませんでした。

 窓の外には、前夜来の雪が残ってました。

 翌朝は、またもや雪が降り積もっていました。

 屋根が真っ白になってました。

 廊下の窓にクリスマス・オーナメントが飾られていました。

 中庭を見下ろしました。

 ゲストハウスがあるドイツ騎士団修道会の館はジンガー通りに面してます。建物内に教会もあり、その塔がそびえています。時間になると、鐘の音が響きました。
 筋向かいにある看板だけがのぞいている「BILLA」は、お世話になったスーパーマーケットです。

 ドイツ騎士団修道会は、ローマ・カトリック教会の公認する騎士団で、12世紀に結成されました。十字軍でも活躍しました。現在は、ここに本部が置かれています。

 教会の扉です。毎日9時からミサが行われていました。

 当時25歳だったモーツァルトは、1781年の3月16日から5月2日までここに滞在しました。この期間に、それまで仕えたザルツブルク大司教と決別して、ウィーンで音楽家として独立する決断をしました。

 モーツァルトのコンサートの案内看板です。コンサートの受け付けが行われているのにも遭遇していました。
 館の2階にウィーン最古といわれるホール、サラ・テレーナがあります。モーツァルトもここで演奏したことがあるそうです。
 これを知ったのは帰国後です。そんなことなら「いずれチンドン屋楽団だろう!」とバカにしないで、一夜を楽しんでおくべきでした。

 中庭に通じているドアです。

 中庭から見上げるシュテファン大聖堂の尖塔です。

 中庭の奥の方から館を抜けると、もう一つ中庭がありました。見たような記憶があると思ったら、カフェのハース・アンド・ハースの入口でした。

 黄色いローズが雪をかぶって凍っていました。

 中庭を抜けて左に歩いた先にモーツァルト・ハウスがありました。「フィガロの結婚」を書いた住居です。わたしが初めてウィーンを訪れたときにはフィガロ・ハウスと呼ばれていました。

 ハース・アンド・ハースの横の通路を抜けると、大聖堂の裏手に出ました。

 この花屋さんは、いつもきれいでした。クリスマス・リースが山積みされていて、ひとつ買って帰りたかったです。

 グーグルの航空地図で位置関係を確認しました。
 右下の黄色丸印が、宿泊した部屋です。矢印が大聖堂の方向です。