My memory 調べ ウィーン その2 ウィーン国立歌劇場とフォルクス・オパー

 ウィーンの中心、シュテファン大聖堂から南に歩くとケルントナー通りがリンクと交わるところ。堂々としたウィーン国立歌劇場です。モーツァルトのいでたちの兄ちゃんが「チケットあるよ」と声をかけてきます。
 オペラの殿堂です。小澤征爾も音楽監督を務めました。
 ウィーンに行くたびに前を歩いています。でも入ったのは1回きりです。天井桟敷から観ました。

オペラ座の天井桟敷から

 最初に訪れたとき(2004)は、楽屋口からのぞき込みました。

ウィーン オペラ座をのぞく

 トラムの乗り場から何回も見上げました。イルミネーションもきれいです。

 雪が降った日にも、アルベルティーナ美術館から眺めました。
 

 見ているだけで楽しいショップです。

 心ひかれたオペラ座の立体紙模型です。みやげにはカレンダーを購入、わたしの部屋に1年間、掛けていました。

 フォルクスオパーもにも行きました。

ウィーン フォルクスオパーの「売られた花嫁」

京都市立芸術大 サグラダ・ファミリアの「歌う天使たち」

 バルセロナのサグラダ・ファミリアの彫刻家、外尾悦郎さんが生誕の門のファザードにつくった「歌う天使たち」の原型模型像が、母校の京都市立芸術大学に寄贈され、常設展示されています。
 テレビ番組「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」のサグラダ・ファミリア特番にも外尾さんは登場して、「ガウディの見ている方向を向いて⋯」と話していました。その天使たちに会いにいきました。

 9体の天使たちです。それぞれが等身大か、それ以上の大きさです。

 そっと語りかけているような。

 愛くるしくて明るい笑顔です。

 像の内部は空洞です。
 石膏で作られたモデルですが、2000年に砂岩で制作された石像と置き換えられるまでの10年間は、実際に設置されていました。

 アンサンブルホールへ降りる階段脇に設置されています。 

 カミーノ巡礼の後に訪れたサグラダ・ファミリア(2016年)では、生誕の門で楽器を奏でる6体とともに足下のキリストを見守る石像を目にしました。

【博士ちゃん】芦田愛菜×彫刻家 外尾悦郎インタビュー 完全版

光の洪水に圧倒されたサグラダ・ファミリア

Paso a paso Dos エピ3=10/3 バルセロナの光と色と

 佐川美術館(滋賀・守山)で2023年に開かれた「ガウディとサグラダ・ファミリア展」にも出展されていました。わたしはガウディの「コローニア・グエル教会堂、逆さ吊り実験」などに目がいっていたようで、あまり記憶がありません。

滋賀・守山 佐川美術館ミュージアムカフェの比叡とろ湯葉そば

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My memory 調べ ウィーン その1 ウィーン楽友協会

 「音楽の都」と称されるウィーンです。55歳のリフレッシュ休暇で初めて訪れました。リタイア後にはゆっくりと滞在しました。雪のクリスマス・マーケットでプンシュを飲み、カフェ巡りもしました。
 ウィーン楽友協会のグローサー・ムジークフェラインザールは「黄金のホール」と呼ばれます。ニュー・イヤー・コンサートのテレビ中継でなじみの憧れのホールに身を置きました。

 5回目のウィーンです。雪で凍てついた夜でした。でもここだけはアルゲリッチらの熱気にあふれていました。

楽友協会 アルゲリッチに振りまわされる

 ベートーベンの「第9」が爆発しました。広くない舞台に合唱まですし詰めでした。

 夜空に輝く聖地、ムジークフェラインです。

楽友協会 ベートーベンの「第9」に圧倒される

 奥さまの合唱団のドイツ遠征でもウィーン観光をしました。ここは外せないと訪れました。

あこがれの「楽友協会」だったのに・・・

 ガイドツアーでは舞台のかぶりつきで、カラヤンやベームの足跡かもしれない傷だらけの床まで見学しました。

ウィーン 楽友協会のガイドツアー

 最初の旅では、ムジークフェラインの存在を確認しただけでした。

ウィーン 初めての楽友協会

My memory 調べ ザルツブルク ザルツブルク音楽祭祝祭劇場

 ウィーン・フィルハーモニーは、ベルリン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウとともに世界の3大オーケストラです。初めて聴いたのは、オーストリアのザルツブルクを訪れた2004年のことです。
 長い間の憧れだったザルツブルク音楽祭で祝祭劇場大ホールに登場しました。ジョルジュ・プルートル指揮するベルリオーズの幻想交響曲は、弦が限りなく美しかったです。

