Paso a paso Dos 21日目=9/14 旅半ば、レオン着

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 レオンへの道は、前日に予定より7kmほど残したが、20数キロとたいしたことはなかった。右足首はやはり痛かったが、翌日は休養日とがんばった。

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 レオン大聖堂に着いた。だが、レグラ広場には寒風が吹いていた。これではステンドグラスの輝かないだろうと、見学は後にした。

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 夜のレオン。初めて傘をさす雨となった。

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my camino=21日目 また会いましたね。 

 独りで歩いていた弘前大くんと初めて会ったのはどこだったのかは思い出せません。でも、すっかり顔なじみになっていました。青森県の弘前大学の学生さんで、生まれも育ちも弘前ということでした。
 この日、レリエゴスから歩き始めたわたしは、1時間ほど歩いて次の村、マンシージャ・デ・ラス・ムラスを通り過ぎました。開いているバルが見つからなかったのです。マンシージャに泊まっていた弘前大くんと顔を会わせ、話しながら一緒に歩きました。「ペース、早いですね。ぼくはいつもは抜かされてばかりです」。若い彼に、そんなことをいわれました。
 国道沿いのバルに入って朝食にしました。彼もいったんはバルに入りましたが、ボガティージョがなかったので、「次のバルに行きます」と出ていきました。わたしはクロワッサン1個で満腹でしたが、若い彼はそれでは満足できないようでした。じょっぱりな性格の一端だったのかもしれません。
 弘前大くんと出会った場所を思い返してみました。エステージャあたりで出会っているはずです。ベロラードの町を出るときは、終夜営業していたディスコのようなところで、朝まで歌い踊っている若者を見ながら、自動販売機でジュースを買いました。サン・ファン・デ・オルテガのアルベルゲは同宿でした。並んで巡礼定食を食べました。その翌日、一緒に歩いていたふみさんとカルデニュエラ・リオピコのバルに入ると、彼はボガティージョンにかぶりついてました。
 カリストヘリスでは日本人が大集合。サワさん、まやさん、弘前大くんと早大くんの5人で自炊しました。サワさんが炊いてくれた銀シャリを懐かしく味わいました。
 カリオン・ロス・コンデスの人気アルベルゲは、午後の早い時間に「コンプリート(満室)」になりました。それからだいぶたって彼が現れました。チェックインを断られましたが、彼はひるむことなく交渉。「マットレスなら」という妥協を引き出し、廊下の端に敷いたマットレスをその夜のねぐらとしました。「かえって静かで寝られそうですよ」と淡々としている彼が大人(たいじん)に見えました。一緒に夕食に出てレオン産のワインを1本注文、2人で飲みました。わたしのおごりとはいえ、5ユーロほどのことでした。
 オ・セブレイロの峠道でも出会い、最後はサリアでした。夕食を共にして、ここまでの健闘をたたえ合いました。
 思い出せるだけでもこれくらいの回数は顔を会わせています。同じ道を、同じ方向に歩いているのですから当然ともいえます。でも、約束したわけでもないのに、偶然の積み重ねでこんなに同じ人と出会うのも、カミーノの楽しみのひとつかもしれません。

デザートは久しぶりのスイカ

スイカって久しぶりです。昔は、夏になると、必ず食べたものです。それにスイカ割り!

デザートに「フルーツ」を頼むと出てきました。水分たっぷりで、さっぱりとしました。

フォークの突き立て方がなんともです。でも、このスタイルは珍しくありません。

13日夜のレリエゴスでの定食(10€)です。

偶然、わたしが食べているところも写ってました。

プリメロはスープパスタです。自分でサーブします。

沈んでいるパスタは、顆粒状です。このなの初めてです。スープは薄いトマト味です。

セグントは、無難なベーコンと目玉焼きです。

メニューは、3カ国語です。

夕飯は7時から。日記を書いて待ちました。白い液体は、早々と白ワインです。なんと0.70€です。

雨が降りそうで、かけ込んだアルベルゲです。夕方には、晴れ上がりました。

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レオンのスーパーマーケットを探検していて見つけました。これです。

pasta sopa maravillaとあります。ヒマワリとはどういう関係なんでしょう? ヒマワリの種の粉でも入っているのでしょうか。

安いです。重さを気にしなくよければ、1袋買って帰るところです。

The rain in Spain fall mainly in plane.

