「平安京跡イメージマップ2025」を眺めていると、どこか歩きたくなりました。
平安京を東西に貫いていた五条大路は、現在の松原通です。最高気温が30度と真夏日となった京の都を西から東へと歩きました。
♬京の五条の橋の上~と歌われた橋は、牛若丸弁慶像が立つ現在の五条大橋ではなく、当時の五条大路、現在の松原橋だったようです。
いや、違う。五条天神宮がある西洞院に流れる川に架かっていたという説もあります。天神宮のQRコードをスマホで読み取って撮影すると、ご覧の決闘のシーンが現れます。
松原道祖神社(新町)は、平安時代から鎮座されていたとされ、「今昔物語」や「宇治拾遺物語」にも登場するそうです。
古い看板を掲げた店も多くありました。
種麹屋の「菱六もやし」(大和大路)は創業360年余の老舗です。
昭和22(1947)年創業のまるき製パン所は、きょうも行列ができていました。パン好き京都人に愛されています。
阪急・西院から歩き始めました。
西院駅は明治6(1931)年に関西初の地下鉄(地下路線)として開業しました。路線の上部は、駐車場などなっています。
入り口には、「天人併其功(てんじんそのこうをあわせる)」と書かれた扁額が掲げられています。その下には鷲の像がいます。
最初の踏切、中道踏切道は人や自転車、バイクが通行するのがやっとの狭さです。
2つ目が車が通行できる松原通踏切道です。松原通の名がついていますが、両端は松原通とはつながっていません。
ちょっと回り道をしてきてイオンモール京都五条の北東角です。佐井西通の1本西の通りが、松原通の西端です。
振り返ると路地が行き止まりです。
進行方向を望遠で撮影しました。突き当りの緑色の部分が東山です。そこまで続いています。
西大路を渡ります。西大路は、一条から三条の間が平安京の野寺小路でしたが、このあたりは明治末期から昭和初期に京都市電を通すために拡幅されました。
堀子川に架かる松原橋を渡ります。
「牛若商事」がありました。ネーミングの由来はわかりません。ホテル・レストラン向けの業務用食肉卸業です。
新千本通あたりを、豊臣秀吉が築いた御土居が横切っていました。現在は段差もなく、面影はありません、
新千本通は、左(東)向きには路地がありますが、西側は五条までつながっています。やはり御土居の地割が残っているようです。
JR嵯峨野線の高架をくぐりました。
長圓寺は洛陽24番札所です。
洛陽33所観音霊場を巡った平成23年に参ってましたが、まるで記憶がありませんでした。
この後、中堂寺、専故院、法宣寺、正法寺と寺院が続きました。
大宮を越えると、道は一車線と狭くなります。
角に、色褪せた看板が架かる朽ちかけた「◯◯食堂」がありました。
松原京極商店街の幟がはためきます。大宮から新町までの37店が、「義経と弁慶ゆかりの地」としてPRしています。
まるき製パン所もこの商店街のひとつです。
創業文化5(1808)年という歴史を刻む老舗すだれ店です。
大力餅食堂は、明治時代に但馬地方出身の創業者が京都で開いた饅頭店・餅店がルーツ。「のれん分け」で関西一円に広がりました。
堀川を渡ると、でかでかと「宇治茶」の看板です。
仁丹のホーロー看板がかかります。
東中筋ならあの町名がと、ちょっと横の路地に入りました。
見つけました。「天使突抜」です。なんとも夢をかき立てる町名です。
天使はエンジェルではなく、天使の宮(当時の五条天神社の通称)の境内を道が突き抜けたことに由来ます。
光圓寺は、親鸞聖人の洛中での寓居跡とされています。
ここで亡くなったともされ、門前には「親鸞聖人御入滅之地」の碑も立っています。
松原道祖神社がある松原新町の交差点です。右(松原)から右折すると、新町の向こうの左側が不自然に広くなっています。右のビルも手前が狭くなっています。
昔は、祇園祭の山鉾は松原通りを巡行していました。右折するための鉾回しのスペースだったのです。
新町の北側からふり返りました。
道路が狭くなる部分には、ご丁寧に「いけず石」が置かれています。京都では、路地の角や家の軒先などに置かれている車よけの石のことです。現代のカラーコーンです。
元禄年間に井筒屋として創業した福田金属箔粉工業の趣のある関西支店の角にも、いけず石はあります。
新玉津島神社は、「京童」と歩くで2月に訪れたばかりなので、通り過ぎました。
やっと烏丸通を越えます。
因幡薬師も素通りです。
扇子製造卸です。
こちらは乾物問屋です。
製菓原料商というのもあります。和三盆、米粉などの製菓原料を扱っているようです。
「うるし」という看板のありました。
のぞき込むと、「金継ぎ教室」というのも開いていて、ちょっと心惹かれました。
廃業したような理髪店、「祇園床」の味のある面構えです。
寺町のあたりには、大丸松原店がありました。大丸の創業店で、幕末には新選組の浅葱色の羽織を受注しました。
河原町の手前には御土居が横切っていました。
こんなクリーニングの看板も。
もう現役ではないでしょう。
坂東飴は、大正8(1919)年から100年超も続く老舗あめ・あられやさんです。
高瀬川にかかる松原橋を渡ります。
鴨川にかかる松原橋を渡ると六波羅です。
このあたりは安倍晴明の旧跡を探し歩いたことがあります。
顔料絵の具の足立顔料店です。版画の絵の具になるようです。
力餅食堂の前は修学旅行生です。
大力餅食堂、千成餅食堂などとともに、餅系食堂として親しまれてきました。
やっと東山(東大路)通までやって来ました。松原通りはこの先、清水坂と呼ばれて清水寺の門前まで続きます。
しかし、この先の修学旅行生やインバウンドでごった返す様を想像するとげんなり。本日はここまでとしました。
永々とお付き合いくださり、ありがとうございました。

















































