9月になった。今月はずっと歩いて、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着は月末30日の予定。先は長い。
この日も変化のない道を30kmほど。ただただ前進した。
朝日に延びる影は長い。こんなに足が長かったかな?
前の村を通り過ぎて、次の村が見えるまで10kmほどは何もない。そんなのがざら。
昼飯はトルティーヤ。スペイン風オムレツで、ポテトが入っている。これはピンチョスでパンに載っている。
9月になった。今月はずっと歩いて、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着は月末30日の予定。先は長い。
この日も変化のない道を30kmほど。ただただ前進した。
朝日に延びる影は長い。こんなに足が長かったかな?
前の村を通り過ぎて、次の村が見えるまで10kmほどは何もない。そんなのがざら。
昼飯はトルティーヤ。スペイン風オムレツで、ポテトが入っている。これはピンチョスでパンに載っている。
ワインがおいしいラ・リオハ州に入りました。ログローニョの夜です。
ピンチョス、ピンチョスというわけで、なには差しおいてもシャンピニオン(マッシュルーム)のピンチョスがうまい店へ。
注文を聞いてから向こうで焼いてます。うまいはずです。
ネットでも紹介されていた店です。わざわざ探したかいがありました。
次はバカリャウ(タラの塩干)入りのクロケット(コロッケ)です。
リオハワインといただきます。
3軒目の3杯目はこちら。たたきです。胡麻油がきいた韓国風味付けですが、ワサビもついていて、今夜の最高です。
3杯目はちょっと高かったです。あとの2杯はどちらも1.8€でした
バールは、はしごするのが流儀です。やっとオープンする店が増えてきました。夜はこれからです。
ワインがおいしいラ・リオハ州のログローニョです。シャンピリオン(マッシュルーム)のピンチョスははずすことができません。スマホ片手で探し当てたバルです。料理はそれしかありません。「ひとつちょうだい」と頼むと、鉄板で楊枝に突き刺さしたシャンピリオンを焼いてくれました。裏返した傘の部分はオイルで満たされてます。一気にほおばりました。うまい。いっしょに飲んだ赤ワインと込みでお代はたったの1・8ユーロ、200円ほどです。バルをあと2軒、はしごしましたが、全部で8ユーロほどでした。これで大満足の夜でした。
この夜に泊まったのは、ペンシオンです。
バス・トイレは共用ですが、ゆったりとした個室のベッドで、ゆっくりと眠りました。1泊25ユーロでした。わずか5~6ユーロの公営アルベルゲ、10ユーロほどの私営アルベルゲよりは高価です。でも数日に1夜は、こんなペンシオンやオテル(ホテル)なんかにも泊まりました。二段ベッドのドミトリー(共用部屋)ばかりでは、おじさんは息がつけなかったのです。バス・タブがあるホテルをBooking・comでネット予約したこともあります。
ビールもワインもしこたま飲みました。ブルゴスで食べたモリシージャ、サリアの駅前レストランでその場でそぎ切りしてくれたイベリコ豚のハモン(生ハム)、大西洋にぶち当たったフィステーラで食べた魚介盛り合わせ…。どれも最高においしかったです。これ以上ない贅沢でした。といっても、出費の方はたかがしれてます。サラリーマン時代の夜のちょっと一杯と同じくらいの額で、二度と味わえないようなうまさを満喫しました。
巡礼定食よりはおいしいものを食べて、たまにはドミトリーの2段ベッドを敬遠して奮発した宿にも泊まりました。あとは贅沢をするところがありません。いくら金を持っていても、リムジンカーでは巡礼できません。歩くしかないのです。
人生のデットクスの極意に、触れた気分でした。
この日もロス・アルコスまで22kmほどの行程だ。
あまりにも変化のない道が、やけくそに続いた。
ロス・アルコスのサンタ・マリア教会。立派な祭壇に圧倒された。
ハーフボトルの赤ワインは、陶器製のデキャンターで登場。
ロス・アルコスまで22kmほどの行程でした。あまりにも変化のない道が、やけくそに続きました。
巡礼のために用意した資金は50万円でした。わが家の家計とは別なわたし名義の銀行口座に、それくらいの蓄えはありました。どんぶり勘定ですが、それでほぼ収まりました。もっとも、学生さんらは、この半額ほどで上手に歩いていました。
出費で最大だったのは、スペイン往復の航空券です。関西国際空港発、スキポール(オランダ)経由でバルセロナ往復のKLM航空は16万円ほどしました。予約までに時間がなかったのと、バルセロナin/outoとしたからです。直前にテロが起きたパリを避けたのと、バルセロナのサグラダ・ファミリアを見たくなったからです。
当初の計画で春先に購入した大韓航空のパリ往復格安チケットは、10万円を切ってました。でも、そのキャンセルに3万円もかかりました。今度は、あれこれと思案している余裕がありませんでした。
巡礼中に知りあった日本人では、モスクワ経由パリ往復というアエロフロート利用が6万円台。アタチュルク(トルコ)経由のボルドー着というトルコ航空もそれに次いで安かったです。「アタチュルクの乗り継ぎは(直前に起きたテロが)怖くて、キョロキョロしてました」とか。学生さんと違って、さすがにわたしはそのルートも敬遠しました。
