朝の京都は冷え込んだようです。でも良い天気でした。
京を、いや今日も歩きました。銀閣寺からスタートして、平安神宮、青蓮院、知恩院、円山公園、清水寺、智積院と東山山麓の社寺を巡りました。
三十三間堂では、通し矢が行われていました。晴れ着姿のお嬢さんたちが、たすきをかけて弓を引く姿を拝見しました。
カテゴリー: walking & climbing
京都を歩く 四神相応の地 青龍から白虎へ
京の都、平安京は方角を司る四神、北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎に護られた「四神相応の地」にあります。
玄武の上賀茂神社は参ったばかりです。
青龍の八坂神社と白虎の松尾大社は京都のメーンストリート、四条通りの東西両端にあります。この10キロほどを歩きました。
西山の麓にある松尾大社から歩きました。
京都を歩く 上賀茂神社から下鴨神社に参拝
食べて飲んでいるうちに松の内も過ぎてしまいました。これはいかんと、京都を歩きました。
スタートは上賀茂神社です。きょう8日は、もう成人の日でした。境内には、後ろ姿はすべてよしの振り袖新成人が集っていました。
初詣の人たちもまだまだ多くて、にぎわっていました。
神馬の神山号は出社していまいた。好物のニンジンをもらって、ご機嫌のようでした、
立砂を模した竹に、おみくじが花を咲かせています。
細殿の前に円すい形に盛られた白い砂山があります。
橘手水には、タチバナの実がいっぱいに浮かべられていました。でもこの手水には、初めて気づきました。
朱が鮮やかな楼門です。その前の玉橋に整列して記念撮影するのが、わたしの両親が健在だったころの家族の年明けの慣例でした。
両親と兄家族3人、わたしたち家族4人、プラス犬一匹が最大でした。
この正月、わが家には娘家族4人、息子家族3人の9人が集まりました。ちょうど一世代が回りました。
中門には宝船がぶら下げられています。この下を潜ると良い年になるといわれています。
この朝は、雪が降ったそうです。北向きの屋根には、白い雪が残っていました。
成人の日の記念撮影が行われていました。どこかの学校の同窓会1クラスでしょうか。
社家町を歩きます。
わたしが育った下鴨北園町の近くにある萩公園を通り抜けました。この塔は、3角ベース(少年野球)を楽しんだ児童公園の中央に、当時から同じ姿で立っていました。
何だろうと改めて見ると、「JOOK」と書かれていました。NHK京都放送局のコールサインです。
ということは、ここからラジオが流れ、住民がラジオ体操とかをしていたのでしょうか。
ここには、わたしが小学生だった当時にすでに老朽化して使われなくなったコンクリートのプールがありました。その周りをローラースケートで走り回ったものです。
当時の通学路を歩き、京都市立葵小学校までやって来ました。
当時の木造校舎は鉄筋になってますが、それも老朽化してます。
中学校へ向かう道です。
2年前の夏の「京の三十三食」で廃墟探検と書いた音色食堂です。
シャッターが閉まり、手書きの学習塾入塾案内が張られているだけでした。食堂はまだ健在なのでしょうか。
下鴨神社までやって来ました。
本殿の前にある言社(ことしゃ)は、干支の守り神です。わたしはうしにお参りしました。
水みくじは、境内を流れる御手洗川に浸すと文字が現れます。
次のタスクは、百万遍近くにある金平糖の老舗、緑壽庵清水に寄ることでした。
いろんな味の金平糖から3種を選んで、土産用にパッケージしてもらいました。
昨年のポルトガル~サンティアゴ巡礼で、最終日のリスボンでごちそうになった神父さまに届けようと思います。
金平糖は、鉄砲などとともにポルトガルから渡来しました。
古い製法を継承しています。
緑壽庵清水
075-771-0755
京都市左京区吉田泉殿町38-2
この後、東山通を南下。昼飯を食べよう思っていた三条の中華の店は、ものすごい行列。次のからしそばの店は、前に並んでいた若者が「僕で最後といわれてます」。