 まだ若かったです。55歳に到達して、新聞記者生活を始めて以来、初めて1週間のリフレッシュ休暇を取りました。

ザルツブルク ザルツブルク音楽祭祝祭劇場

 ザルツブルクの思い出は、2度目の旅で大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンの墓を参ったことです。アニフという村の小さな教会の墓地に、予想外につつましやかな墓がありました。

 カラヤンの墓に参る

伊丹 「パティスリー ラクロワ」のオリヴィエ

 アフタヌーンティーをいただきました。といってもわが家でお茶とケーキを並べただけです。
 伊丹のホールに音楽会を聞きに行った奥さまが、阪急・伊丹近くの「パティスリー ラクロワ(patisserie lacroix)」でみやげに買ってきました。
 店のHPで調べると、「オリヴィエ」というオリーブオイルのムースです。夏の定番のようです。

 オリーブオイルのムース、レモンクリーム、トロピカルドライフルーツ、ココナッツのダックワーズ。そんなのでできています。
 甘さ控えめ、さっぱりとしたお味でわたしでもおいしくペロリでした。

 ラズベリーのムースです。

 ロンネフェルト(Ronnefeldt)のティーバッグ、ジンジャー&レモンをいれました。

 さわやかなお味のハーブティーです。

 パティスリー ラクロワの店舗写真などはありません。HPをご覧ください。
 オーナー・シェフ・パティシエは、奥さまの知り合いの息子さんでした。

 http://lacroix.jp/

 PATISSERIE LACROIX(パティスリー ラクロワ)
 072-747-8164
 伊丹市伊丹2-2-18

My memory 調べ アムステルダム コンセルトヘボウ

 オランダ・アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに世界の三大交響楽団といわれます。その本拠地がコンセルトヘボウです。ボストンのシンフォニーホール、ウィーンの楽友協会と同様に、戦前からの姿を伝えるシューボックス型の音響の優れたコンサートホールです。
 ベルリンでマリス・ヤンソンスの指揮の虜になりました。常任をしていたコンセルトヘボウでも聴きたくなって、2014年に訪れました。期待通りの素晴らしいコンサートでした。

ヤンソンス、コンセルトヘボウに驚愕

コンセルトヘボウ おいしいワインと驚愕の響き

「I amsterdam」 の街に

 小ホールで開かれる無料のランチコンサートも楽しみました。

アムステルダム コンセルトヘボウのランチコンサート

 2019年にアムステルダムに立ち寄ったときにも、トラムで思い出のコンセルトヘボウの前まで行ってみました。

 アムステルダムを散歩する

 奥さまは、合唱の遠征旅行の折にもう一度、コンセルトヘボウに行ってます。プロムシュテットの指揮するドヴォルザークのチェロ協奏曲などを聴いたそうです。

京都国立近代美術館 「若きポーランド」に吸い込まれる

 京都・岡崎の京都国立近代美術館で「若きポーランド [色彩と魂の詩 1890-1918]」を楽しみました。
 オルガ・ボズナンスカの「菊を抱く少女」です。圧倒的な眼力で見つめられました。黒く大きな瞳ばかりを見返してしまいました。吸い込まれてしまいそうな、なんとも不思議な絵でした。
 1点を除いてカメラ撮影が許可されていました。わたしもカメラを向けました。髪の毛に室内照明が反射しています。

 日本初公開の絵画がほとんどです。その中からポスターにも使用されていました。
 美術館の最寄りの地下鉄・東山駅にも掲示されていました。

 「日曜美術館」(NHK-TV)でピアニストの反田恭平さんが「ジャル」という単語で説明していました。これを見て、会期末間際に滑り込みました。

 反田さんが、初めて訪れたポーランドで見た秋が描かれています。

 ショパンの「葬送行進曲」と同じテーマが描かれているそうです。

 カメラ撮影がOKなうえに、「線まで下がってください」というだけで作品との距離も近い展示でした。

 「夜明けのブランティ公園」です。国土が消えたポーランドの宮殿を朝もやの背後に置いて、夜が明けるの待っています。

 どれも繊細なタッチで描かれています。

 ウィーンでのとトルコ軍との戦いを描いています。
 サブ・タイトルとなっている20世紀前後に、「若きポーランド」と呼ばれた画家たちの作品が並んでいました。その先鞭をつけたヤン・マテイコの代表的作品です。

