My memory トラムは素敵 エアフルトで初見参

 ドイツ中部のチューリンゲンの森に囲まれた町、エアフルトを訪れたのは30年も前のことです。インターネットやホームページが普及する前のことです。このブログを探しても、当時の記録は存在しません。
 勤めていた新聞社への招待で、ライプツィヒからフランクフルトまでのゲーテ街道を旅しました。エアフルトで町を走る赤いトラムと初めて対面しました。
 格好いいなあ!っと、何枚もカメラのシャッターを押しました。

 まだデジカメが普及する前です。フィルム(銀塩)カメラで撮影しています。カラーネガと引き伸ばしたプリントが保存されていました。プリントをスキャナーで読み込みました。

 「’95 8 20」と撮影日が記録されています。
 仕事にはもっぱらNIKON F2Photomicを愛用していました。でも撮影日が入っているということは、その機能がある小型のCANON AutoBoyだったようです。

 トラムが町の景観に溶け込んでいます。

 当時は高床式のタトラカー(チェコ製)ばかりでした。

 観光名所でもあるクレーマー橋です。川の上に商店や住居が建っています。

 橋の上を歩いても、両側には商店が並んでいて、川面はまったく見えません。

 橋上で撮影したのでしょうか。ご婦人が糸を紡いでいるようでした。

 大聖堂の脇にある大階段です。ここは夏の音楽祭のオペラの舞台としても使われるそうです。

 ちょっと色褪せたプリントをスキャナーで読み取りました。ネガ・スキャナーがあれば、もう少し色鮮やかにデジタル画像化できたかもしれません。

 2012年に滞在中のライプツィヒからワイマールへ日帰りで行きました。往路に乗ったICE(高速列車)はワイマールを通過してエアフルトまで止まりませんでした。2度目のエアフルトでホームには降り立ちましたが、すぐにワイマールへと折り返しました。

ライプツィヒ 中央駅からドイツ版新幹線「ICE」に乗る

My memory トラムは素敵 ポルトの巡礼路

 ポルトからスペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで250キロほど。3回目のカミーノ巡礼はここから歩き始めました。 
 ポルト大聖堂を後にした巡礼路に沿ってトラムの1号線が走ってました。主に観光用として残っています。
 乗ってみたかったのですが、巡礼は歩くのがすべてです。次々にやってくるクラシックなトラムを横目にし続けました。

トラムを横目に歩きました

 ポルト大聖堂から黄色い矢印に導かれて歩き始めました。

ポルト大聖堂から巡礼をスタート

 市民の足はもっぱらメトロと呼ばれるライトレールです。市街地では地下を、町を出ると道路併用や専用軌道を走ります。
 ドウロ川にかかるドン・ルイスⅠ世橋の上もメトロは行き交っていました。

ドン・ルイスⅠ世橋を歩いて渡る

憧れだったポルトの夜はふけて

 異常に暑かった7月も終了です。今月の投稿回数はこれまでになく多い35回となりました。このうち半数が「My memory」です。音楽のこと、トラムのこと。あれこれと思い出を書き連ねてきました。
 さて8月。まだまだ暑そうです。不要な外出は控え、エアコンを効かせたわが部屋でパソコンに向かいたと思います。

My memory トラムは素敵 ドレスデンの映える黄色

 ドレスデンのゼンパー・オーパー(ザクセン州立歌劇場)から眺めたカトリック旧宮廷教会と王宮です。古びた石造りの建物に黄色いトラムが映えます。

 ボンバルディア製のLRTが走っています。連接数が違ういろんなタイプが行き交います。

ドレスデン 黄色いトラムがザクセン王国の都に映える

 泊まったホテルの窓からも橋を渡るトラムを見ることができました。
 ちなみにホテルは1泊100ユーロほど。おまけに1ユーロが100円を切るという円高でした。ざっと1万円です。こんな時代は思い出でしかありません。

ドレスデン 「Am Terrassenufer Hotel」のキャビア付き朝食

 トラムが走れば、歩行者信号は赤です。

止まれ 止まれ 進め ドレスデンの歩行者信号

My memory トラムは素敵 ミラノで乾杯!

 ミラノの中心、ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)近くの路地で昼飯を食べました。大きなジョッキで乾杯です。
 テーブルのすぐ後ろをオレンジ色のトラムが走り抜けました。運転席は前部にしかありません。後部は見事にすぼめられていました。急カーブを曲がるためのミラノ・ファッションだったのでしょうか。

ミラノでトラムにゆられる

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアでポーズです。もう16年も前のことです。若かったですね。お腹が今ほどには出てません。下腹部の膨らみはパスポートを入れたウエストポーチです。
 撮影してくれたのはひとり旅の阪大生でした。カフェで隣の席になったのでビールをおごりました。

ミラノで乾杯!

ミラノで乾杯! トラムに乾杯!!

 レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後な晩餐」は、この教会にありました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」

My memory トラムは素敵 ベルンの真っ赤っか

 スイスの国旗は、真っ赤に白十字です。首都・ベルンのトラムも真っ赤っかでした。

ベルンのトラムは真っ赤っか

 アーレ川にかかるコルンハウス橋をトラムが渡ります。
 ベルンの町は3方をアーレ川によって削られた砦のようになっています。

アーレ川を渡る~不思議な光景

 町のあちこちに趣向を凝らした噴水があります。水が飲めます。
 トロリーバスも真っ赤でした。

ベルンの噴水

ベルンのバラ公園~野外レストランでのんびりと

My memory トラムは素敵 アントワープの急カーブ

 ベルギー第2の都市、アントワープ(アントウェルペン)のトラムです。細い路地の急カーブを走ります。
 中央駅から「フランダースの犬」で知られるノートルダム大聖堂の最寄り停留所まで乗車しました。
 車内アナウンスはなく、停車ボタンを押さないと通過します。おかげでひと駅、乗り越してしまいました。それも思い出です。

アントワープの細い路地 トラムは走る

 ノートルダム大聖堂では、ネロ少年が憧れたルーベンスの絵画を目にしました。

ノートルダム大聖堂でルーベンスと対面 ネロになる

 ベルギー・ビールもおいしかったです。

アントワープ ドックス・カフェでKWAK

My memory トラムは素敵 グラーツのシックなグリーン

 オーストリア第2の都市、グラーツは2度、訪れました。
 ウィーンからOeBB(国鉄)で2時間半ほど。中央駅からグラーツ市電に乗ると世界遺産の旧市街です。低床式のLRTが次から次へと発車します。

 2010年はまだ古い車両がほとんどでした。グリーンを基調としたシックな車両が、古い町並みに溶け込んでいるようでした。

グラーツの旧市街をトラムは走る

 9年後の中央駅前はすっかり変わっていました。そこに見覚えのある車両がやってきました。

グラーツ 大好きなグリーンのトラム

 エッゲンベルク城へもトラムに乗って行きました。豊臣時代の大坂を描いた「大坂図屏風」が残っていました。

グラーツ エッゲンベルク城の「大坂図屏風」

グラーツで見かけた My Shot

My memory トラムは素敵 リスボンの28番線

 My memoryのパート2は「トラムは素敵」です。
 京都の市電は廃止されて久しいです。でもわたしが旅したヨーロッパでは、あちこちにトラム(路面電車)が走ってました。喜び勇んで乗りまわった思い出です。
 第1回は、それに乗るために訪れたようなポルトガルのリスボンです。 
 エレクトリコの28番線は、「7つの丘」と呼ばれる起伏の多い町をガーガー、ギシギシと音を立てながらわたしを乗せて走りました。

リスボンの町を市電28番は走る

 端から端まで、坂から路地から、鉄分最高に楽しみました。

リスボンの町をガタゴトとトラムは走る

 ケーブルカーの最前部でカメラを構えて坂道を登りました。

馬鹿と煙は?ケーブルカーとエレベーター

 土産はブリキの電車でした。

リスボン土産も買いました

My memory ルツェルン ルツェルン音楽祭

 暑い日にはどこにも出かけず、あれこれと思い出にふけってきた「My memory~音楽の旅」です。最終回はスイスのルツェルン音楽祭です。
 美しい水辺の古都です。ルツェルン湖畔に建つルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(KKL)のコンサートホールは、天井が高いシューボックス型でした。ここでマルタ・アルゲリッチのピアノを聴きました。

マルタ・アルゲリッチに魅せられる

旅のフィナーレ、ルツェルン音楽祭

 ルツェルンには2回、訪れたました。最初は音楽祭のチケット入手に慣れていなくて、失敗しました。

20日のランチ 相性が悪いLuzern

雨のカペル橋

 My memoryのINDEXをつくりました。

 スマホでご覧の方は、トップ画面の右にある横3本線のマークをクリックすると、メニューページに移行します。プロフィル画像の下にあるMy memory indexをクリックしてください。

 パソコンの場合は、画面右にあります。

My memory ブレゲンツ ブレゲンツ音楽祭

 湖上に設営された野外ステージでプッチーニの歌劇「トスカ」が演じられました。
 ボーデン湖でドイツ、スイスと接するオーストリアの町、ブレゲンツで毎夏、「ブレゲンツ音楽祭」が開かれます。7000人収容の大観客席と、サッカーコートほどの大きさの舞台壁面が動くという大掛かりなオペラでした。

ボーデン湖畔の「トスカ」

 あいにくの天候でした。格好はかまっておれないと、山用のレインウエアを着用しました。こんな音楽会は、これ1回だけです。

驚がくのブレゲンツ音楽祭

 ルツェルンから急遽、転じたブレゲンツでした。

ブレゲンツとルツェルン