四条大橋から鴨川を眺めました。YAMAPを見るとまだ10キロちょっとでしたが、ゴールとしました。
歩き始めのポンポン山 2024
久しぶりのポンポン山です。これがわたしの2024の歩き始めでした。
予報に反して天気はイマイチだったせいもあるのでしょうか。頂上に人影はありませんでした。途中、すれ違ったハイカーも、ほんの数組でした。
中腹の本山寺の駐車場に車を置いてスタートしました。
勧請掛を潜って、本山寺に参っていきます。
本堂で手を合わせ、いつものように浄財を入れ、摩尼車(まにぐるま)をガラガラと回しました。
高槻の古木、天狗杉です。
夏にやって来たときは、切り株が並んで立てられていました。
ゆっくりと登ってきました。1時間半ほどで頂上に到着しました。
昼飯は、高槻市内の途中のスーパーで買ってきたネギトロ太巻きです。
豚汁に熱湯を注いで、さあ食べようととしてびっくりしました。太巻きには包丁が入っていませんでした。
今年の節分の恵方はどの方向だろうと思いながら、そのままかぶりつきました。
途中で一瞬だけですが雨がパラつきました。どんよりとした空です。それでも風がないためか、それほど寒くは感じませんでした。
視界もほとんどありませんでした。
途中でGPSアプリのYAMAPを起動させていないことに気づきました。スマホを取り出して操作しましたが、動きません。昨年暮れにスマホを機種変していました。その時に地図データが引き継がれなかったようです。ダウンロードを試みましたが、電波が弱くてダメでした。残念ながら本日の歩行データは記録されませんでした。
スマホに歩数記録は残っていました。それしても正月の間、ほとんど歩いていなかったことが明らかです。
京都・西山 花の寺(勝持寺)の紅葉
「花の寺」として知られる勝持寺です。西山連峰の小塩山の麓にあります。
西行桜も素晴らしいですが、秋の紅葉もまた素敵です。
今年は、紅葉を愛でる間もなく、季節は一気に冬が到来しそうです。その前に、真っ赤に色づいた樹々をレンズで追いました。
ジンバルを使って動画も撮影しました。著作権フリーのピアノ音楽もつけて、あれこれ遊んでいます。
小塩山大原院勝持寺は、白鳳8(679)年に天武天皇の勅によって創建された古刹です。塔頭四十九院が建立されまたが、「先の戦」の兵火に遭い、仁王門を除いてすべてが焼失しました。この戦って、15世紀半ばの応仁の乱のことです。
勝持寺
075-331-0601
京都市西京区大原野南春日町1194
坂を下っていくと大原野神社があります。
「マナスル報告会」でかほちゃんとツーショット‼
「かほの登山日記」ですっかり虜になってしまったYouTuber、かほちゃんの「マナスル登頂報告会」が、大阪・都島区のイベントスペースで開かれました。
登山系YouTuberとして登録者数が30万人を誇るナンバー1の人気アイドルです。ヒマラヤの8000㍍峰、マナスル(8163m)の登頂を明るく語るかほ節と、ネパールの村々や荘厳な山々の美しい画像の世界に引きずりこまれました。
ファン・サービスで、記念撮影会もありました。やにさがったわたしも、そこにいまいた。
*画像の一部に、プロジェクター光線の具合か虹のような色の帯や影が入っています
「こんにちは かほです!」のいつものホーズを決めてくれました。
9月27日にマナスルのピークに立ったかほちゃんとシェルパの画像です。
現地報告のYouTubeで見たことがありますが、酸素の希薄な山頂で平気な顔をしてカメラに向かうかほちゃんのYouTuber魂にびっくりしました。
マナスルは1956年に、日本隊によって初登頂されました。
わたしは記念切手が発行されたことを覚えています。
メスティンを使った山飯の紹介などでかほちゃんのYouTubeを登録して、欠かさず見るようになりました。
それが、あれよあよとクライマーの道へ一直線。モンブラン、キリマンジェロ、アコンカグアと世界のサミットを制覇しています。
驚くことに、いや当然の流れか、来春には世界一のエヴェレストを目指すそうです。
サービス精神旺盛なかほちゃんです。
