Myメモリー 槍穂縦走 ’75

 5万分の1地図が2枚、なぜか兄の地図ボックスから見つかったと返還されました。40数年前のMyメモリーが蘇りました。
 1975年夏に北アルプスの槍穂高を縦走した記録です。新聞社に就職して2年目の夏休みのことです。岡山支局勤務でした。
 8月28日に夜行で松本に着き、上高地から槍沢を登って殺生ヒュッテ泊。29日に槍ヶ岳から南岳、大キレットを通って北穂高小屋へ。30日には奥穂、前穂高岳と縦走して岳沢を上高地に下山しています。
 地図の裏に押されたいくつもの山小屋のスタンプが、汗でにじんでいます。右端の燕山荘(燕岳)は別の日に登ったものです。

 槍ヶ岳は表銀座コースの東鎌尾根からも2回は登っています。常念岳から蝶岳を通って徳沢園に下山したこともあったのです。なんと43年前の11月2日には、常念小屋に泊まっていました。すっかり忘れていました。
 写真もどこかにしまい込んでいるはずですが、すぐにはわかりません。

 国土地理院発行の5万分の1地形図のうち、上高地と槍ヶ岳です。当時の登山の必携品でした。
 価格は印刷されていませんが、最初は1枚50円くらいだったと記憶しています。
 現在のようにYAMAPなんかでダウンロードといった便利な時代ではありませんでした。

 

京都水族館 ~孫娘と一緒に

 京都水族館に初めて行きました。孫娘(2つ)のお相手です。
 ジャンプ!! イルカのショーが始まりました。
 さすがに台風がやって来る前の日です。

 よく教育されています。というか、イルカの賢さがわかります。

 かわいいイルカたちでした。でもー
 牛豚はOKでもイルカはNO。有無をいわせず水族館を閉鎖に追い込もうとするSSの無法には、賛同しかねます。

 京都水族館
 京都市下京区観喜寺町35-1(梅小路公園内)
 075-354-3130

 梅小路公園の入り口に、懐かしい京都市電が止まっていました。「935」です。
 「京都市電の残影」を探していたのは10年も前のことです。

Myメモリー 廃村八丁

 歳をとると、いろんな昔を思い出します。
 芦生の森を歩きました。「廃村灰野」に「佐々里峠」への分岐がありました。この2つのキーワードで浮かんだのが「廃村八丁」です。南西に3時間という佐々里峠のさらに同じほど離れた南西にあります。
 時は1965年秋までさかのぼります。わたしは高校1年生でした。その当時で、八丁はすでに1941(昭和16)年に最後の住民が離れてから24年が立って、廃村になってました。
 土蔵に近代的なビルや富士山、水着姿の女性が描かれたのはいつのことかはわかりません。当時から、知る人ぞ知るスポットでしたが、その土蔵も朽ち果てようとしていました。 

 ネットを調べてみると、それから22年後の「山と渓谷」(1987年3月号)に掲載せれた全景がありました。
 今は、もう存在しないでしょう。

 若かりし日のわたしと、Nくん、Kくんです。では、だれがカメラのシャッターを押したのでしょうか?

 もう1枚にヒントはあるのですが、手前の男性が誰であるかは、記憶にありません。

 この土蔵で泊まったはずです。
 食事の準備です。懐かしい灯油を燃料としたラジュースでコッフェルを熱しています。ご飯は飯盒で炊いたのでしょう。

 これまでのMyメモリー

京都人の密かな愉しみ その4 興聖寺と盂蘭盆会

 盂蘭盆会(お盆)の法要が、檀徒となっている宇治・興聖寺の法堂で営まれました。
 お参りをすませ、経木(お塔婆)をいただきました。

 薄曇りで、暑さは和らぎました。この後、墓参りをしていると、ポツリときました。
 昨年は、カンカン照りでした。大勢の参拝で長時間待たされてぐったりしました。覚悟してましたが、ことしは静かにお参りすることができました。

 「京都人の密かな愉しみ」(NHK)に、ロケ地として何度も登場しました。
 ロケ地巡りでやって来たわけではありませんが、いい眺めに変わりはありません。

 道元禅師が最初に開いた「修行道場」です。今も座禅の修行が続けられています。

 広い庫裏です。

 番組では、三八子(常盤貴子)の母が訪ねてくるシーンに使われていました。

 大きな釜が並びます。
 番組では、寺男となったヒースロー教授が里芋をむくシーンに登場しました。

 このブログ内の「京都人の密かな愉しみ」と興聖寺

 興聖寺
 0774-21-2040
 宇治市宇治山田27

 