危機一髪でした。そろそろヤバいかなと、予定より1つ手前の村のアルベルゲにチェックインしました。その直後でした。降ってきました。スペインにやって来て初めての雨が。濡れなくて済みました。

きょうも一番乗りでベッドの下段を確保しました。

♪The rain in Spain~

マイ・フェア・レディのイライザの歌を思い出しました。雲行きが怪しくなってきました。

天気予報では、これから向かうレオンが「朝から雨」となっていて警戒してました。

my camino=20日目 フラッシュバックしたメロディー 

 きみの行く道は 果てしなく遠い/だのに なぜ 歯をくいしばり/君は行くのか/そんなにしてまで・・・空にまた 日が昇るとき/若者はまた 歩き始める
 フジテレビ制作のテレビドラマ「若者たち」の同名の主題歌です。放映された1966年は、わたしは高校生でした。50年以上も前のことです。簡単な歌詞ですから、3番まで覚えていました。
 深い意味もありませんでした。とっくに若者でもなかったでのすが、ただ言葉の端々がカミーノを歩くわたしの姿と重なったからでしょう。声には出しませんでしたが、何度も何度も口ずさみながら歩きました。
 前夜にネットで調べた天気予報で、レオン地方は午後から雨ということは知ってました。まだ昼前でしたが、進行方向の西の空がにわかに暗くなってきました。これは、来るぞ! と直観して、ちょうど通りかかったレリエゴスのアルベルゲに飛び込みました。右足も痛かったからです。しばらくすると通り雨のような強い雨が降ってきました。観天望気(かんてんぼうき=自然現象や生物の動きなどから変化する天気を予測すること)とまではいいませんが、早めの判断が雨を避けさせてくれました。
 翌日に出会った日本人ペルグリーノは、「あわててザックの雨具を引きずり出しました。初めての経験で、いやたいへんでした」と話してました。
 1か月以上旅するカミーノでは、そのうちのいく日かは雨に降られる覚悟が必要です。ところが、わたしは最後まで本降りの雨に出会うことはありませんでした。半透過性の繊維でできている雨具の上着は、後半は寒さ対策で毎日、着ていました。霧雨にフードをかぶったことはあります。でも、オーバーズボンは最後まで使うことはありませんでした。
 何もすることがないアルベルゲで窓の外の雨をぼんやりと眺めていると、思わぬフレーズが蘇ってきました
 The rain in Spain stays mainly in the plain!  
まさにこの光景の中にいるのでした。
 映画「マイ・フェアレディ」で、ヒロインのイライザ(オードリー・ヘプバーン)が上流階級の使う英語特訓で韻を踏むために、ロウソクを前に歌うシーンです。
 学生時代に、原文のペーパーバックを読ん覚えがあります。身近なことをあれこれと考える必要がなくなると、頭の中が一気に50年前に遡ったりもするのです。

Paso a paso Dos 20日目=9/13 雨を避けて早着

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 この日のステージは、マンシージャまで27kmほど。ところが、雲行きが怪しくなり、6kmほど手前のレリエゴスで急に思い立ってストップした。これが大正解だった。

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 昼前だがアルベルゲに入ってしばらくすると、雨が降ってきた。おかげで雨具を使うこともなかった。
 右足首は相変わらずチクチクと痛い。休養にもなってよかった。

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 村には何もない。退屈して、夕食前から食堂でワインを飲みながら日記を書いた。

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超簡単な夕飯

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マカロニ・ボロネーゼです。なかなかうまいです。

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村に1軒のレストランは、7時になっても営業を始める気配がありません。しびれを切らして、近くの店で買ってきました。