交通費は、他にバルセロナから途中のパンプローナまでrenfe(スペイン国鉄)に乗り、そこから出発地のサンジャン・ピエ・デ・ポーまでのバスが合わせて8000円ほど。帰りのサンティアゴ・デ・コンポステーラからバルセロナまでのLCC(格安航空機)はなんと6000円しませんでした。当然のことですが、サンジャン・ピエ・デ・ポーからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは、すべて歩きましたから交通費はゼロです。
滞在費は1日平均50ユーロ(約6000円)ほどを見込んでました。実際にはそんなに使う日はまれ。その半額以下という日も多かったです。帰国後に計算すると、合わせて20万円ほどになってました。おおかたの食事を自炊して、安い公営アルベルゲに泊まっている学生さんらは、滞在費予算は10万円ほどということでした。
旅行傷害保険は3万円以上しました。期間が45日と長く、海外旅行でいつも使っている「OFF」と文字通り50%オフになるネット予約の保険は使えませんでした。「緊急一時帰国補償」というオプションもつけていました。これは仮に身内にもしものことがあって急きょ、帰国する必要に迫られたとき、その費用の面倒をみてくれるというものでした。
他には、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着後に訪れた大西洋の岬、フィステーラへのバスツアー代や、バルセロナではおいしい海鮮料理なんかも食べました。
みやげは、バルセロナで妻と娘、息子の嫁に3本のスカーフを買いました。生まれて半年と、間もなく生まれてくる2人の孫にも木製のおもちゃを。私自身には何も買ってませんでした。旅の思い出が最大のみやげでした。
スリはもとよりノックアウト強盗とか…。安全の国・ニッポンにいると意識しない緊張を強いられます。
スペインもマドリードやバルセロナといった大都会は、観光客が狙われています。襲われたときは、命だけは勘弁してもらって、身ぐるみ剥がれましょう。で、その後のために。
最低限のユーロは、靴底に隠しておきました。
100EURをビニール袋に詰めて、靴のソールとの間に忍ばせました。
隠し金の在りかを公開してしまっては、意味がないです。でも、スペインの強盗諸氏は、このブログまではご覧になってないでしょう。
6日目は、エステージャまで22kmほど。これくらいの距離は、フツーに歩けるようになった。
ブドウ畑を抜けていくと、シラウキの村が丘の上に浮かんでいた。
11世紀、羊飼いが天から降り注ぐ星の流れに導かれて聖母マリア像を発見。その地が「星」を意味するエステージャだ。
フエロス広場で少年にカメラを向けると、笑顔でポースを取ってくれた。
エステージャのフエロス広場です。カメラを構えると、ボールを追っていた少年がポーズを取ってくれました。
キリスト教信者でもないのに、どうしてキリスト教の3大聖地のひとつであるサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す長い巡礼に旅立つのですか。そんな問いに、私が用意した答は「スピリチュアル」でした。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で「コンポステーラ(巡礼証明書」をいただくときに、巡礼の動機を尋ねられます。その選択肢は、「宗教的」、「宗教的または精神的」、「精神的」の3つです。宗教的とは、文字通りにキリスト教信者が聖地を目指しての巡礼です。最後の精神的には、例えば自転車ツーリングとか、体重の減量のためといった動機も含まれます。この場合は、到達証明書は発行されますが、巡礼証明書はいただきません。巡礼者事務所の統計では、ほぼ半数が宗教的、40数%ほどが宗教的または精神的、残りが精神的です。
宗教的という宗教は、キリスト教に限られているわけではなさそうです。仏教徒もイスラム教徒にも門戸は開かれています。日本語ガイドブックには精神的と訳されていることが多い原語はCultualとなっています。文化的という意味合いがありそうでです。わたしは、これまでの自分自身を見つめ直すといった漠然とした動機もこの範疇に含まれると解釈して、自分に気持ちにぴったりとくる「スピリチュアル」というわたしなりの答えを出しました。
66歳を過ぎて、40数年間務めてきた職業人生活を離れました。待ち望んでいた「毎日が日曜日」の日々を獲得することができました。周囲からは「もう何も仕事しないの?」と訝しげに聞かれても、「リタイアード」を選択しました。理由は、「サンティアゴ巡礼に行くので」という、わたしにしてみれば単純なものでした。
3年前に、サリアから100キロ余りを4泊5日で歩いてコンポステーラをいただきました。ところが、サンティアゴの大聖堂の前に立っても、どこか満たされませんでした。もう一度、今度はフランス人の道を歩き切るということが、悲願になってました。
1カ月半という長い時間を、自分と向かい合うためだけに過ごす。そんな時間の使い方は、これまでに経験したことがありません。最高の贅沢でした。800キロにならんとする長い道程を、体力が残っているうちに自分の足で歩いてみたい。そんなわが人生最大の冒険でもありました。
二度目となった大聖堂の下で、今回は心から「やった!」と叫ぶことができました。