My memory 旅ランチ アルプ・グリュムのペペロンチーノ

 スイス・レーティッシュ鉄道のベルニナ線に、イタリア北東部のティラーノから乗り込みました。オープン・ループ橋や山上湖、雄大な氷河などのアルプスの絶景を楽しみ、中間のアルプ・グリュムで途中下車しました。走りすぎるにはもったいない時間でした。
 駅舎につながるレストラン「WeissbierGarten」に直行しました。「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」です。

 氷河を眺めながらのビールです。サイコーにうまいシチュエーションでした。

 パリュー氷河がのぞいていました。

アルプ・グリュム駅のアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ

 標高2091mにあります。ラックレールを使わない粘着方式のベルニナ・エクスプレスは、グルリっと回って登ってきました。

ベルニナ急行でアルプスを越える

My memnory 旅ランチ ワイマールの優雅なパスタ

 ドイツのワイマールといっても、高校の世界史で習ったワイマール憲法くらいしか思い当たりませんでした。
 バッハゆかりの地でした。2度も訪れました。
 町の中心、マルクト広場に面したホテル・エレファントの中庭のテラスでいただいたBandnudeln(リボンパスタ)です。こってりと濃厚味でした。

 シュパーゲル(白アスパラガス)のスープも絶品でした。

ワイマール 「HOTEL ELEPHANT」の優雅なパスタ

 最初のドイツ旅行(1995年)で泊まった1542年創業の町で一番古い5つ星ホテルでした。おかげで二度目は臆することもなく、優雅な時間を過ごすことができました。

ワイマール 「HOTEL ELEPHANT」の優雅な時間

 ずしりと重い部屋のキーホルダーです。ホンモノは部屋番号が彫られていました。同じものを土産にしました。文鎮にでもなりそうと、30年も机の引き出しに入ったままです。

 ワイマール憲法が制定された国民劇場の前には、ゲーテとシラーの像が立っていました。

ワイマール ゲーテ街道、わたしにはバッハ街道

My memory 旅ランチ 「天国の入り口」、ソーリオのペペロンチーノ 

 My memory の5つ目のシリーズは「旅ランチ」とします。旅の途中に食べたランチと思い出です。やはりパスタが多いです。

 スイス・エンガディン地方のサンモリッツからポストバスに揺られて1時間半。ブレガリアの谷の最奥の村、ソーリオにたどりつきました。
 村を散歩した後の旅ランチは、ホテル・パラッツォ・サリスの裏庭にあるイル・ジャルディーノでいただきました。
 メニューを見て安心して頼めるアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノです。改めて画像を見ると、トマトも入っているようにも思えます。でも、シーンを含めてすごく美味しかったということしか覚えていません。
 ホテルは、17世紀に建てられた貴族のお屋敷だったようです。

ソーリオで食べた アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ

 観光客もまばら。静かな村の迷路のような路地に迷い込みました。

ソーリオの路地に迷い込む

 アルプスの画家、セガンティーニは「天国の入り口」と称しました。
 村のはずれまで歩きました。教会の向こうにアルプスがそびえます。氷河が光っていました。

アルプスの村 アルプスの谷

My memory 駅 初めてのウイーン西駅

 ウィーン・ヴェストバーンホフ(西駅)は、ふたりで初めての海外旅行となった2004年の旅で利用しました。
 長距離列車に乗るのも初めて。念のためにと、前日に駅の様子を見に行ったほどでした。

