びわ湖の水を京都まで運ぶ京都疏水を歩きました。明治期に開削され、水とともに電力をももたらした歴史の水路です。
大津・三井寺近くの第一トンネルのポータル(坑門)です。ここから疏水に沿って蹴上までは10キロほどの道のりです。新緑が目に染みました。とはいえ5月半ばだというのに夏を感じさせる暑さに参りました。
2年前に疏水分線と鴨川運河コースは歩いています。これで「そすいさんぽ」は制覇となりました。
ポータルには明治の元勲の揮毫による扁額が残っています。
「氣象萬千(きしょうばんせん、)」は伊藤博文の筆です。
20年近く前に折り畳み自転車で走ったことがあります。同じ風景でした。
観光船「びわ湖疏水船」が白波を立てて颯爽を走りすぎました。汗をふきふき歩くわたしを横目に。
ちょうど半分でした。ルートは全線がきれいに整備されていました。
【2026/05/16 10:30】
JR、京阪と乗り継いで京阪・石坂線の三井寺までやってきました。
すぐにびわ湖岸です。ここから取水されています。
「われは湖の子」の旧三高寮歌の碑があります。
そすいさんぽの0キロ地点の表示を探しました。橋のたもとの路面にありました。
デジカメの設定がすれてモノクロになってしまいました。
第2疏水の取水口です。
左側に第1疏水の取水口があります。
京阪・石坂線の鉄橋が疏水をまたぎます。
大津閘門です。閘門(こうもん)は、川や運河の水位を変化させて船を安全に航行させるための施設です。水門で囲まれた区画(閘室)内の水位を人工的に上げ下げする「船のエレベーター」です。
第一トンネルの入り口です。トンネルの長さは2436㍍。ほとんどが人力で掘られました。
さんぽルートは小関越に向かいます。道標には「右小関越 三条五条いまくま 京道」と刻まれています。
ほとんど車はやってこない静かな峠道です。
尾関越の最高地点が、2キロ地点でもありました。前を歩いていたご同輩が休んでいました。
ルートは車道を離れ、疏水トンネルの上を下ります。
エゴノキが花をつけていました。
第一竪坑(シャフト)が残っています。
トンネル工事は明治18(1885)年に始まりました。山科側から全長の3分の1地点のここに深さ約50㍍の竪坑を掘り、そこからも両端に向けて掘り進められました。
山科側の麓まで降りてきました。
第1トンネルの出口は雑草に覆われてよく見えません。
扁額は、山縣有朋の筆による「廓其有容(かくとしてそれかたちあり)」です。
新緑の中にモミジの赤い実が目をひきます。
日陰に入るとほっとします。
諸羽トンネルの入り口です。後の時代にできたバイパスルートです。出口が見えています。
疏水が埋め立てられた散歩道を進むと、左手に音羽山が臨めました。
眼下はJR山科駅です。EL(電気機関車)が二重連で走ってきました。でもパンタグラフが上がって受電しているのは前のEF210桃太郎だけでした。
諸羽トンネルの出口です。
ちょっと休憩しました。きょうは昼飯はもってません。ザックに非常食としてチョコバーが入っているのを思い出して、エネルギー・チャージしました。
コンクリートの頑丈な塀が現れました。天智天皇陵の裏側でした。
第2トンネルまでやってきました。
扁額は、井上馨の「仁似山悦智為水歓歡(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ)」です。
住宅街を回り道して第2トンネルの出口です。
西郷従道の「隨山到水源(やまにしたがすいげんにいたる)」です。
8㌔ポストまで歩いてきました。
「日本最初の鉄筋コンクリート橋」が架かっています。
石碑も立つほどの橋です。
すぐ横が第3トンネルです。
「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」は松方正義の筆です。
疏水をしばし離れ、旧京津国道に出ました。ここから蹴上までの道が遮るものがない日照りでしんどかったです。
道端に「旧舗石車石」が残っていました。東海道のこのあたりは、牛車がとおれるように花崗岩で舗装されていました。それが轍(わだち)となって深い溝となりました。
やっと蹴上の浄水場です。もう少しでした。
日向大神宮への参道を上がったところが、第3トンネルの出口です。
「美哉山河(うるわしきかなさんが)」。なんと美しい山河であることよ、と三条実美です。
インクラインをくぐる「ねじりまんぽ」でゴールとしました。
10㌔ポストは気づかずに通り過ぎていました。
この画像は疏水分線コースを歩いたときのものです。これでそすいさんぽは終了です。












































