京都を歩く 京都電鉄が走った出町線、鴨東線の秋

 京都電気鉄道(京電)は明治28(1895)年に日本最初の営業電気鉄道とした開業しました。こちらも日本初の営業用水力発電である琵琶湖疏水の蹴上発電所から電力供給を受けました。発電所のレンガ壁には、当時の京都市電力局の「六芒星」が残っっています。
 気持ちの良い秋晴れとなりました。かつてN電と呼ばれたチンチン電車が走った出町から寺町を南下した出町線、木屋町ニ条から蹴上まで東進した鴨東線に沿って歩きました。

 河原町今出川を少し上がった出町です。河原町と賀茂川との間に不自然に広いスペースがあります。現在は地下が駐車場になっています。
 【問題1】 どうしてこんなスペースがあるのでしょうか?
 答は、京電・出町線の終点で、折り返し運転のためでした。出町線は寺町丸太町から単線で京都御所に沿って北上。ここまでやってきていたのです。

 京電が走った寺町を下りました。梨木神社境内の紅葉が真っ赤に色づいてました。

 見上げれば仁丹のホーロー看板がかかっていました。
 このあたりに寺町夷川という停留所がありました。

 京電の開業とともに走ったN電2号は、平安神宮の神苑に長く保存されていました。わたしは2006年に撮影していました。国の重要文化財に指定され、修復のうえ応天門西側に移されました。


 四条河原町から乗ってきたバスを葵橋西詰で下車しました。目の前が出町の広いスペースです。

 出町橋の横に鯖街道口の石碑があります。鯖街道は若狭の小浜から山道を越えてここまでつながっています。

 南東角にある出町妙音堂は京都七福神の弁財天で、技芸上達をもたらすと信仰されています。

 きょうも長い行列ができています。河原町をはさんだ向こうにある豆餅で人気の出町ふたばの待ち客です。整理していた店員に聞くと「70から80分の待ちです」ということでした。

 信号待ちしている向こうの電柱が気になりました。

 帽子をかぶったような頭の格好から京都市電の架線柱の名残でしょう。

 河原町今出川の交差点です。京電は右手前から左に曲がっていました。

 交差点の南東角のパチンコ店などががなくなってスカスカになってました。フェンスの向こうは、広大な更地が出現していました。正面は大文字山です。

 寺町今出川の交差点です。大原口の道標がたってます。豊臣の時代に京の都を取り囲んだ御土居(おどい)に開かれた京七口のひとつです。

 【問題2】 ここだけ道が広くなっていうのはなぜでしょうか?
 答は、ここに寺町今出川の停留所がありました。出町線は単線でしたが、ここにはすれ違いのために2線化されていたのです。

 風情のある格子を備えた店が並びます。目の間に停留所があった時代から変わらないのでしょう。

 向こうに京都御所が見えます。

 藤原定家の一条京極第跡です。

 京極小学校のお前を京電は走っていました。

 梨木神社の紅葉です・

 見事です。

 

 紫式部がここで源氏物語を執筆したといわれる廬山寺です。

 こちらも負けていません。

 広小路までやってきました。ここに寺町広小路の停留所がありました。

 広小路の突き当りが京都府立医大。手前には立命館の広小路キャンパスがありました。現在は府立医大で、白い車が入っている駐車場は、わたしも3ヶ月に1回の検診に際に利用しています。

 京都御所は観光客でにぎわっていました。

 仁丹の看板を見つけました。

 同志社を設立した新島襄の旧邸あります。開いていたので見学させていただきました。

 新島が使った机や椅子がそのまま残っていました。

 こちらの紅葉も見事でした。

 寺町丸太町の交差点です。京電の出町線はここまで。向こうから右へと中立売線が走っていました。そちらから分岐していたのす。

 寺町の下御霊神社のあたりは銀杏並木が色づいていました・

 享保2(1717)年創業の一保堂茶舗です。京電が走るずっと前から店を構えています。

 三月書房がきれいになってました。左翼系の出版物が多い個性的な書店でした。
 近づいてみると本はなく、書道のサロン(?)になってました。左の書店風景は、閉められたシャッターに描かれたペイントでした。

 【問題3】 どうして太い道は左カーブしているんでしょうか?
 答は、いうまでもなく京電がここでニ条に向かって左折したからです。
 角の黒いビルの場所に、梶井基次郎の「檸檬」に登場する果物店がありました。

 通ひ路は 二條寺町 夕詠(ゆうながめ)
 井原西鶴の句碑がありました。

 二条を河原町を越えて木屋町までやってきました。左手前から右にかけてのカーブが広くなっているのも京電の名残です。
 京都駅から木屋町を走ってきた木屋町線は、ここで中立売線となりました。木屋町線から右に東進すると鴨東線(蹴上線)となりました。

 鴨川にかかる二条大橋を渡ります。

 そこから先の京電のルートは、下調べしていませんでした。
 仁丹の木製看板を追ってやってきた「新麩屋町通仁王門下ル」の前を通り過ぎました。

 京電は二条を東進し、疏水に突き当たると左折、右折して仁王門通を進みました。

 動物園前という停留所もありました。

 蹴上までやってきてインクラインを歩きました。

 ゴールは蹴上発電所でした。京電もここが終点でした。
 6.6キロのルートにしては撮影ポイントが多く、歩き応えがありました。

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