
昭和の京都の町を、市電が走ります。懐かしい光景です。

JR嵯峨駅の前にとまっているのは、嵐電でしょうか?

この車両は、ペーパー製キットを組み立てたものです。「みにちゅあーとプチ なつかしの電車」のタイトルで、京都のメーカー「さんけい」が発売しています。さっそく、その会社へ行き、1号車と3号車(どれも980円)を買いました。
1号車は、京都市電の1800型をモデルにしているのは明らかです。

昭和の京都の町を、市電が走ります。懐かしい光景です。

JR嵯峨駅の前にとまっているのは、嵐電でしょうか?

この車両は、ペーパー製キットを組み立てたものです。「みにちゅあーとプチ なつかしの電車」のタイトルで、京都のメーカー「さんけい」が発売しています。さっそく、その会社へ行き、1号車と3号車(どれも980円)を買いました。
1号車は、京都市電の1800型をモデルにしているのは明らかです。

京都・祇園の「石塀小路(いしべこじ)」を歩きました。
清水寺から産寧坂、二年坂と下り、豊臣秀吉の妻、寧々ゆかりの高台寺近くまできます。左手に、あまり目立たない路地があります。そこが、目指す石塀小路です。

小料理屋など、夜が商売の店ばかりです。昼間は人影もまばらです。

ジグザグの道を、石塀に沿って下っていきます。



最後は、民家の下を通り抜けます。
向こうから不思議そうにこっちを見ていたビデオ片手の外人さんに話しかけました。「高台寺への近道ですよ」と。わたしの英語、通じたかな?

通りに抜けると祇園下川原です。こんな風景にも出会います。といってもこれはホンモノの舞妓さんではありません。こんな衣装に変身して、町を歩く舞妓体験が流行っているのです。
ところで、、このページのカテゴリーが「京都市電の残影」となっているのに気づかれましたか。電車は登場しませんがね。
小路の御影石が、京都市電の軌道敷に敷かれていた石なのです。京都市電の廃止後、取り外した石が再利用されました。銀閣寺近くの哲学の道や、西京極競技場のマラソンゲート前などにも敷かれています。

梅小路公園からの帰り道、傘をさして歩きました。七条西洞院まできて、「そうだ、ここを北野線が走っていたのだ」と立ち止まりました。
北野線が廃止になった昭和38年(1963)から45年もたっています。当時を伝えるものなどあるはずがないと思ってましたが…。
左側の3本目の電柱に、釘付けになりました。他のコンクリート製の電柱とは、この1本だけが明らかに違います。

近づいて見上げました。擬宝珠(ぎぼし)をかぶせたような、特徴的な格好をしています。

昔の市電の架線を支える電柱は、鉄製(?)でした。どれもてっぺんに個性がありました。この写真は、旧錦林車庫(左京区)の前に残る電柱です(2008/06/28撮影)。
鉄のパイプをつなぎあわせた電柱なので、中は空洞です。だから頭に「帽子」が必要なのでしょう。

「RM Library N電 京都市電北野線」(ネコ・パブリッシング)は、「京都市電の残影」を追ううえでのバイブルのような出版物です。「北野線のちんちん電車「N1」」では、大阪市立中央図書館で借りたものでしたが、その後、購入しました。
それを調べると、34、35ページに、こんな写真がありました(撮影・高橋弘氏)。七条西洞院からの光景です。
左側の信号機の下に写っている電柱を見てください。よく似てると思いませんか。
この写真は、七条から北を見ているのか、南を見ているのかは不明です。それにしても似ています。

夏の「青春19きっぷ」がきょう20日から使用開始となりました。待ちかねたように岐阜・犬山市の「博物館明治村」に行きました。お目当ては、もちろん動態保存されている2両の旧京都市電「N8」と「N15」です。
きょう、動いていたのは「第貳」、これは明治村で付けられたナンバーで、旧京都市電の「狭軌1型(N)15」だけでした。

「市電京都七條駅」を通過する「N15」です。

市電品川燈台駅です。「第壱」、つまり「N5」(手前)は、定期点検中で休止してました。

「博物館明治村」の入場券は1600円です。それに1日乗車券(市電、SL、バスが乗り放題)をプラスして2200円でした。

京都・八幡市内の国道1号沿いに「巖商店」はあります。自動車の解体処理業者ですが、「もぎ取り」で有名です。広い敷地に積まれた解体前の自動車から、欲しいパーツを自分で取り外して購入するんです。ドア1枚、ホイール1個、電装品といった具合です。その一角に、昔から市電がとまっているのは知ってました。
久しぶりに行ってみると、あたりはずいぶんときれいになってます。お目当ての「1820」は全身を灰色に塗装されていました。

