江戸時代の京都ガイドブック「京童」とともに歩くわたしの5日目は、平野神社から北野天満宮、今宮神社、上賀茂神社の8キロほどのコースでした。
花粉症がひどくて鼻ずるずるでした。転地療法しようと出かけました。
ここ数日の寒さにもかかわらず、平野神社の桜は膨らみ始めていました。もうすぐ春ですね。
【平野】 「京童」に記されたポイントは、この表記をします
「京童巻第三」は、北野の天神から始まります。わたしはちょっと順番を入れ替えて平野神社からスタートしました。
【2026/03/12 10:46】
阪急・西院から京都市バスでわら天神前まで。そこから歩き始めました。
境内は菜の花で黄色くなっていました。
「平野造り」と呼ばれる二殿一体となった本殿が2棟並び、祭神四座が祀られています。国指定の重要文化財です。
「右近の橘」の橘(タチバナ)は、黄色い実をいっぱいにつけています。
「左近の桜」の桜(サクラ)が開花するのは、まだ先のようです。
魁(さきがけ)桜と呼ばれる早咲きだけが、早くも満開の花をつけていました。
【紙屋川】
北野天満宮の西境を流れる紙屋川です。
このあたりでは豊臣秀吉が築いた御土居に沿った外側を流れています。左の護岸が御土居になっていて、それより左が洛中です。
【北野の天神】
北野天満宮はにぎわっていました。
受験生らしき男子2人が、お札を紙袋に入れて参拝に向かっていました。国立大学の合格発表もあったことだし、お礼参り(合格お返し)だったのでしょう。
本殿前の「飛梅」は、すでに花びらを散らしたものも多かったです。
上七軒の歌舞練場です。満開の桜かと思いきや、これは北野をどりの開幕を彩る造花です。
京都五花街のひとつ、上七軒の北野をどりは20日から始まります。残念ながらわたしには縁のない世界です。
ここは映画「国宝」のロケ地にもなっていました。
【西方寺】
歌舞練場の隣に西方尼寺があります。でも寺名を表示するものは見当たりませんでした。
土塀に石碑らしきものが埋め込まれていました。
「此寺しんせいと申は。いにしへしんせいといひしびくに。はじめてむすびすみしあんなるゆへに⋯」と「京童」にあります。
石碑に彫り込まれた「志んせい」と合致しました。
上七軒を歩くと、おいしいしっぽくやカレーなんばを食べたことがある「ふた葉」が営業中でした。
まだ腹は空いていないので、通り過ぎました。
上七軒の東の入り口から上がると、すぐに千本釈迦堂です。大根炊きで有名な寺です。
阿亀(おかめ)桜の蕾は堅いです。
このあたりの路地では、ガシャガシャと西陣織の機(はた)の音が響いていました。そんな家の多くが改装されて民泊になっています。
【千本ゑんま堂】
千本ゑんま堂(引接寺)は、平安時代の陰陽の小野篁が開基した閻魔大王を本尊とする寺です。
盆のお精霊迎えの根本霊場として知られます。
本堂脇には、紫式部の十重石塔(供養塔)が立っており、脇には式部の像もあります。
紫式部と小野篁は、墓所も隣り合っています。二人に接点はありませんが、「源氏物語」で愛欲を描いた罪で地獄に落とされた紫式部を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説にもとづくものだそうです。
北に向かって歩き続けます。船岡山に登っていこうかとも思いましたが、長い階段を見て麓の道を回りました。
【今宮】
今宮神社までやって来ました。
平安建都以前から、疫神を祀る社があったといわれる古い神社です。
奉納提灯を見ていると、真ん中に「一和」と「かざりや」のものがありました。
ともに門前の名物であるあぶり餅屋です。
参道をはさんで左が一和、右がかざりやです。
このカットも、映画「国宝」に登場していました。
さらに歩き続けて上賀茂神社です。
神馬の神山号は休みで姿はありませんでした。
出社日は、3日に1日ほどです。
10日には神馬交代式が行われ、10代から11代目に引き継がれたばかりです。
ともにJRAの元競走馬で、11代目はハーツクライ産駒の9歳で、「フジノタカネ」の馬名で28戦していました。
本殿に参って、本日のゴールとしました。
昼飯に、鯖煮で有名な今井食堂に向かいましが、テイクアウトだけで食堂営業は再開されてませんでした。




