ウィーン カフェ・リッターのザッハ・トルテ

 ウィーンの町を楽しんだ後、憧れのザルツブルク音楽祭を聞くためにモーツアルトが生まれた町、ザルツブルクに向かいました。

 乗った列車は、ザルツブルク経由でミュンヘン行きのECでした。「モーツアルト」という愛称がついていました。

ウィーン 初めてのÖEEでザルツブルクへ

 「ウィーンでのんびりと」というタイトルをつけた旅(2019年)では、列車で到着したウィーンにはHauptBahnhof(中央駅)という新駅ができていました。

ウィーン アパートメントホテルでご飯にほっこり

 飽きもせずにあれこれと書き連ねてきた My memory の駅シリーズは、これでお終いとします。わたしの思いで旅にお付き合いくださり、ありがとうございます。

My memory 駅 ベルリン中央と分断の記憶

 お上りさんにはまるで迷路みたいだったベルリン中央駅です。16もあるホームは東西と南北方面に分かれ、地上と地下で立体的に交差しています。最上階を地下鉄が、長距離路線が地下を走っていることも、わたしの頭を混乱させました。
 東西分断の壁が取り壊された跡地に2006年に生まれました。再統合の象徴ともいえる駅です。

ベルリン 迷路のような中央駅

 中央駅から東へ3つ目がアレキサンダー・プラッツ(広場)駅です。駅前に旧東ドイツ時代に立てられたテレビ塔がそびえています。塔の上からはブランデンブルク門などベルリンを一望することができます。

ベルリンの高い所から テレビ塔と大聖堂

 アレキサンダー・プラッツでは、公共交通機関乗り放題のベルリン・カードを買おうとして、ちょっとおっかない目にあったのも、今は思い出です。

ベルギーの笑顔 ドイツのしかめっ面

 さらに2駅先のベルリン・オスト(東)の近くには壁をそのまま残したイースト・サイド・ギャラリーがありました。

ベルリン 東西分断の記憶 Eastside Gallery

ベルリン東西分断の記憶 Checkpoint Charlie

 ポツダム・プラッツ、ハッケシャー・マルクト、ベルリン中央、アレキサンダー・プラッツ、ベルリン東と書き連ねてきました。他にもフリードリッヒ・シュトラーセなど思い出の駅はありますが、ベルリンの駅はここまでとします。

My memory 駅 ハッケシャー・マルクトのカリーヴルスト

 ベルリンの駅をもうひとつ。中心部の旧東ドイツ地区にあるハッケシャー・マルクトです。
 DB(ドイツ国鉄)のSバーンは、1882年の開業当時の面影を残すレンガ造りの高架を走っています。駅周辺の高架下には飲食店などが並んでいます。
 

 ここで食べたカリーヴルストは、ドイツの若ものに人気のジャンクフードです。焼いた太いソーセージにカレー粉とケチャップがかかってスパイシーです。ビールのアテに最高です。

ベルリン 最後の昼飯はカリーヴルスト

 駅前にはこんなストアも並んでいました。 
 前回と同じレストランでカリーヴィルストをいただきました。

わたしのみやげ アンペルマンの毛糸帽子

 交差点を渡った先にあるハッケシャー・ヘーフェには、中庭があるいくつかの古いビル群におしゃれなショップが並んでいます。

ベルリン ハッケシャー・ヘーフェの甘いビール

My memory 駅 ポツダム広場の白ソーセージ

 しばらくご無沙汰となったMy memoryです。心地よい秋の日に外出などが続いてました。

 ベルリン・フィルハーモニーの最寄り駅がポツダム・プラッツ(広場)です。3回の旅の度に利用しました。DB(ドイツ国鉄)Sバーン(近郊路線)の地下駅(写真)と、Uバーン(地下鉄)駅があります。
 第二次大戦で破壊されました。戦後は東西に分断されていましたが、統一後は再開発されて商業、文化の中心地になっています。

 ひときわ目を引くのが鉄骨、ガラスに覆われたSONYセンター(現・ポツダム広場センター)です。日本のSONYなどの出資で完成し、当時はソニー・ヨーロッパ本社も入居していました。

 広場にあるレストラン、Linden Braeuです。名物の熱湯に浸かった白ソーセージをいただきました。

ベルリン 白ソーセージには白ビール

ベルリン SONYセンターで白ソーセージ

 SONYセンターの横を進むとやがて大指揮者の名を冠したヘルベルト・フォン・カラヤン通りです。向こうに茶色いフィルハーモニーが見えてきます。期待が膨らむ瞬間でした。

