オペラはあまり観たことがありません。その殿堂たるミラノのスカラ座も、マリア・カラスの衣装などが展示されている美術館の見学コースの一部として舞台をのぞいただけです。
ケルン大聖堂についで大きなゴシック建築であるドゥオーモには、立派なパイプオルガンがありました。その音を肌で感じてみたかったです。
オペラはあまり観たことがありません。その殿堂たるミラノのスカラ座も、マリア・カラスの衣装などが展示されている美術館の見学コースの一部として舞台をのぞいただけです。
ケルン大聖堂についで大きなゴシック建築であるドゥオーモには、立派なパイプオルガンがありました。その音を肌で感じてみたかったです。
バッハのヨハネ受難曲やマタイ受難曲を奥さまが何度も歌っている大阪の合唱団の「原点」が、このワンショットでしたーと自負しています。
テノールのペーター・シュライヤー(中央)が、エヴァンゲリストとして歌い、振り返って指揮をしました。
プラハの春音楽祭(2005年)です。ルドルフィヌム(芸術家の家)のドヴォルザーク・ホールの思い出です。
プラハの春音楽祭のオープニング・コンサートでは、市民会館のスメタナ・ホールでスメタナの「わが祖国」が演奏されるのが習わしです。
もう一度、訪れたプラハでは、市民会館でアルフォンス・ミュシャのデザインを楽しみました。
「メンコン」と検索すると、「メンズコンセプトカフェ」の略とヒットします。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を思い浮かべるなんて、もはや化石?
といわれようと、ドイツ・ドレスデンで訪れた忘れられないゼンパーオーパーの夜でした。
「世界最大のジグソーパズル」という再建作業で復活したフラウエン教会では、オルガンの響きに圧倒されました。
クリスマスが近づくと、わが家ではドレスデンみやげの「ピラミッド」を飾り、思い出しています。
ジムで汗を流したあとは、寄り道なしで帰宅。エアコンを効かせた部屋でMy memoryに浸っています。
バッハの聖地、ドイツ・ライピツィヒの聖トーマス教会です。
BCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)のマタイ受難曲が終わり、拍手に包まれました。中央の白髪は指揮の鈴木雅明です。
バッハは聖トーマス教会の祭壇前に眠っています。
「Bach Fest 2012」のオープニング・コンサートも聴きました。
バッハは30年近くを、聖トーマス教会のカントール(教会音楽監督)として過ごしました。
マルクト広場のオープンステージや、ゲヴァントハウスなどあちこちの会場が、バッハであふれていました。
ウィーンでのんびりとした2019年の旅です。オーストリア東部のアイゼンシュタットを訪れました。ポストバスに乗り約60キロ、片道1時間半ほど揺られました。
町の中心にエスターハージ宮殿があります。ヨーゼフ・ハイドンはここで約30年間、エスターハージー侯爵のため作曲を続けました。
宮殿の大広間が改装されて「ハイドン・ザール(ホール)」になっていました。オケのリハーサル真っ最中で、得した気分で軽やかな調べに聴き入りました。
通りに面したカフェで昼飯を食べていると、リハーサルを終えたオケ団員が楽器を肩に帰っていきました。
旅から持ち帰ったパンフや地図、チケットやレシートが詰まった玉手箱を開けました。思い出とともに出てきた2つのプログラムです。
2004年に初めて訪れたウィーンで聴いたコンサートです。
Klang Bogen Wienという夏の音楽祭の一夜です。
コンツェルトハウスの大ホールで、ルドルフ・ブッフビンダーのピアノ、ウィーン室内オーケストラの演奏で、モーツァルトのピアノ協奏曲がKV537(第26番)、KV595(27番)、KV503(25番)と3曲続きました。
バッハウ渓谷1日ツアーのツアコンさんに勧められたコンサートです。モーツァルトやヨハン・シュトラウスらの室内楽や二重奏にバレーもついてラデッキー行進曲で締めくくられる観光客向けの音楽ショーでした。
会場のパルフィ宮殿にはバロック様式のホールがあり、当時6歳だったモーツァルトがコンサートを開いたこともありました。
ウィーンで聴いた音楽の思い出は続きます。
ハプスブルク家の王宮(ホーフブルク)にある礼拝堂です。日曜朝のミサには、ウィーン少年合唱団が清らかなハーモニーを響かせます。
コンサートホールではないので、ほとんどの席からは少年たちの姿は見えません。ドームに響く生の声を聴きながら、壁のモニターを見ていました。
アウグスティーナ教会は、ハプスブルク家の歴代皇帝が結婚式を挙げた教会です。シシーもここで皇妃エリザーべートとなりました。
何回か訪れています。その度にパイプオルガンが鳴っていた印象です。
ペーター教会は中世初期に創立されたウィーンで最も古い教会です。黄金に輝くパイプオルガンの音色を、ミサ以外でも聞くことができます。
アウグスティーナ教会、ペーター教会、シュテファン大聖堂などのパイプオルガンの競演です。
ウィーンの町の中心にそびえるのがシュテファン大聖堂です。教会ですが、ミサはもとよりコンサートも行われます。
指揮者も目指しているピアニストの反田恭平さんが、モーツァルトのレクイエムを振りました。モーツァルトが亡くなっった同じ日、時間、結婚式も葬儀も行われたシュテファンで。これは聞きに行くしかありませんでした。
あちこちでクリスマスマーケットが開かれている、雪が舞うウィーンでした。
ウィーン放送交響楽団でヴァイオリンを弾くちかちゃんが、トラ(エキストラ)で演奏していました。おかげでリハーサルにも立ち会うことができました。
4回目のこの日はミサが行われていました。
2回目のウィーンで、緊張しながらモーツァルトの「戴冠ミサ」を聴きました。
ウィーンの中心、シュテファン大聖堂から南に歩くとケルントナー通りがリンクと交わるところ。堂々としたウィーン国立歌劇場です。モーツァルトのいでたちの兄ちゃんが「チケットあるよ」と声をかけてきます。
オペラの殿堂です。小澤征爾も音楽監督を務めました。
ウィーンに行くたびに前を歩いています。でも入ったのは1回きりです。天井桟敷から観ました。
最初に訪れたとき(2004)は、楽屋口からのぞき込みました。
トラムの乗り場から何回も見上げました。イルミネーションもきれいです。
見ているだけで楽しいショップです。
心ひかれたオペラ座の立体紙模型です。みやげにはカレンダーを購入、わたしの部屋に1年間、掛けていました。
フォルクスオパーもにも行きました。
「音楽の都」と称されるウィーンです。55歳のリフレッシュ休暇で初めて訪れました。リタイア後にはゆっくりと滞在しました。雪のクリスマス・マーケットでプンシュを飲み、カフェ巡りもしました。
ウィーン楽友協会のグローサー・ムジークフェラインザールは「黄金のホール」と呼ばれます。ニュー・イヤー・コンサートのテレビ中継でなじみの憧れのホールに身を置きました。
5回目のウィーンです。雪で凍てついた夜でした。でもここだけはアルゲリッチらの熱気にあふれていました。
ベートーベンの「第9」が爆発しました。広くない舞台に合唱まですし詰めでした。
夜空に輝く聖地、ムジークフェラインです。
奥さまの合唱団のドイツ遠征でもウィーン観光をしました。ここは外せないと訪れました。
ガイドツアーでは舞台のかぶりつきで、カラヤンやベームの足跡かもしれない傷だらけの床まで見学しました。
最初の旅では、ムジークフェラインの存在を確認しただけでした。