 近代美術館に入ったのはいつ以来でしょうか。思い出せません。


 
 改装されて、すっかりきれいになっています。
 この広いロビーで、反田さんのピアノ演奏会も行われました。ショパンの「ラルゴ(神よ ポーランドをお守りください)」も弾いたようです。抽選に落ちましたが、聴きたかったです。

 チケットを買おうとして、JAF会員割引の対象であることがわかりました。ありがたい200円引きです。

 暑い一日でした。白川の川辺だけは、涼しい風が吹いていました。向こうが美術館です。

My memory 調べ ベルリン ベルリン・フィルハーモニー その3

 「ウィーンでのんびりと」というタイトルで旅しました。2019年のことです。インスブルックからスタート。ウィーンで1週間ほど過ごした後、またもベルリンを訪れました。旅の仕上げはベルリン・フィルでした。
 シベリウスの交響曲第1番が終わり、拍手に包まれてフィンランドの若い指揮者、Santtu-Matias Rouvaliがコンサートマスターの樫本大進と握手したところです。

 この日のステージにはピアノが置かれていました。日本人の母親をもつドイツ人ピアニスト、アリス=紗良・オットが裸足で登場して、天女のような響きを聞かせてくれました。

ベルリン・フィルハーモニー ベルリンの音と天女の響き

ベルリンの響き ロウヴァリとアリス=紗良・オットがラヴェルのピアノ協奏曲で共演

 フィルハーモニーのショップでみやげに買ったCDは左下です。すっかり魅せられて、大津・びわ湖ホールでの来日リサイタルで再会しました。

びわ湖ホール アリス=紗良・オットのEchoes Of Life

My memory 調べ ベルリン ベルリン・フィルハーモニー その2

 ベルリン・フィル・デビューした日本人指揮者の山田和樹はインタビューで、「ヤンソンス指揮のブラームス2番を聴いた」と話していました。
 マリス・ヤンソンスは、わたしが初めてベルリンでベルリン・フィルを聴いた指揮者だったことは「その1」で書きました。
 ブラームスの交響曲第2番は、2度目のベルリン(2014年)のサイモン・ラトル指揮でその大爆発に身を置きました。
 山田のデビュー・プログラムの2曲目、武満徹の「ウォーター・ドリーミング」では、エマニュエル・パユが独奏フルートを聞かせてくれました。パユは、コンサートマスターの樫本大進についで名前を覚えた気になる奏者でした。

ベルリン・フィル ブラームスで大爆発

ベルリン・フィルハーモニーの入り方

 ベルリン・フィルハーモニーのショップでみやげに買ったパユのCD(左)です。
 テレビ録画で見た現在のパユは、髪の毛がだいぶ後退していました。

My memory 調べ ベルリン ベルリン・フィルハーモニー その1

 ドイツ・ベルリンにあるベルリン・フィルハーモニーは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が本拠地とするコンサート・ホールです。
 日本人指揮者、山田和樹のベルリン・フィル・デビューが話題となっています。LIVE放送は未明だったので、ビデオ録画でサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の圧倒的響きの片鱗を、わが家の小さなTANNOYのスピーカーで楽しみました。
 幕間のインタビューで山田は「最初にベルリンを訪問したのは大学卒業後の2002年で、ヤンソンス指揮のブラームス2番を聴いた」と話していました。
 わたしはその10年後の2012年に初めて訪れました。
 マリス・ヤンソンスが指揮するドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が、わたしの生涯で聴いた最高のシンフォニーとなりました。本物のオーケストラに酔った夜でした。ヤンソンスの小さな体から放たれた細やかで大胆なエネルギーが、今もわたしの脳裏を駆け巡っています。

ベルリンにやって来てよかった フィルハーモニーに酔った夜

ベルリン フィルハーモニーのプレッツェル

 「My memory」というカテゴリーをつくりました。2005年のブログ開設以来、書き連ねてきた「『どたぐつ』をはいて⋯」のカラムも膨大となってきました。そこに残されている文字や画像を整理して、あれやこれやの記憶をたどりたいと思います。まずは「音楽の旅~調べ」から始めます。