ベルリン・フィルハーモニーの入り方

My memory 駅 ザルツブルクの新旧ホーム

 モーツァルトが生まれた町、ザルツブルク。夏の祝祭音楽祭や映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台としても人気の観光地です。
 ÖBB(オーストリア国鉄)のザルツブルク駅は、3回の旅で利用しました。
 真新しい車体のrailjet(レイルジェット、特急)が旧駅のホームに停車中です。でも直前の窓口ではチケットが取れず、次のEC(急行)でウィーンに戻りました。
 奥さまの女声アンサンブルのドイツ遠征(2010年)にカメラ、音声の記録担当として同行しました。そのオプショナル・ツアーとして2人で湖畔のハルシュタットやザルツブルクを楽しみました。ヘルブルン宮殿では、水と戯れました。 

ヘルブルン宮殿 水と戯れる

 55歳のリフレッシュ休暇で念願のウィーン、ザルツブルクを旅しました(2004年)。海外で初めての鉄道旅で降り立ったホームです。

ザルツブルクのモーツァルテーム

 リタイア後にウィーンでのんびりと過ごした旅(2019年)では、railjetに乗ってインスブックからやって来ました。新しいホームは階上にあり、駅舎もきれいになってました。

ÖBBの旅 「ジパング倶楽部」の大恩恵

 この夏、ピアニストの反田恭平がザルツブルク音楽祭デビューを果たしました。モーツァルテーム大ホールでモーツァルトのピアノ協奏曲「戴冠式」を弾き振りしました。
 モーツァルテーム音楽院(大学)には、最初の旅で入って(もちろん入学ではなくて、無断侵入!)してました。ホールはこの近くにあるようです。
 もう一度、訪ねたい町です。

My memory 駅 緊張のマドリード・チャマルティン

 あちこちの駅を利用して旅してきました。その中で最も緊張を強いられたのがマドリード・チャマルティンでした。スペイン北西部に向かう幹線の起点駅です。最初のサンティアゴ巡礼で、ここからスタート地のサリアへ向かいました。
 治安はあまり良くないとの情報でした。周りの人間がみんなスリに見えました。列車の発車直前までパトロール中の警察官近くのベンチに座っていました。

 ホームの端には、改札とともに空港と同じように手荷物検査がありました。他の駅ではお目にかかったことがありません。
 
Paso a paso 巡礼前日 マドリード~サリア

 乗車してしまえばもう安心。
 ALVIAのS-730シリーズの乗り心地を楽しみました。標準軌と広軌の違うレール幅を走行しながら調整します。さらに電源車も備えていて、非電化区間も走るハイブリットというスグレモノです。

Paso a paso renfe(スペイン国鉄) 「Alvia」に乗る

 帰りもALVIAのお世話になってチャマルティンに戻りました。
 60余歳にして初めての海外ひとり旅でしたが、最後は丸くまーるく大団円となりました。

Paso a paso マドリード 旅の最後は丸くまーるく大団円

My memory 駅 GPLに乗って モントルー

 Golden Pass Line(GPL=ゴールデン・パス・ライン)は、スイスのインターラーケンからレマン湖畔のモントルーを結ぶ絶景鉄道でした。
 わたしたちはその展望列車の最前部に座って走り去るアルプスを楽しみ、モントルーに到着しました(画像上)。鉄ちゃん最高の旅でした。
 軌道幅の違う2私鉄をまたいでいて、途中のツヴァイジンメンで乗り換えました(同下)。今では、走行しながら軌道幅を変えられるプレステージ列車が、ゴールデン・パス・エクスプレスとして乗り換えなしで走っています。もう一度、乗りたいです。

再びGPLの車窓から

 この人、だれだかわかりませんでした。映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見て、フレディー・マーキュリーと知りました。

 明るい太陽にあふれた町でした。この近くで、チャーリー・チャプリンやオードリー・ヘプバーンが晩年を過ごしたのも納得でした。

色が違う街 Montreux

24日のランチ Montreux 木陰のカフェ