スワッグと言うらしいです。花や葉を束ねて壁にかける飾りのことです。リースはもう流行おくれ(?)なのでしょうか。
わが家にも登場です。「上手にできたでしょ。写真、撮って」と頼まれました。
よく似てますが、玄関ドアにも飾っています。
ダイニングテーブルの上にも、赤い実がなってます。
わが家のメリー・クリスマスです。毎年のようにこのシーズン、奥さまが玄関を飾ります。
ことしは新顔の追加です。昨日の京都伏見・深草トレイルで大岩山に登るとき、山道に置かれていたプレゼントです。20数個の木の飾りをいただいてきました。
さっそく壁にぶら下げました。
どうして作ったのでしょうか。その精巧さに驚かされます。
型を作って、薄板を焼き抜いているのでしょうか。それにしても細かい細工です。ありがとうございます。
大岩山については昨日のブログ「京都一周トレイル 伏見・深草ルートのX’masプレゼント」をご覧ください。
プレゼントの箱に張り付けられていたQRコードと、「のび太の裏山化計画」という団体名です。
QRコードは、「大岩山 アドベント カレンダー計画」とリンクしています。大岩山参道のPRと環境美化を促進する計画の一環のようです。
飾りの中心は、ドイツ・ドレスデンを旅した7年前にみやげに買ってきたロウソクの熱で風車が回る木工工芸品です。
ドイツではクリスマスツリーの代わりとして『ピラミッド』と呼ばれて、昔から愛されているそうです。
動画にメロディーも加えてみました。
撮影は、こんな風に行ったというタネ明かしです。
京都・今宮神社の門前にある茶店「いち和」で名物のあぶり餅をいただきました。
竹串に刺したつきての餅を炭火で焦げ目がつくほどにあぶって、甘い白味噌のたれをかけています。
暖かな一日でした。軒先の床几に腰かけて熱いお茶をすすりながら味わいました。
食べた後の青竹まで絵になります。
注文を聞いてから、目の前で焼いてくれます。
きょうは「いち和」こと、一文字屋和輔です。長保2年(ちょうど1000年)創業という老舗です。
向かいには、同じあぶり餅の「かざりや」があります。江戸初期の創業ですが、それでも400年です。どういうわけか、そちらのを食べたことが多いです。
こちらにしたのは、「京都人の密かな愉しみ」(NHK-BS)に登場した「お玉の井」を見たかったのです。番組では、京都の名水(井戸)のあちこちが紹介されました。その一つとして、NHK京都放送局勤務(当時)の井上あさひアナウンサーが訪れてレポートしていました。「ニュースウォッチ9」を降板したときは「あさひロス」と騒がれましたが、結婚が明らかになって、またまたざわざわしています。
この竹垣の下が井戸です。
断りを入れて、井戸に降りました。
「たまに落ちる人もいはるから、気いつけてや」と諭されて。
深い底から清水が湧き出ているようでした。
今宮神社東門からの眺めです。
左がいち和、右がかざりやです。
一文字屋和輔 いち和
京都市北区紫野今宮町69
075-492-6852
これまでのこのブログでの「京都人の密かな愉しみ」
絶好のお出かけ日和でした。きょうも山歩きを楽しみました。
山仲間のM子さんが「比叡山に登ったことがない」とおっしゃる。それでは行きましょうと、Oさんとともにエスコートしました。
京都・大原から京都一周トレイルを逆向きに仰木峠~水井山~横高山と越えて延暦寺へ。関西百名山の大比叡(おおびえ、848.1m)を制覇? 秘境駅に数えられる坂本ケーブルのもたて山駅に寄って、一気に坂本へ下山しました。15キロほどのロングトレイルでした。
光のシャワーを浴びて杉木立の道を進みます。
M子さん恒例のデザート。本日はカボチャづくしのケーキです。詳しい説明を聞きましたが、右から左で申し訳ありません。
空洞になった幹をテーブルにしました。チョコレートの桜と若枝の紅葉のあまりの美しさにほれぼれ。もちろんお味もサイコーです。
坂本ケーブルのもたて山駅です。ここで乗下車する人はほとんどいません。駅を降りても、山道が延びるだけです。
カメラをかまえるわたしは、満員の乗客に怪訝な目で見られました。
大阪・OBPのいずみホールでモーツァルトの「レクイエム」を聴きました。その後、ちょっと足を延ばして「わたしの桜」を見に行きました。
第二寝屋川にかかる新鴫野橋のたもとに生える桜の木です。立派に成長しています。それが大阪城をバックに赤い紅葉となっていました。
残念ながらすでに太陽光はなく、鮮やかな色彩は拝めませんでした。
支柱にプレートが張り付けられ、募金者の名前が刻まれています(画像処理しています)。わたしの名前もあります。
