江戸初期に中川喜雲によって書かれた京都初の観光ガイドブック、「京童」とともに歩く4日目です。
西大路から島原ー壬生寺ー神泉苑と巡って二条城まで歩きました。
二条城の東にある御金(みかね)神社の昨日の大行列を思い出しました。病院への途中に車から見た行列は、西洞院から御池にはみ出し、御池にそって50㍍ほども延びてました。
きのう5日は、天赦日、一粒万倍日、寅の日、大安と4つの吉日が重なる、日本の暦の中でも特に縁起が良いとされる日だったのです。
きょうは、混雑はありませんでしたが、残り福でも転がってないかとお参りしました。
壬生寺は新選組の屯所があった地でもあります。お嬢さんたちは、毛糸の帽子をかぶせた人形にスマホをかざしていました。近藤勇ってことはないでしょう。沖田総司? それともわたしの知らないキャラクターでしょうか。
室町を下がると、テレビでお目にかかったばかりの光景でした。欠かさず見ている「京都人の密かな愉しみ~継承」(NHK-BS)のロケ地となっていた帯匠の誉田屋源兵衛でした。
【2026/03/06 09:59】
JR京都線の京都から一つ手前の西大路から歩き始めました。
西大路を上がるとすぐに若一神社です。
平清盛の西八条殿があった地ですが、京童には取り上げられていません。
【水屋くし】 「京童」に記されたポイントは、この表記をします
御前西塩小路にある水薬師寺です。
「清盛入道、熱病に冒されし時、これなる水にて洗われければ、心地涼しく⋯」とありますが、その「霊佛霊水」は確認できませんでした。
隣接する幼稚園と同じ敷地でした。インターフォンを鳴らして案内を請うほどのことはありませんでした。
五条を東進すると、「是より洛中」の石碑がありました。京七口の丹波口です。
大門通という路地を上がります。
【傾城町】
島原大門です。門内は、「四壁にかこみ門外いづる事かなはねば籠鳥のごとし」だったそうです。
寛永18(1641)年に公許花街として開かれた日本最古の花街です。
「若人は朝な夕なあゆみをはこぶ」そうなので、わたしもと角屋を訪ねました。でも「角屋もてなし文化美術館」は、まだ冬季休館中でした。
輪違屋も立派です。
【壬生の堂】
「京童」の時代には新選組なんて存在しません。「御本尊は六道能化のぢぞう薩埵なり」と記されています。
ちょっと回り道して京都市バスの壬生(みぶ)営業所です。路面の凹みを確認したかったのです。ありました。
ここは京都市電に壬生車庫の跡地です。平行する2本の窪みは、市電の引込線のレール跡なのです。路面を完全に平らにせずアスファルト舗装したので、このような凹みが残ったようです。「京都市電の残影」でした。
【雀の森】
雀の森は、現在地を確認できません。そこにあった更雀寺の場所などから勧学院のあたりと推定されます。
勧学院は、藤原一族の教育施設でした。
【神泉苑】
平安京最古の史跡で、歴代の天皇が行幸された宴遊地でした。
赤い法成橋は、願い事を一つだけ念じながら渡り、善女龍王社に参詣すると、 その願い事が叶うといわれています。
【二條の城】
二条城を見て回ると、「京童」の巻第二は終わりです。
巻三の北野神社方面に歩こうかなとも思いましたが、ここまでとしました。
四条烏丸あたりに向かう途中に御金神社がありました。
室町御池の角にある下部が印象的なビルです。
「京都人の密かな~」では、この前でヒロインの洛(みやこ)が友人と別れるシーンが描かれていました。
誉田屋源兵衛の風格ある店構えが、ロケ地として登場しました。
この後、四条烏丸をゴールとしました。





