「烏丸車庫入庫」の行き先表示幕が残っています。その上には「ワンマン」と表示されていたはずです。

京都市交通局のマークも同じ色になってます。

破れた木製ドアから内部をのぞき込みました。比較的きれいに保存されているようです。

昭和53年に譲渡を受けたことが説明されています。運賃は50円の時代だったのでしょう。

反対側は「回送」です。
最初に事務所に「写真を撮らせてください」と断りをいれました。カメラを構えていると、社員が出てきて、「さび止めをしたところ。2カ月ほどしたら、昔の市電の色に塗るよ。いま、当時の写真を見て、色を調べてるところだよ」とうれしい話を聞かせてくれました。「ウチの目印として、ずっと保存していくよ」

国道1号を横切って、交差点の反対側からの眺めです。
昔の塗色でリニューアルされたら、さぞ目立つことでしょう。今から楽しみです。
巌商店

暑い1日でした。昼過ぎに仕事で行った堺市から戻ってきました。阪堺電軌(南海の子会社で、恵美須町-浜寺公園などを路面電車で運行)の我孫子車庫に1800型が保存されていることを思い出しました。南海高野線を新今宮で下車して、阪堺線の霞町まで歩きました。そこからあびこ道まで、チンチン電車に乗りました。あびこ道は、学生時代の友達が近くに下宿していて、そこを訪ねたときに下車して以来です。
阪堺電軌に譲渡され、「モ256」と改番された旧京都市電1800型は、駅の横にある我孫子車庫でゆっくりと休んでました。

我孫子車庫の全景です。いろんな車両がいます。

旧京都市電の1800型は5両が阪堺電軌に譲渡されました。すでに3台は廃車となり、1台は米・アリゾナ州ツーソン市に再譲渡され、動態保存されているそうです。
最後の1両の「1870」も京都市電色で動態保存されています。

車庫の裏側に回ってみると、昭和1ケタ時代に作られた「「モ160型」ががとまってました。

「N電(狭軌1型)」の最終ナンバー「28」をつけた車両は、ビルの中にすっぽりと納まって保存されています。多分、旧京都市電の車両のなかで、一番穏やかな「老後」を送っているのがコレでしょう。(撮影は7月12日)

河原町万寿寺通の北西角にあるビル「北阪ビル」です。昭和60年のビルの竣工にあわせて、スペースが確保されたようです。

ビルに入って撮影させてもらいました。

「京電」の社章なのでしょう。

「北野」行きの行き先表示幕も残っています。

運転席はシンプルです。

2軸の車輪まわりがよくわかります。

今春の「青春18きっぷ」で「加悦SL広場」(京都府与謝郡与謝野町字滝941-2)に行きました。そこに旧京都市電の「N電(狭軌1型)」はいました。
車体には「5」と表記されています。説明板にも「日本最古の路面電車-No.5号車」とあります。
ところが、同じ「5」は、「通勤電車から見える『N5』@明治製菓大阪工場」として紹介したばかりです。わたしが参考にしている「京都市電の廃線跡を探る」のうちの「保存車両現況」では、1から順に追って保存場所が紹介されています。それによると「5」は明治製菓、「23」が加悦SL広場となっています。
2台の「N5」はナゾのままです。

この車両は、北野線で最後まで走っていましたが、1961年7月31日の同線廃止とともに廃車となりました。その後、宝塚ファミリーランドで展示・保存されていました。2003年にそこも閉鎖され、加悦SL広場にやってきました。
現在は修復作業中ということで、シートをかぶっています。

説明板も宝塚からもってきたようです。

加悦SL広場の正面には、旧加悦鉄道加悦駅が復元されています。この右側の駐車場の脇にN電はとまっています。

「N1」が保存されている大宮交通公園には、加悦鉄道のSLも展示されていました。京都市電とのなにかの縁なのでしょう。

JR京都線で通勤するようになりました。高槻駅で快速に乗り換えると、すぐに明治製菓大阪工場(高槻市朝日町1-10)が見えてきます。そこに「N5」は保存されています。電車から見えるのは、ほんの一瞬です。
わざわざカメラをもって出かけました。きょうは各停に乗り、次の摂津富田駅で下車して、暑い中を歩きました。線路添いに道はありません。このあたりと目星をつけた地点は工場南側の線路際です。
望遠で撮影しましたが、金網がじゃまになって、ぼやけた画像になってます。

「5」と車体に書かれているのがよくわかります。塗装も新しく、きれいに保存されているようです。

この工場は、小学校のときに社会見学でやってきたことがあります。次に行ったのが大阪・中之島の朝日新聞社でした。

フェンスに沿って西側に移動しました。

工場の正門は国道171号沿いにあえります。見学を申し出ようかとも思いましたが、許されるかどうかは不明です。それに、ものすごく暑い日差しに、そこまで歩く元気も失せて、退散しました。