京都を歩く 市電の残影~北野線

 あすからは寒くなりそうという天気予報です。その前に京都を歩きました。
 テーマは「京都市電の残影」です。20年ほど前に、路線跡や保存車両を見て回ったことがあります。このブログにも、その記録は残っています。
 北野線は京都駅から北野天満宮まで6.3キロをを結んでいました。昭和36(1961)年に廃止されるまで狭軌のままで走っていたチンチン電車です。
 路線跡をもう一度、歩いてきました。

 北野白梅町から歩き始めました。

 学問の神様の北野天満宮です。きょうは門前で参拝しました。

 北野線の記念碑が立っています。北野線はここから京都駅間を結んでいました。

 明治28(1895)年に開業したときは、京都電気鉄道(京電)という民営の電車でした。その後、京都市電に編入されました。

 下の森で左折して一条通に入ります。

 京都市こども文化会館が解体されて平地に整備されています。
 ここに北野線の車庫がありました。

 七本松通の角に、チンチン電車のモニュメントがあります。

 この辺りは、宮本武蔵の決闘の地であり、出雲の阿国の歌舞伎の始まりの地です。
 画像は、デジカメの設定がズレてモノクロになってました。

 商店街の歩道には、チンチン電車のイラストが埋め込まれています。

 上を見てもチンチン電車です。

 千本中立売、略して千中の辺りはかつては歓楽街としてにぎわいました。その名残のような「西陣京極」の看板です。

 正親小学校の角に「聚楽第址」の碑が立っています。聚楽第は豊臣秀吉が造った政庁・邸宅・城郭です。その西濠があったところです。
 向こうの碑は「平安京大蔵省跡」です。

 もう少し歩くとまたも「聚楽第址」です。こちらは東濠のあとであり、大内裏の東端でもあります。

 広い堀川通を越えると、堀川第一橋がかかっています。北野線はここで右折しました。

 堀川の川原(?)に降りました。石造りが美しい堀川第一橋は鶴の橋とも呼ばれます。

 堀川第一橋を潜った西側にレンガの擁壁が残っています。ここに北野線の鉄橋が斜めに架かっていたのです。

 東側にも橋台の名残が残っています。ひし形の石が並んでいるあたりの上に鉄橋が架かっていました。

 北野線の廃止記念に発行された乗車券です。この場所が絵柄となっています。
 この記念乗車券は、どこかに保管しているはずです。すぐには見つからないので、わたしのブログ上の画像をコピーしました。 

 2軸のチンチン電車です。

 下長者町の辺りです。チンチン電車は堀川沿いの東堀川通を走ってました。

 右手に二条城が見えます。

 ここにはかつて京都国際ホテル(現在はホテル ザ 三井)がありました。わたしはここで結婚式をしました。

 小さなマンションの前にチンチン電車のモデルが飾られていました。

 御池の角に堀河院跡の碑があります。藤原家の邸宅があった地で、NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する藤原兼家らも暮らしました。
 後ろは京都堀川音楽高校です。

 四条通で北野線は左折しました。

 西洞院通までの区間は、軌道幅が違う京都市電と併行して走ってました。レールは片側を共用する「3線軌条」でした。

 西洞院通から南下します。
 角には小野小町の邸宅があったそうです。

 菅大臣神社です。菅原道真が生まれ、邸宅があった地で、道真の産湯の井戸も残っているそうです。

 こんな朱印集めもあるのを知りました。スタンプラリーには弱いです。いつか歩いて参りましょう。

 五条通を越えます。向こうに清水寺が見えます。

 七条通から振り返りました。20年前は、北野線のものと思われる架線柱が残っていたはずです。でも撤去されたのか、コンクリート柱だけでした。

 七条通を過ぎると、電車道はさらに細くなりました。

 塩小路通を左折して京都駅に到着です。関西電力ビルの前あたりに乗降場がありました。

 JR京都駅の外壁に京都タワーが映っていました。

 前回の「京都を歩く」のスタートとなった羅城門の復元モデルが展示されていました。

 京都駅前の東側にある「電気鉄道事業発祥地」の碑です。日本最初の電気軌道は、明治28年にここから伏見区までが営業を始めました。

 歩いて距離は8㌔弱ですが、きょうはここまでとしました。