レトルト食品です。

スペイン語は読めなくても、この表示でわかりました。

アルベルゲの電子レンジで2分間、チンしたら出来上がります。

店のおばちゃんは、キャッシャーが別の客で詰まっていたので、手書きで1の位からウンウンと計算してくれました。

きょうもカンカン照り

 きょうもカンカン照りです。傘が役にたってます。

 大阪のおばちゃんは、ママチャリに傘たてのクリップをつけてます。このおっちゃんは、「It’s simple」とかいって、ザックのショルダーにうまく固定してました。

 ヒコーキ雲が青いキャンバスを切り裂きます。

お日さまに追いかけられて

歩き始めて2時間ほどして、やっと日の出です。太陽が大きいです。

西を向いて歩いてます。いつも自分の影が前にできます。

日が昇るにつれて影は短くなります。

きょうも良い天気でした。一度、曇天の日があっただけです。

それでも、早朝はだいぶ涼しくなり、きょうは初めて雨具兼用のジャケットを羽織り、手袋をしました。寒暖の差が激しいです。

my camino=19日目 SIMフリー・スマホにプリペイドSIM~巡礼の必需品 

 メセタの大地を歩いていると、向こうに高い鉄塔が見えました。近づくと携帯電話の中継アンテナだと分かりました。こんなところにまで携帯電波が飛んでいました。
 わたしの格安キャリアのSIMフリー・スマートフォンは、スペイン国内で使えるプリペイドSIMに差し替えていて、データ通信や国内通話が可能でした。
 バルセロナに着いた夜、ホテルのフロントで携帯ショップを教えてもらいました。地図にプロットしてもらったショップの中で一番近かったVodafoneESに飛び込んで、通信容量1.5ギガ、国内通話付きのSIMを購入しました。15ユーロでした。若い店員が、チャチャとわたしのスマホにSIMを差し込み、設定までやってくれました。

 あっさりとFacebookも更新されました。
 ところが、ホテルに戻って設定を触っていると、ヘンにロックがかかって作動しなくなりました。翌日、サンジャン・ピエ・ド・ポーに移動する途中のパンプローナで時間がありました。バスステーションは新市街にあったので、辺りをやみくもに歩いていると、簡単にVodafoneESのショップが見つかりました。男性店員は、あれこれと調べ、最後にはVodafoneESの本部(?)にも電話して、SIMカードを初期化して使用できるようにしてくれました。料金として10ユーロを請求されましたが、「バルセロナのショップで買ったばっかりだ」とそのときの領収書を見せると、タダにしてくれました。
 最初にトラブルこそありましたが、わたしのスマホはメセタの大地を歩いていようが、ほとんど途切れることなくインターネットとつながっていました。
 オ・セブロイロの峠に登る前夜でした。足が痛かったので、初めてカミーノ・コモドという運搬業者にザックを運んでもらうことにしました。アルベルゲにあった荷札に名前と目的地などを書き込み、5ユーロを入れてザックに結び付けました。
 「そこに書いてある電話のところに頼まないと取りに来てくれませんよ」
 アルベルゲの若い女性スタッフが声をかけてくれました。小さなアルベルゲで、ほかにコモドの利用者はいそうにありませんでした。
 「電話してくれますか」。その女性に頼みましたが、充電中のスマホを取り出して、「ダメなの」。「じゃ、これで電話して」。女性スタッフにわたしのスマホを渡して連絡してもらいました。もちろんスペイン語の会話でした。
 終盤のガリシア州に入ってからの公営アルベルゲでは、WiFi通信を使うために認証を求められました。その認証のためのパスワードをSNSで受け取るには、スペイン国内で使える電話番号が必要でした。それも、わたしのSIMには付いていたので、これまでと同じようにネット通信を使用することができました。
 WiFiが日本より普及しているスペインです。たいていの施設、アルベルゲ、バル、レストランで利用することができます。パスワードが必要ですが、スマホをかざして「?」と聞くと簡単に教えてくれます。
 とはいえ、アルベルゲでは夕食後などに宿泊者が一斉に通信を始めると、回線速度が遅くなることがありました。フロントでは強力な電波も、ベッドではダメということもありました。
 プリペイドSIMを使う値打ちは、こんな時に力を発揮してくれました。サリアを前にして足が痛くなりました。WiFi電波なんて飛んでいない道端に座り込んで、翌日は休養日にしようとインターネットのBookinng.comで2連泊の宿を予約しました。