京都・山科 随心院のフォトジェニックな極彩色襖絵

 小野小町で知られる随心院(正確には隨)を訪れました。お目当てはフォトジェニックな襖絵、「極彩色 梅匂小町絵図」です。先日、テレビ番組でその存在を知りました。写真撮影が許可されていて、SNS映えすると人気沸騰だそうです。
 「はねず色」が基調となっています。白色を帯びた紅色の古名です。この時期に境内に咲く梅の色だそうです。
 はねず踊り(今年は中止)という、はねず衣装と菅笠の小野小町と深草少将に扮した少女達の童唄と踊りもあちこちに描かれています。

 小町の生涯を4枚の絵で表現しています。
 1枚目の「生誕の国」は、出羽(秋田)で生まれ育った様子が描かれています。

 2枚目は「饗宴の国」。都での宮仕えの様子です。

 3枚目は「伝承の国」。宮仕えを辞し、山科小野の里で暮らす様です。

 4枚目は「夢幻の国」。山科小野を出て、全国を放浪する様です。

 描いたのは、「だるま商店」という2人組の若手アーティストです。

 2009年に制作された当時は、狩野派などが描いた花鳥山水の襖絵と同様に撮影禁止でした。ところが、「かわいい」「映える」と、撮影許可を求める声が多くなり、寺も方針転換。現在ではわざわざ「撮影可」と書かれています。
 そういえばヨーロッパでは、ウィーン美術史美術館やアムステルダム国立美術館、ベルリン絵画館などでも、「フラッシュ禁止」を条件に写真撮影はOKでした。

 この襖絵の前でカメラはスマホをかざす観光客が絶えません。かなりの時間、人影のなくなるチャンスを待ちました。

 玄関には、現代アートのジミー西村が描いた小野小町が飾られていました。

 百人一首の有名な歌の碑です。

 大玄関から見た薬医門です。

 反対向きに薬医門越しに見る大玄関です。正面にひな人形が飾られていますが、どうしたことか男雛が左に座っていました。

 サンシュユが黄色い花をつけています。

 桃山時代に建てられた本堂です。歩くと床がきしみます。

 いくつもの流れが複雑に交差します。

 境内の小野梅園には、はねず色の梅が満開です。

 早咲きの桜も開いていました。

 随心院
 京都市山科区小野御霊町35
 075-571-0025

「鳥居形松明」 嵯峨鳥居本・曼荼羅山から大沢池

 京都五山の送り火の最後に灯されるのが、嵯峨鳥居本(とりいもと)の「鳥居形松明」です。京都で育ったわたしですが、この鳥居形だけは、テレビ中継は別にして実際に燃えているのを見た記憶がありません。
 曼荼羅山は標高153mの低い山です。その山肌に「⛩」を描いているのですから、遠くからはよく見えないのも納得です。
 霞がかかったような視界が開けない日和でした。それでも正面の大文字山(大は確認できません)から比叡山にまで続くなだらかなスカイラインが一望できます。目の下には広沢池、大沢池も見えていました。 

 白洲正子が愛した石仏です。
 大覚寺に向けて下りました。大沢池の畔に、古いのは平安時代という石仏群が並んでいます。白洲はその著、「私の古寺巡礼」(講談社)で、「池のふちにそって、左の方へ廻っていくと、おなじみの石仏群が並んでいる。これらの仏達は、いつ頃誰のために造られたか、何もわかっていない。」と記しています。 
 「京都人の密かな愉しみ BLUE」(NHK-BS)のテーマソング、「北山杉」では、「あの頃二人は 大覚の白い石仏 触れたり見たり」と歌われています。

 紅梅が、白梅が満開です。

 大沢池を一周しました。愛宕山が頭をのぞかせていました。

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「船形万灯籠」の西賀茂・船山と正伝寺

 京都五山送り火の3番目に点火される「船形万灯籠」がある船山(317m)に登りました。送り火の火床は、東山の大文字を除くと、どこも入山禁止です。背後の船山の頂上から火床の最上部まで下ってきました。
 大文字山、妙法が灯る松ヶ崎東山・西山、そして比叡山までが臨めます。
 船山の頂上には、保育園児の卒園記念登山のプレートがたくさんぶらさがっていました。わたしの足にもぴったりの京都低山ハイキングでした。 

