懐かしいシリーズ第2弾です。こんなのも出てきました。
「無線従事者免許証」です。アマチュア無線(ハム)の国家資格です。正確には「電話級アマチュア無線技士」と「電信級アマチュア無線技士」の2種類です。
電信級はトン、ツーのモールス信号で交信します。その技術を試す実技試験もありました。
両方とも昭和40年の発行で、高校1年だったわたしの若かりしころの写真が張られています。
現在は、アマチュア無線技士の資格制度が変わってます。でもこの免許証には有効期限はなく、今も有効なはずです。
札幌一の歓楽街、すすきのです。やってきたのは二度目ですが、あまり覚えてません。
平日の午後9時というのに、通りは人であふれてます。
ここでも、チャイニーズが圧倒的に多いです。
有名な札幌ラーメンは、まだ食べてません。夕飯はジンギスカンだったので、腹いっぱいです。
ビルごとすべてが風俗店という威容です。残念ながら、そちらにも食指が動きません。
静かそうなワインバーのカウンターに座りました。「白」をグラスで。よく冷えてます。
「こんなににぎやかなのは、この季節だけですよ」と、ウェイトレスさん。
最高気温20度の稚内から出てきたこともあって、その熱気に圧倒されっぱなのわたしのすすきのの夜でした。
利尻からフェリーで稚内に渡りました。レンタカーで宗谷岬まで走り、稚内空港で帰阪(1人は鹿児島まで)する仲間を見送りました。
レンタカーがあるので、ノシャップ岬まで行ってみました。でも、強い風雨です。折り畳み傘が壊れそうです。
あわてて車に戻りました。
夕日かきれいというスポットです。期待なんてしてませんが、案内板のような利尻山が見えるはずがありません。
「最北端の線路」と書かれたきれいなJR稚内駅です。
でも本日午後以降、といっても3便ですが、風雨のために運休です。
運休のお知らせに、慌てる観光客もちらほら。わたしも早々にホテルにチェックイン。情報収集して、あすの予定を変更。旭川には寄らず、札幌に直行する高速バスを予約しました。
ああ、雨に降られただけの稚内です。
「ギャルリ ももぐさ」は、娘のイチオシでした。なんでも新幹線とタクシーを乗り継いで行ったことがあるそうです。
なにも理解できないまま、ハンドルを切りました。多治見の中心部からちょっと山の中に分け入りました。古民家風の建物を入ると目に飛び込んできた光景です。
なにここは。まるでバーゲン売り場のような熱気を帯びてます。
「ミナペルホネン+百草」という催しを開催中です。
minä perhonen(ミナペルホネン)は、いただいたパンフレットによると、デザイナーの皆川明さんのファッションブランドで、織り、刺しゅうやプリントなどオリジナルデザインのファブリックを作るとっころから服作りを始める・・・だそうです。
物干しざおにズラリとぶら下がっているドレス。値札を見てびっくり仰天。おじさんの金銭感覚からすると、確実にゼロが1個多いです。
こんなドレスを売るショップは、京都と東京の2店しかないそうです。わたしと同期入社の女性編集委員さんも、そのドレスを買ったことを新聞記事にしていたそうです。
これなら、若干の興味をひきました。
山の中の一軒家風なのに、広い駐車場はいっぱい。タクシーを乗り付けた若い女性は、すでにこのファッションのモデルのよう。まだお買い上げですか?
ギャルリ ももぐさ
岐阜県多治見市東栄町2-8-16
0572-21-3368
きょうも良い天気でした。母親の車いすを押してちょっと散歩すると汗ばみました。
「京都老舗おかきお煎餅専門処」と称する小倉山荘本店にある「小倉山荘カフェ」で休憩しました。
かき氷が食べたかったのですが、メニューにはありませんでした。アイスクリームに魅かれて頼んだ「春詠みあんみつ 春かすみ」(864円)です。
アイスクリームは、バニラと桜のチョイスでした。当然、桜を選びました。桜の葉に桜色のクリームは隠れています。花弁の塩味が、甘いクリームとあいます。
小倉あんは、甘さ控えめで、わたしでもペロリと楽しむことができました。
小倉山荘は、会社でもみやげでもらうことはありますが、本店がこんな人気スポットとは知りませんでした。手ごろな価格設定もあって、大きな袋にいっぱい買っていく客が多いです。
カフェには、観光ツアーも予約をいれていて、おかげで待たされました。
小倉山荘カフェ
長岡京市今里蓮ケ糸45番地
075-957-0707
長岡天満宮は、キリシマツツジが満開です。
八条ヶ池を巡る遊歩道が整備されています。
長岡天満宮に初めてやってきたのは、幼稚園の遠足でした。季節までは記憶がありません。
筍料理の「錦水亭」の東屋越しにみるツツジも美しいです。
長岡天満宮
長岡京市天神2丁目15-13
東舞鶴の商店街、八島通りを歩きました。義母を病院まで送った後、診察が終わるまで時間がありました。
最初に目に飛び込んできたのが、これです。そういえば知ってましたが、改めてクスリとしました。
居抜きで開店したとはいえ、このセンス。「中央市場」、改め「中央酒場」です。市場だった時代ほど繁盛しているのでしょうか。
もう少し歩きます。
郡是製絲株式會社は、お隣の綾部が創業の地です。メリヤスは「莫大小」ですね。
舞鶴といえば「岸壁の母」ですが、そんな銘菓は食べたことがないです。
肉じゃがも海軍カレーも、舞鶴の名物です。
航海に出た海軍艦艇の乗組員が週の感覚を失わないよう、毎週金曜日にカレーが給されました。今も舞鶴では「金曜日はカレーの日」と定めて、海軍カレー・グランプリなんかが催されています。
「日本の夏」は、これなくては過ごせません。
学生さんの需要もあるようです。安心しました。
55年も愛されてます。
シャッター通りとなりましたが、2店が健在です。
軍港があった東舞鶴は、通り名が海軍の戦艦などからきています。
新市街の命名 新市街工事の完成に伴い、明治三十五年十一月、倉梯村大字浜を中心に新市街の通り名が付けられた。市街地は海軍都にふさわしく戦艦、巡洋艦など艦種別、建造年代順に軍艦の名が用いられ、中心部を条に分けた。
寺川、与保呂川間の南北の通りは西から寺川沿いを八雲通り、続いて一条から九条に分けた。
東西の通りを北から
(海岸) 八重山 富士 (大門) 八島 敷島 朝日 初瀬 三笠
与保呂川、祖母谷川間を南北に、西から
(養老) 吾妻 磐手 出雲 浪速
東西に
千早
祖母谷川から市場間を南北に、西から
千歳 高千穂 厳島 松島 橋立 高砂 宮古 曙
寺川以西は南北に、東から
千代田 和泉 秋津洲 須磨 明石 筑波
東西に
武蔵 高雄
北吸に
比叡 天竜 葛城 大和
と名付けた。
(注)カッコ内は艦艇名でないことを示す。大門通りとは鎮守府裏門(東門)からの通りの意味である。
こんな記述が舞鶴市史にあります。