建築家の安藤忠雄さんらの呼びかけで「平成の通り抜け」として平成20年、毛馬から大阪湾までの大川に3000本の桜の並木をつくろうという募金・植樹活動がありました。5億円以上が集まったそうです。その1本です。
OBPのビル群に向けて連なる桜並木は、みんなそのときの植樹です。
内濠にかかる極楽橋です。オーストリア・グラーツのエッゲンベルク城に残る「豊臣期大坂図屏風」に描かれていたあの極楽橋です。
まるで豊臣期の極楽橋にかかっていた「唐門」を模したような観光船が通りました。
石垣の上から見下ろしました。
天守閣はやはり立派です。
インバウンドばかりとすれ違いましたが、胸を張って「The OSAKA」を自慢できます。
旧第四師団の立派な建物は改装されてレストランなどが入っています。
「ザ・コナモン・バル 利休」でたこ焼きをつつきました。
ソースやトッピングはセルフというスタイルでした。わたしはオーソドックスにソース、鰹節、青のりです。
大阪城公園では「ラーメン・フェスティバル」なるイベントが行われていました。どの店も大行列のようでした。その反動か、こちらは空いていました。
ザ・コナモン・バル 利休 (THE KONAMON BAR RIKYU)
06-6484-9455
大阪市中央区大阪城1-1 MIRAIZA OSAKA-JO 1F
いずみホールで聴いたのは「同志社CCDアルママータ12thコンサート」でした。
2つの「レクイエム」が演奏され、ラターは抑え気味の合唱が素晴らしかったです。伴奏は管楽器とオルガンの小編成でヴァイオリンやビオラが入っていないせいか、モーツァルトでは鎮魂の曲がしっとりと耳に流れ込んでこないのがちょっと残念でした。
JRの新大阪~奈良間を走るノンストップ特急「まほろば」がこの秋、臨時運行されています。今春、全線開通したおおさか東線を優等列車が走るのは初めてです。
急に思い立って、このシーズンの土、日曜日に13往復するだけの限定列車に「乗り鉄」体験をしました。しかも、京都までの「大回り乗車」でしたので、時間だけはたっぷりとある年金生活者の懐にも優しい半日でした。
新大阪の1番ホームに行くと、「まほろば自由席」と書かれた辺りには、発車半時間前だというのに行列ができていました。それが見る見るうちに伸びました。
大阪から大和路快速に乗っても奈良までの所要時間は10分ほどしか違いません。どうせガラガラだろうとタカをくくっていましたが、大違いでした。3両編成の指定席2両は、すでに満席でした。
行列に対して検札が始まりました。自由席特急券は1200円でした。
検印を押されたわたしの乗車券は、島本から京都までの310円区間です。「大回りです」と告げると、何の問題もありませんでした。
行先表示は当然ながら「奈良」です。「特急」ともありますが、「まほろば」という列車名がないのが残念です。昔の特急のような列車ごとのヘッドマークもありません。
雲ひとつない青空が広がりました。わが家近くの施設で暮らす義母と一緒にドライブに出かけました。嵐山まで走りましたが、まだ紅葉には早いようです。それでも渡月橋から天龍寺にかけての道は、観光客であふれています。そのまま走って鳥居本の「鮎茶屋 平野屋」に行きました。愛宕社の一の鳥居は修復中で足場が組まれていましたが、運よくその横に車を止めさせてもらえました。
赤い毛氈が敷かれた床几でいただいたのは、名物の志んこだんごと抹茶との「一服」(840円)です。京都のしんこは「上新粉」からきており、それを蒸しています。ニッキ、お茶、白の3種がひねってあります。だんごに甘みはなく、きな粉をまぶした黒砂糖が甘さを演出していました。
クロモジの枝の先をとがらした、手作りのような楊枝でいただきました。
たまにいただく抹茶はおいしいものです。
桜茶でしょうか。淡い花弁が浮かんでいます。
餅といえば、嵯峨野鳥居本の[平野屋]で茶うけに出す糝粉(しんこ)餅も、私は大好きだ。もとより平野屋の売りものは糝粉餅ではない。鮎である。
池波正太郎の「散歩のとき 何か食べたくなって」の一節です。
司馬遼太郎も白洲正子もここでアユを食べてました。わたしも食べてみたいです。
創業400年の老舗です。
柱には千社札がぎっしりと張られています。
紅葉には、まだ早すぎました。
平野屋
075-861-0359
京都市右京区嵯峨鳥居本仙翁町16
「JR鍛冶屋線廃線30年 メモリアルウォーク」を歩きました。
