京都を歩く 京都電燈の水力、火力と叡電100年

 京都電燈は、路面電車の京都電鉄(京電)に電力を供給する一方、自らも電鉄を経営しました。
 大正14(1925)年に開通させた叡山電気鉄道平坦線で、出町柳と八瀬(現八瀬比叡山口)を結びました。今年で開業100年です。
 八瀬比叡山口のターミナル特有のドーム状の屋根は、開業当時そのままです。 

 駅の山手に、京都電燈が明治33(1900)年に完成させた高野水力発電所の水門が残っています。

 叡山ケーブルも京都電燈が叡山電気鉄道部の鋼索線として大正14(1925)年、西塔橋(現ケーブル八瀬) – 四明ヶ嶽(現ケーブル比叡)間で開業させています。

 八瀬から叡電-京阪と乗り継いで京都・伏見の中書島までやってきました。ここには京都電燈の伏見発電所として建設されたレンガ造りの火力発電所の建屋が今も残っています。


 阪急・河原町から大原行きの京都バスに乗り継いで八瀬までやってきました。
 バスは満員で立ちっ放しも覚悟していましたが、これまでになくガラガラでした。チャイニーズの観光客が消えたのでしょうか。

 ケーブル八瀬駅から左の舗装路を上がります。やがて左側に道らしきものが延びています。

 高野水力発電所の導水路でした。歩いてきたのは、その蓋の上でした。
 高野川の上流から発電用の水が取り込まれていたのです。

 振り返りました。

 ケーブルの路面の下を導水路は流れています。

 ケーブルが下ってきました。

 しばらく待っていると、上りが発車しました。手前は、工事車両留置用の引込線だったようです。

 ケーブルの高低差は561mあり、ケーブルカーとしては日本最大だそうです。

 ケーブル八瀬駅に戻り、今度は右手の「八瀬もみじの小径」へ進みます。

 斜面にラジオ塔が残っています。JOOKは、NHK京都第1放送のコールサインです。
 ラジオがまだ家庭に普及していなかった時代の街頭ラジオです。
 わたしが育った京都・下鴨の実家近くの児童公園にもありました。 

 一帯には、京都電燈が鉄道と一緒に開発した遊園地がありました。

 導水路はケーブルの下をくぐって流れてきます。

 今では流れはなく、落ち葉が積もっています。

 案内板がありました。

 水門です。ここから右の山肌を一気に流れ落ちました。

 水門の奥に「平安遷都紀念橖」と書かれた塔がたっていました。
 明治28(1895)年に行われた「平安遷都千百年紀念祭」を記念して岡崎の平安神宮の北に立てられていましたが、丸太町通の市電敷設にともなう拡幅工事のため、昭和4(1929)年に移設されました。

 水門からは導水管のようなものがつながっています。

 発電用の太い導水鉄管はこちらでした。

 山肌を一気に流れ落ちます。

 ここに発電所があったはずです。廃業した料理屋「比叡の里あざみ」の裏側です。

 「李余水吐」と意味ありげな文字が刻まれています。
 「余水吐(よすいばき)」とは、ダムや水路、ため池などで、余分な水を安全に放流するための施設だそうです。

 すぐ横には「李制水門」とあります。
 ともに発電に余分な水を高野川に流すための施設だったようです。

 高野川への放水口は、コンクリートで塞がれているようです。

 昔はこのあたりに木製の吊橋があったはずですが、なくなっていました。その名残でしょうか。

 この道の先に映えスポットで人気の瑠璃光院があります。

 叡電の八瀬比叡山口です。表示は開業当時の「八瀬驛」です。

 鉄骨のアーチが美しいです。100年たっても堅牢です。

 廃物を積み上げたアート?

 開業当時の写真(叡山電鉄HPより)です。三角屋根の飾りが同じです。

 叡電に乗って出町柳までやってきました。「祝100周年」のお立ち台ができていました。

 京福電鉄当時の、京都電燈を引き継ぐ「菱形雷紋」の社章はどこかに残ってないかときょろきょろしました。でも見つかりませんでした。

 わたしが子どものころに利用したころと、あまり変わっていません。

 京阪特急のハイデッカー車の2階に座って中書島までやってきました。
 駅舎の左側のスペースが、かつての京都市電の停留所でした。
 京都電燈から電力を供給された京都電鉄(京電)の最初の路線の京都駅からつながる終点です。

 5分ほど西に歩いたところにある医療用機器開発・製造のモリタ製作所です。向こうにレンガ造りの建物がのぞけます。
 ダメ元で門衛に「駐車場まで⋯」と入場を頼みましたが、ダメでした。 

 望遠で撮影した東棟です。白い部分は、後に補修したようです。

 横の路地を入り、駐車場から撮影しました。

 左の西棟が最初に建設されました。

 レンガ積みが美しいです。イギリス積みですかね。

 裏通りに回りました。西棟の一部がのぞいてました。

 東棟のてっぺんだけがのぞいてました。

 そのまま北に歩くと淀川派流でした。

 紅葉の下を観光用の十石舟がやってきました。

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