東高野街道を南下する2回目です。
春とはいえ、ちょっと肌寒い日和でしたが、街道筋にはレンゲも咲くのどかさも残ります。
JR学研都市線・星田駅前には、見事なフジが咲いてました。
「野崎参り」で知られる野崎観音(慈眼寺)に参りました。初めてです。
京阪・郡津から歩き始めて20キロほど。最後は街道から外れて近鉄・石切で区切りとしました。
【9:33】
JR-京阪バス-京阪・交野線を乗り継いで前回のゴール、京阪・郡津が今回のスタートです。サツキがきれいに咲いてます。
【9:41】
天野川を渡ります。向こうが生駒山です。
【9:57】
第二京阪道路ができて、このあたりの街道は寸断されているようです。
【10:01】
交野市と枚方市が入り組んでいます。
「府道枚方富田林泉佐野線」です。東高野街道は富田林を越えて、その先の河内長野まで続きます。
【10:26】
JR星田駅です。フジがきれいでした。
【10:45】
頼りにして歩いている案内図には、「打上の弘法井戸」というのを回っていくように記されています。
ところが、どこかで道を間違えて打上の古い集落に迷い込んでしまいました。
【10:50】
愛宕灯篭もあって風情があります。
【10:57】
結局、弘法井戸はわからないままでした。JR学研都市線を東寝屋川駅で越えます。
【11:00】
打上古墳群の説明がありました。やっと昔の街道らしい雰囲気も出てきました。
【11:09】
火の見櫓(?)の下に2基の灯篭があります。左の立派なのに「二月堂」とあります。東大寺の二月堂にお参りする風習の名残のようです。
【11:19】
JR忍ケ丘駅前には、白い花水木が咲いています。
【11:29】
四条畷市では「東高野街道」が大切にされています。
往時の東高野街道の通過ポイントです。
【11:33】
四条畷図書館の前には「市内に残る東高野街道の今昔」を記した案内板があります。
【11:36】
「すぐ東高野街道」と刻まれた碑が残っています。
【11:44】
四条畷市立歴史民俗資料館の前には、新しい「東高野街道」の石碑がたてられています。
【11:48】
府道に戻ったところにある「和田賢秀公墓」です。
楠正行が敗れた四条畷の戦いで、ともに戦った勇将です。敗れた相手は足利側の高師直です。西国街道を歩いて高師直の墓も通りました。
【11:52】
四条畷神社の参道です。楠正行を主祭神とする神社です。
【12:02】
府道から左に分岐して東高野街道は続きます。さして街道の風情は残ってませんが、車の排気ガスを浴びないだけでもありがたいです。
【12:11】
野崎観音までやってきました。長い階段を上がります。
野崎参りは屋形船で参ろ-という歌の先入観からか、平地にあると思い込んでいました。
歌舞伎浄瑠璃の「お染久松」の舞台でもあります。二人の塚もあります。
展望台からは大阪のビル群が見渡せます。
【12:34】
昼飯をどこかで食べよと、参道をJR野崎駅まで下ってきました。
大東市のマンホールです。当然のことのようにテーマは野崎参りです。船と陸を行く参拝客が競ってます。
【12:52】
阪奈道路の入口までやってきました。
ここで昼飯タイムをとりました。
【13:37】
再び国道170号を南下しますが、国道とは名ばかり。歩道もない狭い道です。
【14:01】
東高野街道を外れて、生駒山ろくの急坂を登りました。
【14:10】
目的地はここでした。
近鉄の旧生駒トンネルです。大正3年(1914)の開業時から現在の生駒トンネルが開通した昭和39年(1964)までの約50年間、使われてきました。現在はフェンスで覆われていて、これ以上は近づけません。
トンネルを出てすぐに駅があったことがわかります。
【14:15】
大阪市街を望みます。左橋があべのハルカスです
【14:17】
もう少し歩くつもりでしたが、冷たいものが落ちてきたので、ここまでとしました。