 デヴィッド・ボウイが愛した涙した静寂です。
 麓の正伝寺に参りました。方丈の障子越しに見る借景の比叡山です。

 苔むした参道にも静けさがありました。

 西方寺の境内には、馬酔木が鈴なりでした。
 船形は、西方寺の檀家によって維持されています。

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「妙法」 松ヶ崎東山・西山と宝ヶ池、深泥池

 裏大文字に続いての京都低山ハイクは、五山送り火の「大」の次に点火される「妙法」の火床がある松ヶ崎東山(法)と松ヶ崎西山(妙)です。
 火床の松ヶ崎東山は麓からの入山が禁止になっています。稜線側から下ると、金属製の火床を確認することができました。向こうには大文字が見えています。
 少年時代を過ごした家にも近く、そのころには登ったこともあるはずです。昔の思い出が、あれこれと浮かんできました。

 松ヶ崎西山には「妙」の火床が並んでいました。送り火の中では画数が多いので、火床もあちこちの方向に延びてます。

 昼飯は、宝ヶ池公園の東屋でいただきました。
 烏丸四条で阪急から地下鉄に乗り換えるとき、途中の成城石井で買ってきました。「直火焼ハンバーグ明太ひじき飯弁当」です。即席のとん汁とともにおいしかったです。

 深泥池(みどろがいけ、みぞろがいけとも)にも回りました。京都最古の天然池で、氷河期からの動植物群が生き続けているそうです。


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裏大文字 熊一族と鹿親子にごあいさつ

 裏大文字。そんなネーミングがあるのですね。ネットアプリのYAMAPで検索しているとヒットしました。裏なんばなら知ってますが。
 京都五山の送り火の大文字がある大文字山(465.3m)の北斜面の山々のことです。そのピークの名が、熊一族と鹿親子なんです。
 玄孫(やしゃご)は、親からすると4代後です。玄孫熊山まで大文字山から尾根を伝ってたどってきました。
 ピークハントというよりは、プレートハントの低山ハイキングでした。

 最初は親の熊山です。

 子、孫、曾孫と続きます。

 ひとつ西の尾根には鹿の親子がいました。

 ざっとこんな位置関係でした。

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京都 東寺のライトアップ2020

 東寺の五重塔がライトアップされています。高さ55mと、現存する日本の古塔の中では一番高い塔が、夜空に延び、影は池面に突き刺さっていました。
 カメラに三脚をもって、車で出かけました。ダウンジャケットを着てきましたが、それほど寒くはありませんでした。

 紅葉の向こうに九輪が突き抜けています。

 瓢箪池に反射します。

 この夜は、月はほとんど雲間でした。

 新たにゲットしたfish-eye(魚眼)レンズを試したかったのですが、出番はありませんでした。

 金堂の薬師如来が見えています。

 画像の部分を拡大しました。

 講堂越しに振り返りました。
 小学生のころ、この辺りのお堂を写生したことがあります。ふいに思いだしました。

 京都タワーも輝いていました。

 拝観券は友人にいただきました。昼の光明寺に次いで無料ご招待です。格安タイヤに格安レンズと続き、年金生活者には誠にありがたいことです。

 東寺 真言宗総本山 教王護国寺
 075-662-0173
 京都市南区九条町1

太閤道を若山まで 山パスタを食べに登る

 おじいさんは山へ柴刈りに出かけました。
 そんな感じの裏山ともいうべき太閤道を若山まで登りました。
 昼飯は、メスティンでナポリタン風のパスタをつくり、のんびりといただきました。「プシュ―」と恒例の儀式も行いました。
 目の下には水無瀬のわがマンションや駐車場のマイカーまでが見えていました。

 太閤道は、高槻市の磐手橋から島本町の若山神社まで5キロほどあります。
 羽柴秀吉が本能寺の変を知って、水攻めの備中・高松城から「中国大返し」で戻ってきて、天下分け目の陣を山崎で張ったときに通った道といわれます。
 何度も歩いてますが、きょうは初めてのルートから登りました。

 見晴らし台からは、淀川の向こうに霞んだ大阪市内のビル群や、あべのハルカスも見えていました。

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京都・周山 ウッディー京北の「京北のおばんざい定食」

 京都・京北の滝又の滝の秋を楽しんだあとは、周山にある「道の駅 ウッディー京北」のお食事処で昼飯にしました。ちょっと混んでましが、手際よく屋外のデッキのテーブルを用意してくれました。
 「京北のおばんざい定食」(1080円)です。メニューのトップにあったので、すぐに決まりました。
 メーンは鯖煮です。柔らかく煮てあります。甘いです。ご飯がすすみました。