信州・安曇野 「オーベルジュ メイヤの樹」のオムレツ

 「オーベルジュ メイヤの樹」の朝食です(17日)。オーナーシェフの望月和弘さんが、テーブルの脇でオムレツを手際よく焼いてくれました。
 フワリとした、きれいなオムレツでした。

 ことわりをいれて動画を撮影させていただきました。ササッと手を動かし、いとも簡単にはいでき上がりです。さすがにプロです。

 ハムにベーコン、ソーセージと、どれもこだわりの味でした。

 モモのジュースからスタートしました。

 トーストもさまざまです。

 コーヒーにフルーツ、八ヶ岳のヨーグルトと、朝からおいしくいただきました。

 すぐ近くの北アルプス展望美術館のあたりを散歩しました。
 コマクサが咲いていました。といっても野生ではなく、プランターの中でした。

 
 ニセアカシア(?)が白い花をいっぱいにつけていました。
 黄色い建物はオーベルジュ、赤いのはわたしのシトロエンです。

 常念岳は雲の中でした。

信州・上高地 五千尺ホテル「5HORN」のレア・チーズケーキセット

 上高地の河童橋から明神池までをゆっくりと散策しました。河童橋まで戻ってきて、ちょっと遅くなった昼飯です。奥さまのたっての願いで、五千尺ホテル1階の喫茶室「5HORN」にしました。「レア・チーズケーキセット」をいただきました。
 学生時代から何度もやって来た上高地ですが、こういうシチュエーションは初めてです。ほとんどが疲れ切った体を汗臭い服に包んでバス・ターミナルへと素通りするだけでした。

 ブルーベリージャムをたっぷりとかけていただきました。
 それにしても大きなケーキです。甘さは控えめ。どっしりと食べ応えがあります。これだけで、充分な昼飯になりましtあ。

 奥さまのアップルパイもサックとおいしかったそうです。

 梓川が流れ、目を上げれば穂高という、最高の席でした。

 左が河童橋。右が五千尺ホテルです。「アルプス一万尺」の半分です。

 五千尺ホテル
 長野県松本市上高地4468
 0263-95-2111

Myメモリー 後立山縦走~1970

 Myメモリーの第3弾は、学生時代の後立山連峰縦走です。
 白馬から縦走した唐松、五竜、鹿島槍と連なる後立山です。さらに遠くには槍、穂高、そして立山、剣と北アルプスの山々が連なっています。

 五竜のピークです。後ろは剣です。1回生から4回生までの7人パーティーでした。

 カラープリントもあります。縦走の出発となった朝日岳です。

 白馬の頂上には、32年後に登った時も、この大きな石柱が残っていました。

 八峰の大キレットを通過しています。こんな切り立った道を、怖さも知らずに横長のキスリングを担いで歩いていたのです。

 アルバムに残っていた行程です。「ちくま号」が懐かしいです。

Myメモリー 白馬岳~2002

 2002年8月21~23日。Myメモリーの第2弾は、白馬岳に登った記録です。
 わたしの最初のデジタルカメラ、Canon IXY DIGITAL 200 で撮影しています。本邦初公開です。NAS(ネットワーク・アタッチド・ストレージ)の中に保存されていました。

 白馬尻山荘に1泊して、大雪渓を登りました。

 白馬山荘に泊まりました。ナイフとフォークの奮発した豪華メニューです。生ビールも飲んでます。

 よい天気でした。バックの剣岳がとんがってます。


 後立山連峰がはるかまで連なっています。

 白馬大池を通り栂池高原にくだりました。

Myメモリー 「どたぐつ」と住塚山

 学生時代の「どたぐつ」以来の友から、住塚山登山に誘われました。住塚山(1009m)は、奈良県宇陀市にあり、柱状節理の障壁を連ねる屏風岩で有名です。
 登ったことがあるはずと、古いアルバムを開けると、ありました。住塚山山頂での色あせた写真が。1970年5月初めと思われます。当時は、重たい登山靴(どたぐつ)にニッカボッカーズ姿でした。
 いっしょに「どたぐつ」のワッペンも出てきました。かれこれ半世紀前のマイ・メモリーです。

 

Myメモリー 「どたぐつ」の起点はココ!

 赤丸をつけた辺りです。何のことかわかる方は、わたしの「どたぐつ」の仲間です。
 わが母校、大阪市立大学の教養キャンパスにある「BOX MAP」です。ここに、わたしが所属したサークルのボックスがあったのです。残念ながら、サークルもボックスも、今は存在しません。
 重たいテント、ススだらけのホエーブス(携帯コンロ)、汗臭いトレーニングウエア、そんなのが詰まってました。思い出も詰まっています。

 たまたま訪れた「大阪市立大学新聞 Hijicho」のFacebookから画像を借りてきました。