鍛冶屋線は、兵庫・西脇の野村駅(現・JR西脇市)から北に13.2キロ、鍛冶屋駅まで走っていたローカル線です。大正12年に播州鉄道として開業、播州織物の運送などを担ってきましたが、平成2年に廃線となりました。その廃線跡に残された駅舎や整備された遊歩道などを巡るイベントでした。
今年は、猛暑のためかわが町あたりの紅葉はまだまだ先のようです。でも、播州の廃線跡は、晩秋を感じさせる光景があちこちにありました。
鍛冶屋線の跡地にできた日野北バイパスの開通プレイベントも行われていました。羽安駅では、無料でジビエ焼き肉なんかもふるまわれていました。
鍛冶屋線の鉄橋をそのまま使った橋がかかっていました。
山仲間で鉄ちゃんでもあるOさんと一緒に歩きました。
大阪城がオーストリア第2の都市、グラーツにあるエッゲンベルク城と友好城郭提携を結んで10周年となる11月2日、大阪歴史博物館で開かれた記念フォーラムを聞きました。
グラーツからやって来た博物館長や学芸員が、グラーツの魅力や「大坂図屏風」があるエッゲンベルク城の城主などについて説明しました。残念ながらパワポの画質が悪く、説明も通訳は事前に用意されたテキストを読み上げているだけといった印象でした。
広い会場は、わたしと同年配のいかにもヒマなリタイア組らで満員でした。それが、あちこちでコクリとしていました。
この催しはエッゲンベルグ城と「グ」と表記していますが、わたしはこれまでエッゲンベルク城としてきました。
エッゲンベルク城は、9月に訪れたばかりです。「エッゲンベルク城の『大坂図屏風』」に書いています。
このときは英語のガイドツアーに入りました。おかげで「大坂図屏風」と対面できました。でも説明の方は、あまり理解できませんでした。もう一度、じっくり理解したかったのです。
大阪城天守閣の北川央館長の話になると、がぜん、おもしろくなりました。やはり日本語です。
豊臣期に城は黒色、徳川期は白色という通説はウソ。という説明の結論は、屏風の大坂城は白黒のミックスです。再建された大阪城も白黒です。これで正解です。
屏風では大坂城を正面にして「極楽橋」(赤丸印)がかかっています。橋には壁があり、屋根には櫓が載っています。この櫓が、後に徳川家の命で豊国神社(京都)に移築され、さらにびわ湖に浮かぶ竹生島に移されたそうです。
北川館長らのこんな分析から、屏風が慶長元年(1596年)から同5年の間の大坂を描いていると時代特定がされたのです。
西国巡りをしていた時(2008年)に訪れた竹生島です。移築された唐門を記録していました。これが屏風に描かれた極楽橋の現存する姿だったのです。
エッゲンベルク城でもらったのと同じ日本語のパンフレットを資料としていただきました。
屏風の画像は、このパンフレットのものです。
馬場町の交差点の南西角に立ってます。この辺りの景観は、大阪府警などわたしが新聞記者時代に毎日のように通っていた時とはすっかりと変わりました。大阪府庁だけはそのままでした。
大阪歴史博物館
大阪市中央区大手前4丁目1-32
06-6946-5728
大阪府庁前から見る大阪城は、あたりまえながら同じでした。
キース・ジャレットのピアノをCDで聴きました。懐かしの「ザ・ケルン・コンサート」です。30~40年前にカセット・テープにダビングして、何度も何度も聴いていました。音源は何だったかも記憶にはありません。CDは先日、アマゾンで中古を買いました。
1975年1月24日に、独・ケルンのオペラ劇場でライブ録音された完全即興のソロ・コンサートです。まだLPが全盛だった時代です。
耳に馴染んだフレーズが蘇りました。時にうなり声が混じり、床を踏む音まで入ってます。
こんな音だったとは思いますが、ちょっと金属質にも聞こえます。
気になって、このところの愛聴盤であるアリス=紗良・オットのCD「NIGHT FALL」に替えてみました。これは安心してピアノの音が聴けます。1か月余り前に、ベルリンのフィルハーモニーで生を聴いたばかりです。まあ、ライブ録音とスタジオ録音、さらに録音年代の差ということにしておきましょう。
CDを久しぶりに聴いたのは、プレーヤーが新しくなったからです。といっても20年ほど前の「DENON DCD-1650AZ」です。それなりの銘器でした。「ジャンク品(動作不良)」というのを、ヤフオクで格安で2台落として、1台をドナーにして合体修理しました。正確な測定はしていませんが、機嫌よく回っています。
キース・ジャレットは、クラシックの正統派演奏でも聴かせてくれます。
J.S.バッハの「平均律クラーヴィア曲集」の第1、2巻(各2枚組)もあります。時間をみつけてゆっくりと聴きましょう。