かほちゃんがコラボしているアミノ酸補給剤などをプレゼントされました。
元病院という収容20数人の広くはない会場でしたが、ファンでいっぱい。愛媛から高速バスでやってきたという男性もいました。
京田辺 JR学研都市線の3つの「まんぼ」を巡る
京田辺では、いくつもの天井川が木津川に流れ込んでいます。その下にレンガ造りのクラシックなトンネルがあって、JR学研都市線(片町線)の電車が走り抜けます。
「まんぼ」と呼ばれています。わたしの住む北摂では「まんぽ」と半濁音となり、鉄道と川、または道路との関係は逆になりますが、横穴という意味では同じ建造物のようです。
秋空の下、「撮り鉄」となってカメラをバッグに3つのまんぼを巡りました。
同志社前-京田辺間の南側にあるのが防賀川まんぼです。比較的新しいのか、小さなレンガが整然と並んでいます。
京田辺駅に近い馬坂川まんぼです。3連のアーチでつくられていて「みつまんぼ」と呼ばれています。トップの画像もそうですが、残念ながら両端の2つのアーチは雑木で覆われてしまっています。
京田辺ー大住間にある天神川まんぼです。現在も上部を天神川が流れていてます。
天王山ハイクとサントリー山崎の試飲
久しぶりの天王山 ニンジンとニンジン葉のチキンラーメン
熊野古道で痛めた左ひざも回復したようなので、天王山に登りました。といっても天王山の頂上には行かず、小倉山、十方山、サントリー山と周りの3座を巡りました。
小倉山には、初めて見る鳥の餌カゴがぶら下げられていました。どんな鳥がやって来るのでしょうか。
わたしの餌は、麓の椎尾神社でつくったチキンラーメンです。ニンジンとニンジン葉を刻んできました。玉子もいれた特性ラーメンは格別でした。
熊野九十九王子を往く その10 印南~切目
「熊野九十九王子を往く」の10回目・第3日は、印南から歩き始めました。ところが、前2日のロング・ウォークがたたって左足は痛み続けました。もうこれ以上はダメと観念して、5キロにも達していないJR切目でストップしました。
切目王子社にはフジバカマが咲き、アサギマダラがやって来ていました。飛来は京都あたりより半月は遅い感じでした。
紀伊田辺を抜けて、中辺路(なかへじ)のスタート地点である滝尻王子までは。あと3回分が残りました。
「カン、カン」と遮断機の音がして、ホテルの窓の下を走る紀州鉄道の一番電車が走ってきました。
JR御坊駅のベンチで、コンビニで買ったサンドイッチをかじって朝食にしました。
歩行開始時間を計算して、あらかじめ鎮痛剤も飲みました。
【2023/10/18 08:29】
印南がこの日のスタートでした。そろそろ鎮痛剤が効いてきてもよい時間なのに、まるで効果はありませんでした。
ユニークなデザインのカエル橋にあいさつしてゆっくりと歩き始めました。
印南の港まで出てきました。
町を出ると、古道は国道から離れて急な登りとなりました。港をふり返りました。
集落の間を進みます。上りはまだしも、下りとなると足にビンビンと響いて飛び上がりそうに痛いです。
この日、最初の斑鳩王子社です。
青い海を右手に進みます。
コンビニがあったので、休憩しました。まだそれほどに歩いてません。
ミカンのゼリーを買って、海を見ながらいただきました。
海岸沿いを切目王子までやってきました。
教えられて王子わきの急坂を登ると、公園がありました。
フジバカマに近づくと、アサギマダラが飛び上がりました。
足の痛さも忘れて、しばしアサギマダラにカメラを向け続けました。
【10:23】
切目に着きました。
これから先は、ちょっとした峠道になります。長く続く下り道を考えると、歩き続ける気が失せました。
ゴールは、あまりに簡単にやって来ました。たった4.4kmしか進んでいませんでした。
熊野古道は逃げて行きません。早い機会にリベンジしたいものです。

























































