 奥さまが頼んだのは「京北うどん」です。ごぼうのキンピラが載っています。素敵な取り合わせだったようで、「家でもやってみる!」とか。

 みやげに鯖寿司を買って帰り、夕食でいただきました。
 他にも真っ赤なタカノツメや、ちょっと変わった野菜なんかをゲットしました。

 美山牛乳などを使ったプリンやシュークリームが並びます。

 シュークリームがおいしそうだったのでデザートにテークアウェーして、車ですぐにかぶりつきました。
 柔らかい皮にトロ―リとしたクリームと、懐かしい味でした。

 道の駅 ウッディー京北
 075-852-1700
 京都市右京区京北周山町上寺田1-1

 帰り道は、魚ヶ渕吊り橋を見に行きました。桜もきれいでしたが、紅葉はと期待しました。
 「京都人の密かな愉しみ」の「逢瀬の桜」のロケ地となったところで、コロナが気になりだした春にもやって来ています

 だれもいない静かなつり橋です。

 大きな枝垂れ桜は、座残念ながら坊主になっていました。

 魚ヶ渕吊り橋は「京北十景」の1つです。
 京都市右京区京北周山町山キハ22

大文字山 眺望よしも、思わぬトラブル続発

 京都五山の送り火で「左大文字」が灯される大文字山(231m)に登りました。東山の大文字山(465.3m)と同じ名前です。ところが、登山となるとあちらほどにはポピュラーではありません。そうとは知らずに、軽い気持ちで登った裏山のハズでした。思わぬトラブルの続発でした。
 それはともかく送り火の火床からの眺めは最高でした。正面の山肌が三角形のところに「大」がくっきりと見えました。

 左大文字の火床がある大文字山の斜面は、管理している左大文字保存会が入山を規制しています。
 このゲートは下山後に通りました。「大」の字の左の流れから下ってきたところですが、ここから登ることはできません。わたしが歩いたように反時計回りに山道をぐるっと回り道する必要があるのです。
 テレビ番組で、ここから松明を背負って送り火の火床へ登る若者のシーンがあったのを覚えています。ここから登れるのだと思っていました。

 下山後は、ブラブラと西陣あたりを歩いて、千本丸太町の角にあったラーメン屋までやって来ました。午後2時を回って、やっと昼飯にありつきました。

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京都人の密かな愉しみ その11 「柳の水」を飲む

 きょうも気持ちの良い天気でした。ふらりと京都に出かけました。
 吉川英治の「新・平家物語」に登場する名水「柳の水」を探しました。「京都人~」では、夏の味覚編でNHK京都放送局勤務当時の井上あさひアナウンサーが訪ねています。
 阪急・烏丸から北に歩き六角通で左折、3本目が西洞院です。ここを右折したところに「馬場染工業」と看板のかかったビルがあります。通りに面して「柳の水」の表示があり、蛇口から名水が流れ出ています。ビルの内部に入れてもらうと、その井戸があります。
 「柳の水は、地下約90メートルまで掘られており、一度も枯れることなく今もなお染色や飲料水用として利用されています」と、いただいたパンフレットに書かれています。

 観光客にも優しい心配りです。

 蛇口をひねると、冷たい水が出てきます。ひと口、いただきました。爽やかな水です。

 この絵を見て、ピーンときました。「崇徳院と水守だ!」と。

 帰宅後に「新・平家物語」を調べました。
 崇徳上皇の水番から町医者となった阿倍麻鳥(架空の人物)は、源平の盛衰を描く物語を通じて登場します。崇徳院を慕って讃岐にも行きます。長い物語は、年老いた麻鳥が「もともと、わしは、柳の水の水守でもして、一生をおわろうとしたものを…」と、永年連れ添った蓬子に語りかけるシーンで終わります。

 この辺りには平安時代には崇徳上皇の仙洞御所があり、室町時代には茶道の祖・村田珠光が住み、茶人・千利休が「柳の水」を茶の湯に使いました。江戸時代には、織田信長の二男・信雄の屋敷となり、後に肥後加藤家(加藤清正)、紀州徳川家の京屋敷となったそうです。

 「京の黒染屋 馬場染工業」は、1870(明治3)年の創業です。
 
 京都市中京区西洞院通三条下ル柳水町75
 075-221-4759 

 「柳水町」と書かれた古い住居表示がありました。

 この後、西洞院から三条を東に東に歩きました。

 途中、昼飯を食べて祇園まで歩きました。八坂神社の境内にある祇園神水です。
 「京都人~」では、オムニバスドラマ「真名井の女」で、井戸掘り会社(八神鑿泉工業)の跡取りが、会社の女性事務員に入れて貰ったお茶の水を、「祇園神水では」といいます。 

 八坂神社は観光客の姿は少なく、これまでになくガラーンとしていました。